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振り返ると、高校時代はその後の人生を左右する、大切な3年間だったと思います。進学か、就職か。見知らぬ土地に行くか、地元に残るか。
目の前にはたくさんの道が広がっているようでいて、明確な夢や目標はまだ掴みきれず、一つひとつ迷い悩みながら選択する毎日でした。
そんな日々を、一緒に駆け抜ける仕事の募集です。
今回の舞台は、北海道白糠町(しらぬかちょう)。海と山に囲まれ、タンチョウやエゾシカも訪れる北のまちです。

そこで町が一丸となり、魅力ある学校づくりによって町内外から入学生を呼び込む「高校魅力化プロジェクト」がはじまっています。
このプロジェクトのポイントとなるのは、学校で「地域学」を教えることで地域とのつながりをつくっていくこと。公営塾をつくることで地域の学力を底上げすること。そして、必要に応じて寮をつくることで町外の生徒を集めること。
今回は、来年の春にスタートする公営塾のスタッフを募集します。
公営塾は学校の近くに設けられ、生徒なら誰でも利用することが可能。放課後に教科学習をサポートしたり、進学や就職など、個々人の進路相談にも乗っていく場所です。
単に知識を詰め込む場ではありません。一人ひとりに向き合い、ときにはともに悩みながら将来を考える。そんな、生徒にとってかけがえのない場になると思います。
思いがあれば、教員免許を持っている必要はありません。教えるというよりも、生徒と同じ方向を見つめ、ともに走ってくれる人を探しています。
羽田空港を発った飛行機は、およそ1時間半で釧路空港に到着する。飛行機を降りてすぐ、ひんやりとした空気が体を包み、思わず背筋が伸びる。
空港からさらに車を30分ほど走らせると、「白糠町」の看板が見えてきた。
窓からは海が見え、ラジオに混じって漁船の無線も聞こえる。窓をあけると、潮風が入ってきた。

「ちょうど今、中学校の様子を見てきまして、今日は朝から子どもや先生たちに会えた。そしてこの新しい出会いに、気分はとってもファインです」

そんな板谷さんが教育長となったのは、約10年前のこと。それまでは、道内の小中学校の先生を勤めていた。
「私は、白糠に来てから食べものへの意識が変わったんです。羊肉も、野菜も、魚介もうまい。食が豊かな北海道のなかでも、群を抜いて恵まれた土地だと思いますよ」
白糠町の名前の由来は、「波が磯を超え、しぶきが立つ」という意味を持つアイヌ語の「シラリカ」。その名のとおり、漁業に加えて、農業や林業も盛んなまちだ。

ところが、戦後のエネルギー革命で炭鉱が閉山。雇用減にともない、町から人が去り、子どもたちも次第に減っていった。
「さらに、まちの転機となる出来事があって。高校の学区制度の変更です」
それまでは小学区制といって、地域の子どもたちは原則として自分の住んでいる学区の高校に進学することが決められていた。白糠町の中学生の多くも、白糠高校に進学した。
ところが12年前、制度変更によって白糠町の子どもたちは隣の釧路市内の高校にも自由に通えるようになり、白糠高校の生徒数は減っていった。
最盛期には1つの学年に7クラスあったのが、今年の2年生から1クラスに。このままでは統廃合の対象となり、学校そのものがなくなってしまうところまで追い込まれている。
危機感を抱いた町は、資格試験料の補助や広報誌の作成、花壇づくりを町内会と協働で行うなど、白糠高校に対して様々な援助をはじめた。

けれども生徒数は増えず、今もゆるやかに下降の一途をたどっているという。
「進学、就職。中学生が自分の将来を考えたときに、白糠高校にはまだ十分な魅力がなかったんです。それだけではない。大学への推薦枠を持っていることさえ、まちの中学生や保護者は知らなかった。アピールも不足していたんです」
「白糠高校は、今まさに岐路に立たされている。もう一度子どもたちに選んでもらえる学校になるために、抜本的な魅力づくりをしないといけないと本気になって考えたんです」
そこで町が着目したのが、魅力ある学校づくりによって町内外から入学生を呼び込む「高校魅力化プロジェクト」。
2年前から本格的に始動し、北海道や高校と連携しながら、カリキュラムの充実や奨学金制度の創設、タブレット端末導入や衛星授業の受講など、支援策を強化。スピード感をもって改革を進めている。
そして来年の春、高校連携型の公営塾を開設することが決まった。
進学や就職をしっかりと考えられる場があれば、もう一度子どもたちに白糠高校を選んでもらえるかもしれない。
そんな目標がありつつも、公営塾をどう進めていくのか、まだ具体的には決まっていない。そのため今回募集する人は立ち上げメンバーとして、仕組みづくりから携わっていくことになる。
まずは、すでに他地域で行われている高校魅力化プロジェクトから学ぶのがいい。

ただ、それぞれの地域や学校によって状況や特徴は異なる。参考になることもたくさんある一方で、白糠町に合った形の公営塾をつくっていくことが大切だと思う。
「正直、すぐに目をみはるような効果が得られるとは限りません。教育というのは時間がかかるもの。いきなり子どもたちの進路や意識が変わるというのは難しい。当然、時間はかかることだよね」
「けれど、今のままではいけない。今まさに自分たちの世代から変わらないといけないんだ。私は、自分たちの持っている力を、子どもたちや学校の可能性に賭けてみたいんです」
白糠高校では、どんな生徒が生活しているのだろう。
校舎に着くと、4時間目の終了を知らせるチャイムの音が聞こえてきた。ちょうど昼休みにはいったようで、生徒のにぎやかな声も響いている。

そんな倉内先生が白糠高校の校長として赴任したのは、2年前のこと。
なんと、教師としてのスタートもこの白糠高校だった。

たしかに、この日も廊下で生徒と先生が笑いながら話す姿を目にした。
先生と生徒の距離が近いのですね。
「そうそう。ここの子は、友人関係や勉強、それにちょっとした悩みもすぐに先生に相談する。若い先生が多いからかな。普段からそうした経験があるから、初対面の人ともすぐ打ち解けられる。素直な子たちなんですよ」

「ほかの学校と比べると、生徒は成功体験が少ないのかな、とは思います。都市部のように様々な体験や経験を得られる場も少ない。自分の将来を思い描くための材料が、ほかの地域に比べて少ないのかもしれない」
「僕は、この白糠高校を学びの場として、そしてしっかりと自分の将来を考えられる場として、もう一度子どもたちに選ばれる学校にしたいんです」
とはいえ、生徒数減に伴い先生の数も減った白糠高校。
来年からは10人の先生で100人の生徒を教えるため、負担が増えることに戸惑いを感じる先生もいる。新しく入る人は、先生たちと連携しながら生徒に向き合うことが大切になると思う。
そして今、学校は倉内校長のもと、少しずつ変わってきている。
たとえば今年5月には、生協が開催する『チャレンジグルメコンテスト』に参加。
このコンテストは、道内の様々な高校生が、地元の食材を使ってメニューを開発し、出来栄えを競うもの。白糠高校の生徒たちも、地元の若手シェフとともにメニューを考案。特産品や風土を調べ、調理を学びながら少しずつかたちにしていった。

コンテストには、タコとホッキの炊き込みご飯にラム肉のロールキャベツ、ブルーベリーケーキなど、白糠の誇る豊かな食材をふんだんに使った自慢のひと皿を出品。結果、賞レースからは落選してしまったものの、生徒たちはすぐさまほかの料理コンテストを探し出し、心機一転、賞獲得に向け取り組みはじめている。

現在は、隣の釧路市の大学生がボランティアとして白糠高校に入り、授業に助手として参加したり、放課後や休み時間に補修を行なっている。
生徒たちも、先生とは違う身近な大人として信頼を置き、近い将来の目標となっているという。
きっと、教科書には載らない学びを通して、少しずつ生徒や学校が変わっているのだと思う。
新しく入る人も、倉内先生をはじめとした先生たちや、大学生たちと手を取りながら新たな公営塾をつくり上げていけるといいのかもしれない。

最後に、印象的だった教育長の板谷さんの言葉を紹介します。
「教えるというと、一方的な関係かと思うかもしれない。でもそれは違っていて。生徒から学ぶことは本当にたくさんあるし、私たちが悩んだり迷ったりする姿からも、生徒たちは学んでいる。教学半。半分ずつなんですよ」
「子どもと一緒に、自分も成長したい。子どもたちと本気でぶつかってくれる人と働きたいです。ときには私も食事やお酒をともにして、教育や生きるということについてじっくり語り合いたいな。大丈夫。思い切り飛び込んできてください」
白糠では、少しずつ、でも確実に新たな風が吹きはじめていました。
(2017/11/23 遠藤真利奈)