いつかどこかに移り住みたい。
日本仕事百貨を読みながら、漠然とした思いを持っている方もいるのではないでしょうか。
でも、環境を変えることって、そう簡単ではありません。仕事も暮らしも、すべてが理想通りというのはむずかしい。
実際に移住した人たちは、何をきっかけに移り住み、その地で暮らしているのでしょう。
今回は、「ゆずの村」として知られる高知県・馬路村を訪ねました。
紹介するのは、馬路村に移住し、子育てをされた経験のあるおふたり。
自然も、人も。村全体で子どもを育む、馬路村での暮らしぶりと子育てについて聞いてきました。
そもそも馬路村ってどんな村?という方、まずはこちらを読んでみてください。
話を聞きに行ったのは、農協が運営している、「ゆずの森加工場」。
ゆずぽん酢「ゆずの村」や、はちみつ入り飲料「ごっくん馬路村」など、商品の開発から製造、受注や出荷まで村ぐるみでおこなっている。
訪れた人には、無料でごっくん馬路村を提供。年中ほぼ無休で運営していて、全国から見学しにくる人も多い。
2階のロビーに上がると、魚梁瀬(やなせ)杉が使われた広々としたロビー。
スタッフのみなさんは、青いポロシャツを着て作業中。
「これまでに黄色、オレンジ…があったかな。毎回、好評不評があって。最初はアロハシャツにせえとかいう話もあって。いやもう勘弁してくれって」
迎えてくれたのが、オペレーターとして働く乾さん。
「わたし、ここが出来たときから勤めているんです。今年で、18年目」
乾さんは、なんと8人兄弟の長女。愛媛の四国中央市の出身。馬路村をはじめて訪れたときのことを聞いてみる。
「小学校4年生に上がる前ぐらいかな。お母さんが、新聞で馬路村の山村留学の広告を読んで、『行ってみよ!』って。お母さん、突拍子もないことを言うタイプだったんです。兄妹一同『・・・え?』って(笑)」
まずは家族で一度、一泊してみることに。
1日体験では、キャンプ場でアメゴの掴み取りをしたり、葛(かずら)で篭を編んだり。村暮らしを目一杯に楽しんだ。
「わたしも、お母さんも兄弟も、移住にノリノリになっちゃって。結局、1年単位で参加できる山村留学に申し込みをしました」
通っている小学校を離れることは、大丈夫でしたか。
「そのときは何も思わなかったですね。お母さんの血筋なんでしょうかね」
「引っ越すときにも、お母さんから『テレビは持っていかん。自然を楽しんでもらいたい』と言われて、ふうんって納得していたくらいで(笑)」
村内は、馬路地区と魚梁瀬(やなせ)地区に分かれている。役場のある馬路地区から、車で30分ほどの魚梁瀬に引っ越すことに。
乾さんは、魚梁瀬小学校に転入。そこから2年間、暮らすことになる。
「家はお母さんが役場に問い合わせて、村が管理する古民家を借りることにしました。薪風呂だったので、最初のうちは近所のおっちゃんおばちゃんが教えにきてくれましたね」
トトロの世界みたいな。
「そう!家も暮らしもそんな感じでした。学校の友だちと、登下校のときにイタドリの茎をちぎって食べて。最初はすっぱ!って思っても、不思議なことに、だんだんと美味しく感じてくるんですよ」
「学校が終わったあとは、『監督さん』って呼ばれている、いろんな遊びを提案してくれるおっちゃんの家によく遊びに行ってました」
「火の用心」の看板をつくったり、一緒に秘密基地をつくったり。
「看板をつくったときは、ペンキで好きな文字や絵を描いて。それを地域の人に見てもらえるよう、どこへ立てたらええか、一緒に考えてくれたんです。どの遊びも全部、子どもの目線に立って、なんでもやらしてくれましたね」
「毎日が本当に濃くて、濃くて。寝るときに、明日は何があるんやろう…って。ドキドキワクワクの2年間でした」
乾さんが中学校に上がるタイミングで、家族で愛媛に戻ることに。
「ただ、お母さんと兄弟は、馬路村から気持ちが離れなくって。2年経って、お母さんが下の兄弟を連れて、また移住したんです」
馬路村には高校がないので、進学する場合には市内までバスで通うか、学生寮に入ることになる。乾さんは実家に残る選択をした。
「高校3年生になって、就活をはじめたとき、進路の相談をお母さんにしたら、馬路村で就職したら?って勧められて」
「聞いた瞬間に、楽しかった思い出が一気に蘇ったんです」
ちょうど、農協のゆずの加工場がオープンするタイミング。オペレーターとして入社し、そのまま馬路に帰って来た。
乾さんは現在、馬路村出身の旦那さんとそのご家族と一緒に暮らしている。お子さんは中学2年生と、小学6年生で、どちらも馬路の小中学校に通っている。
「子育てをしていて一番に感じるのが、村の人のあたたかさです。子どもが登下校途中に地域の人と会うと、みんな名前を覚えてくれていて、『学校はどう?』とか、家族みたいに話しかけてくれるんです」
「その場で盛り上がって、一緒に山菜をちぎったり、野菜や魚をいただいて帰ったり。学校から家まで10分の距離を、40分くらいかけて帰って来ることもあるんですよ。人も自然も含めて、村全体で子育てしているような感じです」
ほかにも、学校では1ヶ月に1回、子どもたちが自分でお弁当をつくる日があるそう。朝起きて、献立を考えて、お弁当をつくって、学校でみんな集まって食べる。子ども同士のつながりも自然に生まれそうだ。
今後の進路は、どうされるんでしょう?
「まだ、何も考えていないみたいで。わたしは、好きなとこに行ってもらっていいと思っています。馬路村だとみんなが手をかけてくれるので、1回荒波に揉まれてこいよっていう気持ちもあって」
「将来は、子どもには馬路に帰ってこなくていいとは伝えているんです。けど内心、『馬路楽しかったけん、帰ろうかな』って、わたしみたいに感じてくれたらうれしいな」
暮らしの面で不便なことは、ありますか?
「やっぱり、医療面ですね。村の診療所も5時までやし。体調が悪くなったときに、市内の病院までは車で40分かかる。でも、うちは子どもたちが体調を崩すことがほとんど無くて。熱が出ても、次の日にはけろっと治ってる。馬路の暮らしのおかげで、たくましく育ってくれているのかな」
「わたし自身、子どものころは喘息持ちだったんです。でも、馬路に引っ越したら治ったんですよ。自然に触れて、きれいな空気を吸っているのがいいんでしょうね」
運動が大好きだという乾さん。車で30分かかる山道を走って下ることもあるんだとか。
「仕事も毎日いそがしく、楽しく働いています。全国から工場見学に訪れたり、ゆずの商品を買って帰ってくれたりする人がいて、村外に行ったときも、こっそりファンを増やすために布教しています(笑)」
「馬路が好きやき。馬路をちょっとでも知ってもらうとか、それで誰かが来てくれたら、わたしはうれしいんです」
次に話を聞いたのが、今年の3月まで馬路村の魚梁瀬地区に暮らしていた森脇さん。現在は、ご実家のある島根県に帰られているとのことで、オンラインで話を聞くことに。
「馬路村を知ったのは、テレビでたまたま小学生の留学制度が紹介されていたことがきっかけなんです」
鹿児島県・下甑(しもこしき)島にある小学校で、全国から留学生を受け入れるその制度。
卒業した留学生が島を離れたあと、数年後に同級生に再会する様子が、ドキュメンタリー番組で紹介されていた。
「わたしの子どもにも、豊かな自然のなか、生まれ育った環境が違う子どもたちと過ごすことを経験させてみたいと思いまして。ネットで検索したら、馬路村の山村留学制度がヒットしたんです」
子どもが単身で移住する留学制度もあるものの、馬路村の山村留学制度は、家族単位で移住ができる体制が整っていたことが魅力だった。
当時、3人のお子さんを一人で育てながら、介護職をしていた森脇さん。生まれの島根で、ご両親と住んでいた。
「そのころは仕事がいそがしく、子育てを親に任せっきりにしてしまったこともあって。両親のもとを離れて、わたし一人で子育てに向き合うべきだと思ったんです。いっそ、簡単に頼ることができない場所へ行こうと思って、馬路村を選びました」
山村留学を体験するため、はじめて馬路村を訪れたのが2018年の夏こと。
魚梁瀬小中学校の先生に迎えられ、村を案内してもらうことに。そこで訪れた場所のひとつが、集落のすぐそばにある魚梁瀬ダム。
「展望台に登りきったとき、目の前にダム湖が広がっていて。わたしは、その景色に魅了されてしまったんです。ここに住みたいなって、湧き上がるように思ったんですよね」
当時森脇さんの3人のお子さんは、上から小学校3年生、保育園の年長と、3歳。
「子どものことを考えると、引っ越すことにはまだ迷いがあって」
「けれど次の日の朝、ダム沿いを散歩したときに、長男が『絶対ここに住みたい』って言ってくれたんです。息子の言葉がうれしくて、うれしくて。その言葉で、移住を決めました」
2018年の9月から、魚梁瀬の山村留学制度を利用して、移住者用の村営住宅にお引っ越し。
仕事は、どう探したんでしょう。
「移住してすぐのころは、馬路温泉で働いていました。そのすぐあとに、魚梁瀬小中学校に声をかけていただいて、給食調理員さんをしていましたね。学校の長期休みには馬路温泉で働くというように、マルチワークもしていました」
当時、魚梁瀬地区の小中学校は全校生徒が13人ほど。1クラスは多くても4〜5人しかいない。
「先生と生徒が、ずっと会話しているんです。わからないことがあれば、すぐ教えてもらえる。学ぶ環境として、すごく良かったみたいで。驚くほどに、勉強が出来る子に育ってくれました」
「村の子どもたち、よく散歩をするんです。うちの子も暇ができたら散歩に出かけていて、自分で自分の楽しみを見つけるのがうまいですよね。親が手をかけなくても、自分で生きていく力が身についているんです」
移住を考える人に、アドバイスはありますか。
「休みの日は、市街地に出て一気に買い溜めする必要があります。村の農協でも日用品や食材は揃うけれど、割高なので。子どもたちは、気分転換というか、生活のメリハリがつくようで、楽しんでいましたね」
「あとは、地域の集まりやイベントは、なるべく参加したほうがいいです。お祭りだけでなく、草刈りとか。村の方と仲良くなれるチャンスなので」
村の小中学校で行われる運動会や卒業式も、村の人たちにとって一大イベント。
自分の子どもが出場するしないに関係なく、村のみんなが運動会へ参加し、応援する。そのあとのバーベキューも恒例行事。
「今年の卒業式では、うちの子がそれぞれ小学6年生と中学3年生だったので、送り出される側で」
「答辞を読ませてもらったんですが、みんな喜んで、泣いてくださっていて。とても感動しました」
卒業式を終えた今年の3月。島根の高校へ進学することになった長男とともに、家族みんなで実家に戻ってきた。
「島根に戻って4か月が経ちました。でも実は、ゴールデンウィークには馬路へ帰っていて。今月も行くんです…(笑)。村の友だちに、『早く帰って来すぎて感動できないよ』って言われちゃいました」
子どもにとっても帰りたいと思える場所ができる。帰ったら会いに行ける人たちがいる。
それは、人と自然に見守られ、村全体で子育てがされているという安心感からはじまっていくのだと思います。
(2024/07/12 取材 田辺宏太)
・馬路村で地域おこし協力隊を経験し、そのまま移住したふたりにも話を聞きました。
・馬路村ってどんな村?村長と移住コンシェルジュのふたりに聞いてみました。
▼コラムで紹介している制度などについて、下記URLよりご確認いただけます。
◎村の定住補助制度について
◎移住・定住応援サイト「堂々たる田舎 馬路村」
もっと話を聞いてみたい方は、こちらよりお問い合わせください。