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高校生のころ、どんなことを考えていましたか?私はとりあえず大学進学を決めていたものの、学びたいことがぼんやりとしか見えていなかったように思います。
あのころ、今取材をしているときのように、もっと色々な人の話を聞いて現実を知ったり、世の中にはこんな働き方もあるんだと学ぶことができたら。地域に持つ愛着も、選んでいく道も違ったものになっていたかもしれません。
そんな経験ができるかもしれない高校生向けの公営塾が、石垣島に誕生します。
子どもたちが学力をつけ、地域のことを学びながら将来のことを考えていく。魅力ある高校づくりによって地域活性化を目指す、高校魅力化プロジェクトの一環です。
今回は、その塾を一緒に運営していく人を募集します。
石垣島までは、羽田空港から直行便で3時間半。東京から着ていったダウンコートはあっという間に不要になった。
穏やかな気候のなか、まずは市役所へ。お話を聞いたのは、企画部長の大得(おおえ)さんです。
「ヤモリにはもう会いました?きゅきゅきゅーって笑うように鳴くんですよ」と気さくに声をかけてくれる。この石垣島で生まれ育った、生粋の島人だ。
実は、取材に来る前から気になっていたことがあった。
石垣島には現在、八重山高等学校をはじめ3つの高校がある。生徒数は3校合わせて1700人ほど。島外からの移住者も多く、人口は微増ながらも増え続けている。
人口減少や少子高齢化、財政難。さまざまな問題を抱えて統廃合の危機に陥る学校も少なくないなか、石垣島はそういった問題とは一見無縁のように思える。
それなのになぜ、今回の取り組みを始めるんだろう?
「人間性の豊かさや、表現力を育てる。人づくりをしていきたいと私たちは考えています」
人づくり。
「学力の向上だけならば、石垣島には民間の塾も多くあります。ただ、最近は大学入試や働く環境も変化している。これからは、想いをしっかりとプレゼンする能力や、自分がやりたいことを見つけて仕事を生み出していく力が非常に大切になるんじゃないかと思うんです」
「だからこそ、過疎化になってからでは遅い。先に、先に人材を育てていこうと考えています」
石垣の子どもたちは、高校を卒業するとほとんどが那覇や東京に出ていく。違う環境やコミュニティに触れるのは良いことだけど、6割にとどまっているUターン率をもっと上げたいし、ゆくゆくは島のなかで自ら仕事をつくっていくような人材を育てたい。
そこで立ち上げるのが今回募集する公営塾。
具体的には、学力の向上と地域を学ぶ授業の2本柱で運営する。すでに使用する教室の選定も進めているのだとか。
塾といっても、島には民間の学習塾があるため、大学受験に特化した授業を行うような場所ではない。勉強は自習型で進めていき、メインは子どもたちに「石垣に戻りたい」と感じてもらえるような授業をつくっていくこと。
人材は地域おこし協力隊の制度を使うので、今回入る人は3年間という任期のなかでこの取り組みを進めていくことになる。
「たとえば祭や文化の違いを調べて発表したり、実際に島で働く人に子どもたちが取材をしてもいい。島を歩いて見つけた課題を解決する事業を考えてみてもいいかもしれません」
「だから、いろいろな分野の経験を持つ方に来ていただければと思います。石垣の子どもたちを育てていきたいという意欲さえあれば、歓迎しますよ」
なるほど。大得さんたちの目指していることはなんとなく想像できた。塾は9月のオープンに向けて準備を進めていく。
それにしても「地域を学ぶ授業」をつくるにはどうすればいいのだろう。
そのヒントをくれたのは、西川さんです。
石垣島にすでに4人いる地域おこし協力隊のひとりで、神奈川からやってきた。
青年海外協力隊としてエチオピアで活動した経験や、長く観光業に携わっていた経験を活かして、観光マーケティングや石垣の魅力発信を主な業務としている。
この1年で、石垣島の観光マップのリニューアルや、宿泊プランの企画にも関わってきたそう。
公営塾と直接関わりがあるわけではないけれど、「地域を学ぶ授業」をつくる上で、西川さんのやってきたことは参考になるかもしれません。
新しい企画のアイデアは、どんなふうに生み出されるのでしょうか?
「いろいろなところを訪れています。最近は、川平のサイエンスガーデンという場所を見つけました。広いお庭に睡蓮が1年中咲いていて、亜熱帯、温帯の様々な植物が育っています」
まだまだ観光地として表には出ていないけれど、これから注目の場所なのだとか。
「あとはさしみ屋さん。東京でいう魚屋さんで、近海で獲れた新鮮なマグロが食べられます」
「できる限り、ガイドブックには出ていない情報を収集したいんです。人が生活している空間を見るのも好きなので、街を探索してみたり、地域の人に話を聞いたりしていますよ」
地域を学ぶ授業づくりでも、まずは人に会うことが大切だと思う。石垣島には魅力的な方がたくさんいます。
たとえば、観光協会の事務局長である髙倉大さん。
これまではホテルマンとして、ニューカレドニアや北海道、インドネシアなどアジア圏のリゾートホテルで働いていた。
「ニューカレドニアでウインドサーフィンをはじめて。石垣島が大好き!という感じじゃなくて、石垣にもすごくいい風が吹いていたので、そのまま居ついてしまった感じです」
島での暮らしについて聞いてみると、「八重山ひじるという言葉を知っていますか?」と髙倉さん。
聞けば、方言で「石垣の人は、人に冷たい」という意味なのだそう。
背景にあるのは、10年ほど前の移住ブーム。島外から多くの人が移住してきたものの、給料の水準なども違い、2・3年で帰ってしまう人がとても多かった。
「そういう経験をしているから、島の人は少し予防線を張っているところがあるかもしれません。でも一定時間住んでいると、その壁がポーンとなくなるんですよ」
印象的だった出来事として、石垣島に移住してから過ごしたお正月のことを話してくれた。
「一人で過ごしていたら、それを知った石垣の友人のご両親が『一人でいるなら、まさる呼べよ』って言ってくれて」
「お正月は家族で過ごす時間なのに、気にかけてくれたのが僕はすごく嬉しくて。みんなすぐ手を差し伸べてくれる。だからやってもらって嬉しかったことは返していくほうがいい。そうすると、自分にも巡っていくから」
一方で、新しいことにはどこか消極的な雰囲気も感じるそう。
「もうひと工夫すればもっと石垣島にお客さんを呼べるのに、これでいいよって。それが僕にはもどかしく感じることもあります。石垣は海も山も、いろんな要素に恵まれているので、これからもっと飛躍していける可能性を秘めていますよ」
だからこそ、髙倉さんはこれまで県の観光協会がやってこなかったことに取り組もうとしている。たとえば、ヨーロッパからの観光客の誘致。アジア圏だけでなく、世界からのさらなる集客を計画している。
一朝一夕では進まないことも多いので、公営塾の塾生や卒業生と一緒に仕事をつくっていくこともできるかもしれません。
最後にご紹介したいのが松原かいさん。石垣島にやってきて今年で21年になる、移住の大先輩です。
「第二のふるさとにできる場所があったら行ってみたいという思いが小さいころからあって。自分のことを知らない人ばかりの土地で、自分を見つめ直したいという気持ちもあったんですよね」
「石垣を選んだのは、性格的になんとなく日本海より東シナ海のほうが似合うかなって(笑)」
そう言って、茶目っ気たっぷりにこっちまで嬉しくなるような笑顔を見せてくれる。その見た目からは想像もできないくらい、パワフルに自分の道を切り開いてきた。
「私は石垣に来る前から、フリーアナウンサーや司会業など喋る仕事をしてきたんです。でも来てみてびっくり、石垣にはそういう業種がなかった」
プロが関わると、参加している人の反応や集客数にも変化がある。そのことを実際に感じてもらうために、初回は無償で仕事を引き受け次の年から料金をいただくような、長期的な関わりを根気強く続けていった。
「お値段は、本土に比べると今でも驚くような額だと思います。でもそれまでなかったものに対して、必要性を感じてもらい、お金を対価としてもらえるようになった。当たり前のことではないので、感謝の気持ちが強いですね」
現在は、ケーブルテレビのアナウンサーとバスガイド、そしてイベントでの司会業と何足ものわらじを履いて働いている。石垣島にはそんな働き方の人がとても多いのだそう。
さまざまな活動に関わっているからこそ、いろいろな声も届くようになり、かいさんは石垣市の移住促進のための協議会にも参加しているそうだ。
きっと大変な苦労があったはず。ずっと石垣にいるのはなぜなんだろう。
「やっぱり島の人にたくさん優しくされたから。お金はないけど、何か恩返しできることがあるなら返していきたかった。だから出て行こうとは思わなかったんですよね」
日々溢れる、地域の人たちの優しさ。「どれだけ救われたかわからない」とかいさんは話す。
「バスのなかで赤ちゃんが泣くと、みんな笑うの。『頑張れ、頑張れ、泣いて肺が強くなるぞ』って。それで知らないおばあが、両手広げて抱っこするのを待ってるわけ。本当に一人じゃないっていう気持ちになれた」
かいさんもお子さんが3人。たくさん助けてもらったそう。
「でもね、移住者って何十年住んでも移住者なの。私もそれは今でも感じていて」
島人には、なれない?
「だからって疎外感を感じる必要はなくて。心のコミュニケーションがきちんとできていれば島人じゃなくてもいいと私は思う。島が大好きっていう共通項さえあれば」
今後、かいさんはこれまで培ってきた力を次世代につなげるべく、子どもたちに向けた喋りのアカデミーを開きたいと考えているそう。
それは就職活動中の面接や、働いてからも役に立ちそう。「だから一緒にできることがあれば、気軽に声をかけてね」と言ってくれた。
はじめてのことばかりだから、すべてがうまく進むわけではないと思う。これでいいのか、不安になることもあるかもしれない。
だけど、この日お会いした3人のような大人を知り、その経験を学んでいくことは、子どもたちにとって何よりの教育になるはず。
子どもたちにしっかりと背中を見せ、見守ってくれる人たちがここにはたくさんいる。
誰かが導いてくれるのを待つのではなく、まだ見ぬ魅力に自分も子どもたちと一緒にワクワクしながら、この島の未来を育てていく。
そうして無我夢中で取り組むうちに、自分の居場所もできてくるのだと思います。
(2017/12/21 取材 並木仁美)