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とろけるような果肉、ムスクのような甘い香り。北海道・夕張市の特産品といえば、夕張メロンです。
取材を振り返ると、どの農家さんも口を揃えて言っていたこの一言を思い出します。
「時間も手間もすごくかかるんですよ。でもやっぱり、夕張メロンとして恥ずかしくないものをつくり続けたいです」
今回は、そんな夕張メロン農家さんたちをお手伝いする人を募集します。
季節は、次の春から夏にかけて。2ヶ月〜半年間の農作業サポーターはもちろん、数日〜数週間のお試し体験もあるので、自分にあった関わり方を選べるそうです。
農業に触れてみたい、一度北海道で過ごしてみたい。興味さえあれば、応募の理由はどんなものでも構いません。
新千歳空港から車で1時間。広い道路を走っていくと、夕張の街並みが見えてくる。
11月の夕張は、紅葉が終わってそろそろ雪が降るころ。本格的な冬を迎えると、パウダースノーを求めに国内外から人がやってくる。
街に到着してはじめにお会いしたのは、JA夕張市の藤本さん。
メロン農家さんが集まる組合を担当していて、「職場で一番メロンが好きなのは僕だと思います」と教えてくれた。
まずお聞きしたのは、夕張の農業について。
メロンが有名だけれど、実際はどうなのでしょう?
「そうですね。農業でいえば、むしろメロンしかないような土地なんです。農家さんも、メロンのもとに強く団結していて。というのも、もともと夕張って弱い地域だったんですよ」
弱い地域。
「はい。北海道=農業のイメージが強いかもしれませんが、夕張は土壌が特殊でつくれる農作物が限られていて。それに山あいだから大規模農業もできない。貧しい農家さんばかりの時代が長かったんです」
明治に入植してから、豆やアスパラ、長イモなどを細々とつくってきた夕張の農家さんたち。けれども生活は苦しく、試行錯誤を続けてきたそう。
そんななか、農家さんが自宅用につくっていた『スパイシー』というメロンが、偶然、農業改良普及員の目に留まる。
「当時は一般的でなかった赤い果肉で、網目のネットも甘みもありませんでした。でも、どのメロンにも負けない甘い香りを持っていたんですね」
「これならいけるかもしれないと、農家さんを中心に新しいメロンをつくることを決めて。お金を出し合って、日本中の産地を駆け回ったそうです」
抜群の甘さを持つ高級メロン『アールス』の種をなんとか手に入れて、スパイシーに掛け合わせる。
寒さから守るため腹巻のなかで種を温めて、芽が出たらビニールで何重にも覆う。ときには畑に寝泊りしながら育てたそう。
そうして今から57年前に生まれたのが、夕張メロン。
従来の規格は、重さや見た目に関するものだけ。夕張では、そこに日本ではじめて“甘さ”を加えた。
どれか少しでも欠けていたら、友人がつくったメロンでもすべて捨てていったそう。
農協の厳しい規格に、農家さんも必死に食らいついていった。
「だからこそ、夕張メロンはみんなでつくりあげてきたって思いがあるんですよね」
そんな夕張メロンの特徴は、とても柔らかい果肉と豊かな香り。高級メロンとして、昨年はひと玉4千円〜1万円で販売されたそう。
ただ、そのつくりづらさも並大抵ではない。
時間も手間もかかるため、同じ品種をつくっていたほかの産地は軒並み手を引いたほどだそう。
「夕張も、手間を減らしたつくり方を試したこともありました。けれど果肉が硬くなったり、香りが少なくなって。『これは夕張メロンじゃない』ってやめているんです」
「いいメロンのために、あえて難しい方法のままつくり続ける。すごいプライドだなあと思います。みなさん必死に頑張っているんですよ」
ここからは、受け入れ先となるメロン農家さんを巡ることに。
「100年前に入植して自分で5代目です。親父の代を含めて50年間、メロンだけをつくってきました」
そう話すのは、若手をリードする永沼さん。
「高校を卒業してすぐにはじめました。束縛されず自由にやれると思っていたけど、実際は修行でしたね。すべてにおいて、すごく難しいんですよ」
その理由は、ほぼ機械を使わずに人の手でつくっているから。
夕張メロンの栽培は、1月頃はじまる。
ビニールハウスを除雪して、ポットに一つずつ種をまく。苗が成長すると、土へと丁寧に植え替える。その数、多いところで1万株以上。
苗の上にカバーを何重にも取りつけるのは、温度や湿度から守るため。毎日、朝がくるとカバーをあけて日光を浴びさせて、夜になると寒さで枯れないように再びカバーをかぶせる。
そうして苗が育つと、余分なツルをひたすら手で摘んでいく『芯つみ』の季節がやってくる。
成長すると、一株に10個ほどの実がなる。その一つずつを確かめて、形の良いものだけを3〜4つほど選び抜く。
残した実は、土がつかないように一つひとつにマットを敷く。栄養がいきわたるように芯つみをしながらじっくりと育てて、6月頃に初めての収穫を迎える。
「すべての工程で大切なのが、湿度と温度の管理。子どもの運動会も天気が気になって、おちおち見てられないですよね。たった1時間のズレが命取りになるし、こうすれば絶対に大丈夫というルールはまったくない」
ただ、どれだけ完璧に育てても、収穫のタイミングを見誤るとすべて台無しになってしまう。
「夕張メロンは、食べごろが本当に短いんです。理想より1日早く収穫するとまだ熟していないし、1日遅いと規格が下がる」
「やっぱり、最高の状態でとってあげられなかった日には『俺は何やっているんだ』って突き刺さりますよね。もうシーズン中は、頭はメロンのことだけです」
お話を聞いていると、想像以上に大変な生業だと感じます。
「まあ、そうですね。でも、好きって気持ちの裏返しなんじゃないですか。だから苦労もいとわないし、続けられる。恋と一緒ですよ」
「それにどんなに機械が進化しても、メロンに手をかけてあげられるのは最後まで人間だけだから。機械には絶対に代われない仕事だと、俺は思っています」
続いてお話を聞いた太田さんも、同じくメロン農家の一人。
お父さんがはじめたメロン栽培を継いで、今は地区のグループ長としてみんなから慕われている。
「夕張のメロン農家は、全部で106軒。安心安全なメロンを届けられるように、みんなを守って鼓舞するのが自分の仕事かなって思っています」
「夕張メロンというブランドを、より強いものにしたいんですよね」
そのために必要なのは、質も量も高いメロンを安定して出荷し続けること。
とはいえ、昔からサポーターさんが活躍してきた夕張でも、人手不足が大きな問題になっている。
どの農家さんも、家族やサポーターさんと力を合わせて栽培を続けているのだそう。
「どうしても特殊な仕事だからね。大変な作業だし、待遇だって抜群にいいわけじゃない。手伝いに来てくれるだけでありがたいんですよ。だから今回も、興味さえあれば、若い方でもご年配の方でも、週末だけでもいいと思ってる」
「せっかく来てくれる方を、俺らが選り好みするようじゃダメだと思うから。それで『夕張って案外楽しかったな』って帰ってもらうことが一番だよね」
レコーダーを止めたあと、こんな話をしてくれた。
「面白い仕事だよねえ。難しいんだけどさ。もし機械で全部終われるような仕事だったら、きっと続けてなかったんじゃないかな」
「俺らはよく言われるの。ばあちゃんが入院したから持って行ったとか、お盆だから頑張って買ったとか。そういう声を聞くと、絶対に裏切れないなって思うんだよね」
「メロンづくりは、もう毎日が勝負ですよ!」
そう笑って口を揃えるのは、メロン農家に嫁いだお二人。
水色のトップスが似合うJA女性部の若手リーダー堤さんと、優しい笑顔が印象的な百瀬さん。
今回募集する人は、農家さんと一緒に作業していく。
春から夏の収穫期にかけては、芯つみが主な作業。メロンは数十棟のハウスで少しずつ時期をずらしてつくっていて、最終的な収穫数は多いところで4万個以上。
ときに30度にもなるハウスでの作業は、暑さとの戦いだという。
「ただ横に移動して芯をつむだけなんですけど、暑さで体力の消耗が激しくて。ヘルパーさんにも、休憩を長くとったり、水分補給をこまめにとったり、ちょっとハウスから出て風に当たろうって誘ったりしています」
「やっぱり、みんなが体調を崩さないのが第一だから。少しでも楽しく働けるように仕事を進めています」
10年以上続けているお二人もへとへとになるくらいだから、決して楽な作業ではないと思う。
「正直、作業そのものはすごく楽しいわけではない」と話すのは、堤さん。
「でも、いいメロンをつくったら美味しいって食べてもらえる。また買いに来るよって言ってもらえるんです。私は、もうそれがうれしくて仕事をしているんじゃないかな。いいメロンをつくるためにできる限り努力したいんですよね」
柔らかく話すお二人からは、夕張メロンへの誇りを感じます。
「そうですね。…でもこんなに大変大変って言って、人が来ますかね。そうだ、いつでもメロンが食べられるよ、家族で食べに来てって強く伝えてください(笑)」
この日、取材をずっと見守ってくれていたのが、市役所で農政に携わる佐藤さん。今回の募集を企画した方だ。
お会いするのは一年ぶり。気さくな人柄の裏に、夕張への熱をいつも感じる。
どういう経緯で募集をすることになったのかを尋ねると、こう話してくれた。
「前提として、やっぱり人手不足というのがあって。でも僕の中では、決してそれだけじゃないんですよ」
「なんというか…夕張メロンをきっかけに、夕張を取り戻したいんですよね」
取り戻したい?
「うん。もともと夕張って、炭鉱文化の街で。炭鉱の仕事をしに外から来た人を家族のように受け入れて、また見送る。そんな優しくたくましい文化があるんです」
ところが相次ぐ炭鉱の閉鎖に、2007年の財政破綻。
夕張からは、少しずつ人が減っていった。
「でも残った市民で話し合うと、みんな『夕張の文化を大切にしたい』って言うの。だから僕は、夕張のDNAを自分たちで再現したい。夕張にちょっとでも興味を持ってくれた人を、ちゃんと受け入れたいんです」
「だからこれは農家さんのためだけじゃなくて、自分たちのアイデンティティを表現するチャンスでもあって。夕張の力になってくれる人たちへの心地いいおせっかいを、もう一度地域として挑戦するんです」
農家さんはもちろん、住まいとなる公営住宅の担当者も『ちゃんといい家を提供しよう』と動いてくれた。生活の相談には、もちろん佐藤さんたちが乗っていく。
「みんな、どうやったら喜んでくれるかねって一緒に考えてくれてるんですよ。やる気と着替えさえあれば、いつでも来てもらえる」
「だからね、その日がすごく楽しみです」
夕張を訪れるたびに、そこに暮らす人の熱や思いを感じます。それはきっと、このひと夏でも充分に感じられるはず。
12月19日(水)には、永沼さんや藤本さん、佐藤さんをお呼びしたしごとバーを開催します。メロンのことはもちろん、街や暮らしのことも気軽に話せる場になりそうです。
夕張の熱を、体感しにきてみませんか。
(2018/11/18 取材 遠藤 真利奈)