コラム

しごとをつくる合宿
– 北茨城編 –
後編 「創造のまち」

 
「しごとをつくる合宿」は、地域や企業の課題を見つけ、資源を活かして仕事をつくる3日間のワークショップ。

今回は−北茨城編−と題し、11/9〜11、11/23〜25の2回に渡って開催します。

このコラムでは、2泊3日の本番に先立って、現地を視察した様子をお伝えしています。

前編は主に海辺を訪ねて回りました。後編では、もう少し山あいの土地にも足をのばしてみます。

大津港駅前の食事処「食彩 太信」を離れ、先ほど北上してきた国道6号線を南下。磯原駅を超えて川沿いの道を進む。

住宅街の中にひっそりと現れたのが、陶芸工房「土の夢」だ。

ここは菊地秀利さん・美恵さんご夫妻が営む工房で、おふたりは陶芸家でありながら、お米を育てて販売する農家でもある。

玄関先に車を停めると、秀利さんが出迎えてくれた。

「ここはカミさんの実家で。ぼくは北海道から来てます。もうすぐ20年ですね」

こちらに移ってこられたのは、どういった経緯で?

「家内の親が体を壊して、介護が必要になったので。北海道の勤め先をやめて引っ越してきました」

「それで、来たはいいけど、どうしようと。1ヘクタールの農地はあったんですが、それだけじゃあ食べていけない。なんかしなきゃ、と思ったときに、北海道ではじめた焼きものを本格的にやろうかって」

とはいえ、農業と陶芸の組み合わせだけでもまだ不安が残る。

次に菊地さんが考えたのは、飲食店の経営だった。

「すぐ近くの磯原中って中学校の裏に、町村合併前の役場があって。大谷石の書庫があったんです。当時はお化け屋敷状態。でも、うわあ、いい建物だなって。そこを改築して、喫茶店をやりはじめて」

三足のわらじを履き続けること12年。

体力的な衰えもあり、2012年に喫茶店をやめて、農業と陶芸に専念することにしたのだそう。

現在は器を卸したり、イベントに出かけていって販売したり、茶碗30枚というような受注を時折受けたりしながら、作陶と並行してお米づくりを続けている。

「もともと、ここは古くから焼きものをやっていた土地ではあるんですね。残っている記録だけでも、笠間焼より50年ぐらい古い歴史があるんです」

ただ、かつて藩同士の境に位置していたこともあり、〇〇焼という名称はとくに残っていなかったそう。

そこで北茨城市の商工会が中心となって、岡倉天心の名にちなんだ「五浦天心焼」という名称をつけ、2011年に茨城県の郷土工芸品として認定を受ける。

その判断基準は、このあたりで採れる「蛙目(がいろめ)粘土」を50%以上使用している、というもの。

「蛙目粘土そのものは、全国各地で採れます。砂が入っていて扱いづらいのと、もともと黒っぽい色がついていて、カラフルな陶器をつくりたい作家さんには不都合なんです。いい粘土かと言われると、うーん…という感じ」

「ただね、専門的な言葉でいえば“耐火度”が高い。たとえば、笠間の赤い土があるんですが、1230℃くらいまでは平気でも、これを1240℃で焼くと潰れちゃう。耐火度が低いんです。対してここの蛙目粘土は、1250℃でも問題ない」

耐火度が高いと、何がいいんですか。

「釉薬の種類によっては、温度が高くないと溶けてくれなくて。高温に耐えられれば、それだけ使える釉薬のバリエーションが増えるわけです」

加えて美肌効果も。触っていて手が荒れず、むしろすべすべになるという。

まるみつ旅館の泥風呂にも、この蛙目粘土が使われているそうだ。

粘土は一長一短があるようだけど、菊地さんがここで陶芸を続ける理由は、何かほかにもあるのだろうか。

「一番はね、気候がいいんです。えーとね、30年くらい前に洪水があったそうですが、それ以来洪水もない。台風もほとんど来ない。冬はそんなに寒くないし、夏は涼しい。見てわかるように、うち、扇風機1台しかありません」

言われてみれば、真夏だというのに不思議なほど涼しい。

日本国内の高原を除く平地では、りんごの採れる南限、みかんのとれる北限がここ北茨城市なのだそう。それだけバランスのとれた気候、とも言える。

「北茨城には空き家がいっぱいあるんですが、なかなか貸してくれないんです。知り合いでないと貸せない、という方が多くて」

「もし住みたいという方がいれば、家とかね、世話してあげたいと思っているんですよ。20年経って多少の顔見知りはできてますから、間に入ってあげたいなって」

実際、菊地さんが田んぼを預かっている地主さんは、「畑つきの一軒家なら空いてるよ」と紹介してくれているそう。

「50坪ほどの作業場もあるから、それもつけて月1万円でいいよって。焼きもの屋さんや木工屋さんにはすごくいい条件だよな、と思いますね」

仕事をつくるうえで、いい拠点を持てるかどうかは、ひとつのポイントになる。

住居兼アトリエにするか、お店やオフィスとして活用するか。人によって用途はさまざまだと思うので、ワークショップ中にもまずはいろんな物件を訪ねて想像を膨らませてほしい。

 
視察時に訪ねることができた物件は2軒。

まずは大津港駅前に佇む、レンガ造りの建物。

外観からはレトロな趣を感じる。

もとは大正初期に建てられた倉庫で、40年近く使われていなかったそう。2012〜2016年の間は、北茨城市が観光案内所「びすとれ」として運営。電気や水道も通っている。

駅前という立地に、趣のある佇まい。とても心惹かれるけれど、大津港駅は特急電車が停まらないため、利用者が限られているとのこと。また、港まで歩くと30分ほどかかる内陸に駅があるので、交通手段や人の流れをよく考える必要がありそうだ。

 
もう一軒は、大津港駅から車で3分ほどに位置する物件。

以前は「観月」という食事処だったところ。外観は少し特徴的だけれど、内装はシンプル。飲食店だったため、キッチンが広く、改装も可能だそう。

周囲には飲食店があまりなく、目の前の高台には震災復興住宅が建っている。天心記念五浦美術館まで通じる大きな通りに面しており、駐車スペースも広いので、地元の人や観光で来た人、幅広い人が利用するお店を営むこともできるかもしれない。

こうした物件を借りてオフィスなどを開設する場合、一定の条件を満たせば、県から最大100万円の補助を受けられる。しごとをつくる合宿には行政の担当のみなさんも同行していただくので、制度や決まりごとについて気になることが出てくれば、その都度聞くこともできると思う。

 
視察もいよいよ終盤。

最後に訪れたのは、2016年に廃校となった旧富士が丘小学校を活用し、今年誕生したアートスペース「期待場」。名付けの親は、北茨城市出身で米米CLUBのボーカルやアーティストとして活動する石井竜也さん。

体育館はギャラリー、校舎内の各教室はシェアオフィスやアトリエとして活用。北茨城を拠点に活動するアーティストや地域おこし協力隊の人たちなど、現在は5名が利用していて、今後さらに利用者は増える予定だそう。

ここで話を聞いたのは、地域おこし協力隊の都築さん。東京芸術大学の建築科を卒業後、昨年の4月に移り住んできた方。

頭の上には、30分の1スケールの六角堂が乗っている。

「東京芸術大学の前身となった、東京美術学校をつくったのが岡倉天心さんで。そのつながりからこの地を知りました」

最初の1年間は、北茨城の作家さんやまちの人たちと一人でも多くつながることを意識していたという。

「当初は一年間の成果展をやってくださいという話だったのですが、せっかく芸術によるまちづくりを掲げているのに、外から来た人だけで盛り上がるのには違和感があって。地元の芸術家を巻き込んだ『桃源郷芸術祭』というイベントを開いたんです」

陶芸家をはじめとして、油絵や日本画家、根付彫刻や裂き織りという方法で作品をつくる人、市内のガラス工房「シリカ」の職人など。いろんな作家さんに声をかけて回り、美大のつながりも活かして、地元の作家20名と東京の作家20名による芸術祭をつくりあげた。

ほかにも、小学生と一緒に“頭上建築”をつくるワークショップを開いたり、同じ県北地域の大子町で開かれるアートイベントと連携したり。

芸術とまちづくりを軸に、多様な活動を展開している。

「北茨城に来てみて驚いたのが、何かはじめた人がいたら、興味を持ってくださる方はいても、止めようとする方がいなくて。面白そうだから新聞社の人に話しておいたよとか、大きいものをつくるときは手伝うから呼んでね、とか。あとは、ちゃんとご飯食べてるの?今日もカップ麺です。…これ食べな。って助けてくれたりして」

岡倉天心がこの地に移り住んできたときも、地域の人たちは好意的に受け入れ、協力した、と言われているらしい。新しい挑戦を後押しする風土は、もしかしたら昔から北茨城にあったものなのかもしれない。

追い風を受けて、都築さんは今年、新たに2つの取り組みをはじめている。

「北茨城って、海側の地域だけで18軒の民宿さんがあるんです。ネットにはあまり情報が載っていないけれど、訪ね歩いてみると、一軒一軒かなり個性豊かで」

とくに面白いのがお風呂で、宿によっては四季折々の花と絵が飾ってあったり、造船の技術を応用して浴槽がつくられていたり。その魅力をどう伝えたらいいか、茨城大学の学生たちと一緒にフィールドワークを重ねているところ。

「予約のために電話で一回コミュニケーションをとることとか、多くの情報を知らないで訪ねることも面白さだよねって話していて。ホームページをつくる!きれいな写真を載せる!という方法以外に、どうやって伝えられるだろうと考えています」

もうひとつの取り組みは、天心焼の菊地さんと一緒に進めているもの。

「昨年の天心焼の展示販売会で、印象的な色のコップを見つけて。はじめて見るきれいな青緑色をしていたんです」

菊地さんに聞くと、コーヒーの灰から自分でつくった釉薬とのこと。

「それなら、その豆で淹れたコーヒーを飲むのに一番ベストな形、厚み、取っ手をデザインして、菊地さんたちにお願いしてつくってもらったらいいんじゃないか、と思って。一緒にコーヒーマグをつくっています」

菊地さん以外の天心焼の作家さんにも協力してもらい、コーヒーマグをきっかけに、その人のほかの作品にも興味をもってもらえるような“入り口”にならないか、と都築さんは考えている。

天心焼に決まった型や伝統がないことは一見マイナスにも感じられるけれど、捉え方によっては柔軟なものづくりのプラットフォームがあるとも言える。

最後に都築さんは、こんなふうに話していた。

「“こういう仕事があるって聞いてきました”という方よりは、ここで何かできそう!と直感的に思ったら、まず自分で走り出しちゃう人がいいのかなと思います。そうするとまわりが、止めるどころか援護してくれる。もっといけもっといけ!って応援してくれるので」

視察を終えて、北茨城にはいろんな可能性があるように感じました。

なかでも、今回のしごとをつくる合宿の軸になりそうだと感じたのは、次の2つです。

「海辺の資源活用」
あんこうをはじめとする海の幸や、砂浜や岸壁が織りなす太平洋の景観。まるみつ旅館の武士さんが取り組む新しい漁業の形としての養殖や、5年に一度開かれる御船祭など。北茨城の海辺には、活かせる資源がたくさんあるような気がします。

「新しいものづくりのプラットフォーム」
天心焼は、歴史がある一方で、伝統や型はない。捉え方次第で、それは新しいものづくりに挑戦できるプラットフォームのように見えました。分業制で発展した長崎県の波佐見焼の事例も参考になりそうですし、豊かな食材を引き立てる器として、または芸術祭との関わりの中からも仕事がつくれそうです。

まだ、具体的でなくても構いません。都築さんの言葉にもあったように、「ここで何かできそう!」と直感的に思った方は、一緒にしごとをつくる合宿へ出かけましょう。

(2018/7/26,27 取材 中川晃輔)

 
開催日
第1回:11/9(金)~11/11(日)
第2回:11/23(金)~11/25(日)
※どちらもツアー内容は同じです。お好きな日にちを選んでご参加ください。もちろん、両日程参加いただくことも可能です。
※12〜1月に、東京で報告会を兼ねたしごとバーの開催も予定しています。

目的地
茨城県北茨城市

申込〆切
2018/10/10(水)

参加費
無料
現地までの交通費、宿泊費は各自ご予約・ご精算となります。

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