青く広々とした空、白い雲。透き通ったブルーの川に、蝉の声が山に響く。
ああ、夏休み。
子どものころ、一度は描いたことのあるような景色が、ここには広がっています。
高知県東部の山奥に位置する馬路村。
面積の約96%を森林が占め、あちこちにはゆずの木。「ゆずの村」として聞いたことがある人もいるかもしれません。
今回は、3つのコラムで馬路村を紹介していきます。
これまでの馬路村の歩みや移住定住支援などの話が1つ、馬路村の暮らしを感じてもらえるように、移住者の方々にインタビューした話が2つ。
人口およそ800人、コンビニも信号機もない、田舎の村。ここで暮らす大人たちは、なんだか楽しそう。
移住に関心のある人はぜひ。あたらしい発見がある、かも。
高知空港から車で2時間ほどの馬路村。
あたりを山に囲まれていて、真ん中には安田川。
のどかな田舎の風景が広がっている。
まずは役場に行って、村長の山﨑さんに話を聞く。
少し元気がなさそうと思ったら、どうやら連日会食が続いてお酒が残っているそう。
「30年ぐらい前に、加藤登紀子さんっていうアーティストが馬路村にやってきて、魚梁瀬(やなせ)ダムでコンサートを開いてくれたんですけど、その話で盛り上がって。ちょっとやりすぎたね」
お酒の小ネタをもうひとつ。
高知県では、「はし拳」と呼ばれるお座敷遊びが有名なんだそう。
「まあ簡単に言えば、箸の本数当てをするゲームだね」
「向かい合ったふたりで、それぞれ箸を3膳ずつ隠し持って差し出す。相手が持っている本数を当てるんだけど、ふたりのあいだにはお酒が置かれていて、負けた人はそのお酒を飲む」
馬路村でも、個人戦と団体戦の両方がおこなわれていて、山﨑さんは個人戦で優勝したことがあるそう。
気分の共有もしつつ、馬路村のこれまでについて聞いてみる。
「馬路村はもともと林業の村で、昭和の終わりごろには、村の木を活かしたおぼんとかをつくって販売して。1億円を超える売り上げにもなったんだけど、残念ながら木材の需要も減ってしまった。それに代わって、ゆずで地域活性しようと」
「とはいえ、高知県でゆずっていうのは、どこでもつくりゆう。違う方法で、ゆずを活用していくしかないという状況になりました。いろいろつくってみて一番売れたのが、1986年に出たぽん酢しょうゆ『ゆずの村」です」
各地の物産展に出展したり、通販を始めたり、地道な努力を重ねていく。
転機となったのは、1988年に開催された「日本の101村展」でぽん酢しょうゆが最優秀賞を受賞したこと。
その2年後には、はちみつ入りゆず飲料「ごっくん馬路村」が農林部門賞に選ばれ、ゆずの村として全国区の知名度を得た。
「味がいいっていうのがやっぱ1番良かったところやと思う。とにかく恐ろしいほど広がっていったね」
そんなに広がっていったんですか。
「それはすごかったね。売り上げが倍倍になっていくわけよ。1億が2億、2億が4億。8億、16億 とかいう感じで伸びていって」
おお、すごい!
「農協の人は毎日残業で。新聞にも載っとったけど、1回、受付のファックスをぶち切ったっていう事件があって。注文が来ても生産が間に合わないし、なんぼ残業しても間に合わないから。それくらい伸びていったんよね」
ゆずを使った商品は、ぽん酢やジュース、化粧品など、60アイテム以上。規模の拡大にともない、これまでに工場を3回も建て替えていて、いまでは約30億円のマーケットになっているそう。
「わたしが役場に入ったのは40年前。ゆずの村に変わっていくところは全部見てきましたね。職員として働いていたときに自分でもいろいろと企画して」
「たとえば、東京や大阪でのイベントに出展したとき。来場者の方の名簿をつくれば、村の行事案内とか、村からお便りを出せるやんか。それで特別村民っていう制度をつくった」
特別村民?
「年に1回広報誌を届けるのと、特典として、村長室で村長とごっくん馬路村を飲めますよっていう。全国の人が面白がって、結果1000人くらいが登録してくれて。実際には、村に来るわけないと思っていたら、その人たちが来だしたんよ」
ええ!(笑)
「当時の村長もびっくりよね。いまは1万人を超える特別村民の方がいて、2週間にいっぺん誰か来るって感じかな」
「ようよう来たで!馬路村」と書かれたファイルには、特別村民とのチェキがぎっしりと貼られている。
分厚いファイルが5つもあって、相当な人が訪れたことが分かる。
さらに、馬路村の雰囲気をより身近に感じてもらおうと、「森の風 番人協会」を発足。会費3千円で登録すると、年に一度、ゆずぽん酢やゆずこしょうなどの返礼品が送られてくるのだとか。
村のキャッチコピーは、「堂々たる田舎」。
田舎らしさを全面に出しているのがおもしろいです。
「そうやね。なんというか、洒落的なものが好きなんよね」
「だから『かも』とかはすぐ使う」
かも?
「天然のあゆやうなぎを見れますとか、簡単に言い切らない。実際そうでなかったら、期待を裏切ることになるからね。だから、だいたい『食べれるかも』って書いてる。カモシカに会えるかも、とか(笑)」
「ファジーさと洒落を全面に出したことをいろいろする。それにデザインが入るきね。デザインがすごくいいのよ」
都会の真似ではなく、自分たちらしさを押し出していく。
むかしは、馬路村ってどこにあるの? と言われることも多かった。でも村の知名度が上がっていくにつれて、村民も自分たちの村に自信を持つようになり、さまざまなことに取り組む機会が多くなっていった。
「田舎での新しい暮らしを提案できるよう、ふるさとワーキングホリデーや地域おこし協力隊の制度を活用していて。最近はマルチワーク制度も整ってきて、農協や温泉、福祉施設とかで自分の興味・関心に合わせて働くことができる」
「村外の人に対して、田舎での暮らしもひっくるめて、こういう生活をしてみませんか? って広げていきたいね」
移住コンシェルジュの山﨑絵美さんにも話を聞いてみる。
「メールや電話で移住相談をしたり、イベントに出展したり。馬路村に興味を持ってもらうための情報発信もしています」
生まれも育ちも岡山県倉敷市の絵美さん。
大学生のときに、馬路村出身の旦那さんと出会ったそうで、結婚する前にはじめて馬路村を訪れる。
「旦那の実家が、中心の馬路地区からさらに30分ほど車で行ったところにある、魚梁瀬地区。ちょうどそのときは雲海に包まれていて」
「こんなところに人が住んでいるの!? って。びっくりしすぎて、口が開いて塞がらないみたいな(笑)」
移住してみてどうでした?
「子どもが生まれて半年ぐらいのときに来たので、家事と育児に専念していて。ただ、ご近所のちえさんって方がいつも声をかけてくれて。よく1時間ぐらい立ち話していたんですけど、それはすごく心強かったです」
「ほかにも、ひよこクラブってコミュニティがあって」
ひよこクラブ?
「赤ちゃんが生まれたばかりのお母さん、妊婦さんを中心に6、7人で集まる会です。そこに行政も入ってくれて。利用料は無料、月一でお菓子をつくったり、体重測定をしてくれたり」
「お母さんが集まってただ喋るだけなんですけど、それがすごく心地よくて。行っても行かなくてもいいっていう緩さも、変に気負わずにいれてありがたかったです」
馬路村では、子どもがいる世帯向けの支援が充実している。たとえば、今年から始まった育児支援は、赤ちゃんが生まれてから2歳になるまで毎月3万円を交付。
同じくシングルペアレント向けの移住支援も今年からスタート。村内で就業体験をしてもらい、滞在中の交通費補助や住宅を無償で貸し出すとのこと。
「あと、保育所は子どもが何人入っても無料なんですよ」
「20年ぐらい前は、第三子からじゃないと無料にならなかったんですけど、いまは第一子から無料です。もちろん保育所は無料で、医療費も18歳まで無料なんです」
すごいですね。
「そうなんですよ。修学旅行に行くのにも村から補助が出るとか。場面場面でいろんな支援があって。中学校でも、月々の支払いは学級費2000円ぐらいで済む。だから、生活に余裕が生まれやすいんですよね」
公営住宅もあり、条件を満たせば40歳までは家賃1万円で住むことができるそうで、新築を建てるときも数百万円の補助が出るという。
絵美さんご一家も、4人のお子さんを育てながら、村の支援を活用している。お子さんにとって、馬路村で過ごすのはどんな感じなんでしょう。
「いい面とそうでない面は、もちろんあると思うんですけど、同級生が5人とか3人ぐらいなんですね。水泳や調理実習、もちろん勉強にしても、自分が得意じゃないところも頑張ってやらなきゃいけない」
たとえば水泳なら、人数が少ないぶん、泳ぐ時間が長くなる。そこまで好きでないと、しんどいと感じてしまうかもしれない。
村での暮らしがイヤで、娘さんは中学校からは村外に進学したそう。そのまま市内の高校へと進学。
「うちの娘が言っていたのが、『わたしが一番泳げるみたい』って。村を出てはじめて、馬路村の経験に感謝する気持ちが出てきたようで」
「小さいときはしんどいかもしれないけど、成長するにつれて、実を結ぶ感じがありますね」
高校の授業で、馬路村について勉強することもあった娘さん。
「大学の進路を考えたとき、廃れていく馬路村を見るのはつらいから、観光で活性化できないかって思ったらしくて。大学では、観光について学ぶことにしたんです」
「外に出て、やっぱり馬路村がいいなって思った、ガラッと考えが変わったって言っていて。そのときはうれしいなって思いました」
取材を終えて15時。
村内にアナウンスがかかったと思ったら、ラジオ体操が始まった。
役場の職員さんも立ち上がり、ピョンピョン跳ねている。
はし拳チャンピオンの村長。馬路村の風景に驚いて、開いた口が塞がらなかった絵美さん。
馬路村の大人たちは、なんだか楽しそう。
それは、残りの2つのコラムで出会ったみなさんにも共通していると思います。
車で30分かかる山道を、走って下る乾さん。魚梁瀬ダムの展望台から見える景色に魅了され、移住を決めた森脇さん。
釣り具の針をつくるところから始める、役場の平瀬さん。小物や雑貨を中心に取り扱うブランドを立ち上げた協力隊OGの五味さん。
大人になると、仕事や暮らし、結婚など、すべきことや考えることが多くなる。
ときには自分らしさをおさえて、周りから期待される振る舞いをする。その結果、生まれ持った自分というものは、少し身を潜める印象。
でも、馬路村の人たちは、大人としての振る舞いの奥に、子どもの顔が見える。
村で出会った人それぞれが、自分の言葉で話を聞かせてくれたので、ぜひ覗いてみてください。
▼コラムで紹介している制度などについて、下記URLよりご確認いただけます。
◎村の定住補助制度について
◎移住・定住応援サイト「堂々たる田舎 馬路村」
もっと話を聞いてみたい方は、こちらよりお問い合わせください。
(2024/07/11 取材 杉本丞 田辺宏太、デザイン 浦川彰太、イラスト 市村柚芽)