コラム

楽しいほうへ飛んでいけ

しあわせな転職ってどんなものだろう?

答えは人それぞれで、きっと正解はありません。

コラム「しあわせな転職」では、日本仕事百貨の記事をきっかけに転職した人たちを紹介していきます。将来的には、コラムの一部をまとめた書籍も出版する予定です。 

どんな想いで仕事を選んだのか、その後どんなふうに働いて、生きているのか。それぞれの選択を知ることで、自分にとっての「しあわせな転職」を考えるきっかけになればうれしいです。

島食の寺子屋卒業生 嶋村悠子さん

島根県の沖合に浮かぶ離島にある、海士町(あまちょう)。ここを舞台に、和食の技術のほか、食材や料理と向き合う心構えを1年かけて学ぶプログラムが、「島食の寺子屋」です。海へ山へ里へ、島中の生産者のもとを訪ね食材を調達するところから、包丁の使い方や魚の卸し方など料理の基本、お客さんに提供するところまでを経験します。島食の寺子屋を卒業後、鎌倉にある魚屋で働き、生産者とのつながりや食の世界をふかめていっているのが、嶋村悠子さんです。

転職をしていく人生だとは思っていませんでした。定年までとはいかなくても、漠然と40、50代までひとつのところで働きつづけるのかなって。

大学卒業後は、地元の県庁で働いていました。家族や親戚もほぼ全員公務員でしたから、昔から自分も公務員になるんだろうなと思っていて。地域のために何かしたいとも思っていましたし、県庁で働く憧れもありました。

最初に配属されたのは、中小企業支援を担当する部署。商工団体や金融機関などと連携し、若手社員向けの研修を企画したり、商店街の活性化に取り組んだり。その当時の課長が自治体のユニークな取り組みをよく共有してくれて。そのひとつが日本仕事百貨の「島食の寺子屋」の記事でした。

当時は運営のほうに興味があって。離島で島の食材だけを使って、1年間みっちり和食を学ぶプログラムなんて、ほかにないじゃないですか?こういうのがあるんだ、どうやって運営しているんだろうって。それで印象に残っていたんです。

働きはじめて3年経つと、福祉事務所に異動になって。そこでは、さまざまな事情を抱えたご家庭の相談にのっていました。人間関係の悩みや業務量の多さに、コロナ禍も重なり、だんだんと仕事がしんどくなってきちゃって。今思うとどうしようもない問題を抱え込んで、頑張りすぎちゃったのかなって思います。それで体調を崩してしまい、お休みをもらうことにしたんです。

これからどうしようかって、自分の気持ちにも、体調にも向き合って考えました。県庁の仕事はやりがいはあったけれど、楽しいとか好きって気持ちが置いてけぼりになっていたなって。

もともと、楽しそうなところに、ピューって飛んで行っちゃうようなタイプなんです。自分の好きなように生きていくほうが体に良さそうだな、今後は心がわくわくする息のしやすいところにいたいって。

休職期間中、たまたま日本仕事百貨で「島食の寺子屋」の募集記事を見つけました。あ、あのとき見た募集だって。

農業とか漁業とか、関わる現場や人に興味がありましたし、季節の移ろいを感じて暮らしてみたい。今はこれがおいしいとか、あのお花の時期だねとか、自然の変化を感じられるくらいのゆとりを持った生活がしたい。元気になったら寺子屋に参加しようって思っていたんです。

目標が見つかると、ちょっとずつ頑張れそうな気持ちになって。休職期間が終わったあと、県庁を辞めて、寺子屋のある海士町に行きました。

両親も元気にやれるのなら、と応援してくれて。食や料理を学ぶってことより、寺子屋が海士町にあるってことに驚いていました。行くだけで1日かかるような場所なので(笑)。

海士町にいた1年は、ものすごく濃かったです。

春夏秋冬の移ろいをちゃんと見て、旬の食材を探して。五感を使って感じ取りながら和食に前のめりで打ち込めたのって、やっぱり島っていう環境があってのことだと思います。

海なし県で育ったので、寺子屋の校舎から海が近いことにまず感動して。正直、魚はそんなに好きじゃなかったんです。でも、校舎近くの漁港にあがった魚を食べたときに、こんなに魚っておいしいんだってはっとしました。

「島食の寺子屋は、お米も野菜も、お魚も、さっきまで自然のなかにあった、生きた食材を自分たちで採るところから授業がはじまるんです。魚をさばくと、あんなに血が出てくるんだとか、スーパーの切り身ではわからないことがたくさんありました」

『頭を柔らかく、心を開き 体まるごとで 和食の道へ1歩踏み出す』より

本土に戻ってきて食材を見ると、見え方が以前とは違っていて。海士町では魚は頭も尾もついたままだったので、切り身や刺身としてパック詰めされた魚を見たときになんか違和感がありました。

海士町では海で泳いでいた魚を捌いて、野菜だって畑に採りにいって。どんなふうに育ったか、生きてきたか。食材が生きているところを海士町でよく知れたから、食材を見ると、どんなふうに生きてきたんだろうと考えちゃうんですよね。パック詰めされているものって、そのイメージと距離があるっていうのかな。

島の漁師のみなさんの姿も間近で見れました。その日獲れるかわからない海に、それこそ命がけで出て。定置網の掃除や修繕は、漁よりも長い時間がかかっているんだって、寺子屋に行かなかったら知らなかった。

生産者さんの想いも大変さも知って食材に接するって、ただ料理するのとは違います。

手間暇かけてつくられた食材。受け取る私も、積み重ねるように丁寧に丁寧に料理して、こんなにおいしいんだよって伝えたい。寺子屋の卒業制作として、それまでお世話になった生産者さんたちにお弁当を振る舞います。福井さんがつくった椎茸、テルさんが獲ってきた魚とか思い浮かべながら。このときが一番食材に向き合えたと思います。

食材の重みを、ちゃんと受け取って料理するんだよっていうのは寺子屋で教えてもらったことですね。

あと海士町で印象的だったのは、島の人たちの「ないなら、つくろう」というマインド。「ないものは、ない」が町のアイデンティティなんです。何もないとも、すべてがあるとも受け取れる不思議な言葉ですよね。

「都会のような娯楽施設とかお洒落な店はないけれど、だからこそ自分たちでつくるんだ」って海士町の人たちが話していて。お祭り、御神輿、神楽とかも全部町の人が企画するんです。ないからつまらないじゃなくて、つくっちゃおうって動く人たちがすごいなって。

寺子屋を卒業してから働きはじめた「サカナヤマルカマ」も、近くに買い物できる場所が少ないからと、元町内会長を中心に地域の人たちが立ち上げたもの。県庁にいたときは、地域に広く浅くしか関わることができなかったのがすごくもどかしかったので、地域を自分たちの手でつくっていることに共感しました。

このお店は、鹿児島県阿久根(あくね)市の水産業者と鎌倉市民が立ち上げた一般社団法人で運営しています。

阿久根市は、いい魚は獲れるけど漁業にかかわる人は減っているし、売り先もない。鎌倉、特に高齢化が進んだ郊外では、いわゆる買い物難民が増えていて、日常的に魚を食べられない。サカナヤマルカマは、2つの地域の問題に向き合うプロジェクトなんです。まずは、この2つの地域をモデルケースとして、鎌倉とほかの生産地がつながることで、ひとつの地域ではできないことも実現できるんじゃないかと思って取り組んでいます。

まだ卒業後にやることが決まっていなかったころ、インスタでフォローしている寺子屋の卒業生がこのお店のプレオープンの様子を投稿しているのを見て。海士町から実家まで車で帰る途中に、お店に遊びにいきました。

そこでお店の人と話していたら「もう、うちに来ちゃえば?」って。そこからどんどん話が進んで、お店の2階に住み込みで働かせてもらえることになりました。住み込みなんて、考えてもいなかったけれど、せっかくだしやってみようかなと(笑)。

お客さんのオーダーに合わせて魚を3枚おろしにしたり、刺身にしたり、お惣菜を担当させてもらったり。海士町では見れない魚に触れて、この時期はこの魚がおいしい、こういう調理をしたらもっとおいしい!寺子屋で勉強して、より食材のことを知りたいと思っていました。まずは魚屋さんで働いて、これからは農家さんも訪ねてみたいんです。

自分が育てたもの、とってきたものを、一手間加えてお客さんにお渡しする。表現するっていうとちょっと言い過ぎかもしれませんが、食材やつくり手のことを伝えられるといいなと思っています。なので、お弁当屋さんやケータリングもゆくゆくはしていきたい。

なんだかままならない人生だなって。ここからどうなっていくんだろうと私自身も楽しみです。

2023年8月17日 神奈川・鎌倉 サカナヤマルカマにて
聞き手 荻谷有花

・島食の寺子屋では、年間を通じてオンライン説明会や来島見学を受付しております。詳細は島食の寺子屋webサイトをご確認ください。
・クラウドファンディングの支援者を募集しています。こちらも併せてご覧ください。
「島食の寺子屋の新たな挑戦!海士町の食材で寿司を握って生産者とお客様を笑顔にしたい!」