求人 NEW

ちいさな共同体を
あそび倒す

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長野県塩尻市。

約1kmにわたる日本最長の宿場町「奈良井宿」やワインの有名なこのまちに、今年の夏、新たな場が生まれます。

といっても、名前はまだありません。カフェ・バーとゲストハウス、コミュニティスペースの機能を持った複合拠点であること。そして、「木曽漆器」発祥の地・木曽平沢の中心部に位置する、和洋折衷の古民家をリノベーションすることだけが決まっています。

今回は、この場を拠点に木曽平沢のまちづくりに取り組むコーディネーターを募集します。

飲食や接客、場の運営経験は問いません。地域を“あそび倒す”ことが、まちづくりにつながる仕事だと思います。

 

新宿駅から特急あずさ号に乗っておよそ2時間半で、塩尻駅に到着。

木曽平沢駅までは、1時間〜1時間半に一本のゆったりとしたペースで電車も走っているみたいだ。

この日は、今回のプロジェクトに関わっているみなさんと駅で合流し、車で移動。まずは道中にあるそば屋さんで腹ごしらえすることに。

実はこのあたりは「そば切り」発祥の地。“そば”といえば当然のように麺を思い浮かべるけれど、江戸時代以前は団子状に丸めたものを調理して食べていたそう。

「うーん、想像がつかないですね…」と話していたら、お店の人が「これサービスね」と言ってそばおやきを出してくれた。素朴でおいしい。

江戸と京都を結ぶ「中山道」のほぼ真ん中にあたり、人やものの行き交う交通の要衝として機能していた塩尻では、ほかにもさまざまな文化や産業が生まれた。今回の舞台となる木曽平沢の「木曽漆器」も、そのひとつ。

お隣の奈良井宿が“宿場町”であるのに対して、工房がひしめく木曽平沢は“漆工町”と呼ばれ、質の高い漆器を全国に送り出してきた。

ところが、近年のライフスタイルの変容に伴い、漆器の需要は減少。漆器産業の衰退は、そのまままちの衰退となって表れ、空き家が少しずつ目立つように。

将来的な見通しが立たないこともあって、多くの職人は子に後を継がせず、地域の外へと転居する人も増えているという。

そんなまちの中心に、一軒の象徴的な空き家がある。「手塚家別荘」だ。

今回のプロジェクトでは、ここを拠点として活用していくことになる。

 

「この建物は面白くて、半分が洋風で、もう半分が和風のつくりになっているんですよ」

なかを案内してくれたのは、しおじり街元気カンパニー(以下、街カン)代表の藤森茂樹さん。

愛知・名古屋で漆器店を営んでいた先々代のオーナーによって、1931年に建てられた別荘。当時は奥さんによる和歌や茶道の教室が開かれ、地域の人にも親しまれる集いの場になっていたそう。

ただ、先々代のオーナーが亡くなって以来、数十年にわたって空き家の状態が続いてきた。一時取り壊しの話があがった際には2,000を超える署名が集まり、その熱意におされた現オーナーが自費で改修したものの、活用されることのないまま今に至っている。

いよいよ売買に出そうと、オーナーが掃除をしていたとき。街カンで空き家対策に取り組んでいた藤森さんが、偶然前を通りかかった。

「空き家が増えていくというのは、街の新陳代謝が起こっていないということ。そこには深い根があると思うんですよ」

木曽平沢は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているため、簡単に取り壊しができない。とはいえ、建物が傷んでくれば、修繕費用はかさむばかり。

貴重なまち並みを守りつつ、活かしていくにはどうしたらいいか。

「ただ売買するとか、次の貸し手を探すだけでは、根本的な解決にはならない。このまちのためになる活用方法を考えよう、ということになって」

 

そこで2年前にこのプロジェクトに参画したのが、左京泰明さん。

東京・渋谷のまちじゅうをキャンパスに、ボランティアスタッフ主体の学びの場をつくる「シブヤ大学」を立ち上げ、初代学長を務めてきた方。縁あって、7年ほど前から塩尻のまちづくりに関わってきたそうだ。

「今って全国でいろんな形のまちづくりが行われていると思うんですけど、“本当に地域のためになってるのかな?”っていう目で見ると、必ずしもそうではない事例もあって」

「そういう事例にはもちろんしたくないですし。経済的にも文化的にも自立したモデルケースを、地域の人たちにしっかりと関わってもらいながら、つくっていきたいと思っています」

そう思うからこそ、準備もじっくりと進めてきた。

2018年度は、丸1年かけて木曽平沢の住民にヒアリング。どんな場所がこのまちに求められているのか、丁寧に探っていった。

その後は、複雑に入り組んでいた運営管理体制を整理し、プランを徐々に固め、ようやくスタートラインに立ったというところ。完成は今年の夏を予定している。

「ぼくらがヒアリングをはじめた2年前は、ちょうど地域の小学校の存続が議論されていた年で。みなさん多くは口にしなかったけれど、似たような危機感を抱いているし、変化を求めているってことがわかってきて」

漆器組合の青年部も、「実は数年前から同じようなことを考えていて…!」と計画書を見せてくれたり、市役所内で企画書を回覧していたとき、この地域にゆかりのある課長さんの目にとまって声がかかったり。

まちの現状に対して、本当は何かしたいという地域の人たちの想いが見えてきた。

そんな声を受けてこれから立ち上がるのは、具体的にどんな場所なのだろう。

左京さんいわく、ゲストハウスと、それに併設したカフェ・バー、コミュニティスペースを備えた複合的な施設になるとのこと。

かつての手塚家別荘がそうであったように、地域の人たちが集い、ときおり旅人も訪れるような交流の場を目指していくんでしょうか?

「そうですね。周辺に飲食店がないので、バーの常連さんになる方が現れて、宿泊客との交流もそこで生まれるでしょうし、地域の集まりやマルシェなどにも使ってもらいたい」

「あとはものづくりを志す若い世代ですね。近隣に家具や木工の専門学校があって。話を聞いていくと、卒業後にものづくりをはじめるんだけど、どうも我流でがんばらなきゃいけないような状況があるらしいんです」

先輩職人に弟子入りするのもひとつの選択肢ではあるものの、困ったときに気軽に相談できたり、お互いの技術を横目で見ながら盗みあったりできるようなコミュニティが身近にほしい、ということだった。

「漆器に限らないでいいと思うんです。いろんなものづくりに門戸を開いていきたい。作品を展示販売するショーケースとして使うこともできるし、イベントやワークショップもきっと企画できますよね」

今回募集する人は、こうした場の企画コーディネートに携わっていってほしい。

この手塚家別荘をきっかけに、ゆくゆくは木曽平沢の空き物件全般の活用にも取り組んでいきたい。中長期的には、シェア工房の整備や、空き家バンクならぬ“空き工房バンク”のサービスもはじめられるかもしれない。

「あくまで、まちづくりの一環として拠点を運営していくイメージで。これから入る人も、ずっとその拠点に張りつくというよりは、地域行事に出向いたり、地域の人と日常的に関わったりしていくことが大事な気がします」

たとえばカフェも、地域のお母さんたちによるコミュニティカフェのように運営していくこともできるし、カフェをやりたいという人にサブリースして、もう少しフラットに観光客も立ち寄りやすい雰囲気を目指してもいい。

現場に入り続ける必要はないので、飲食や宿泊業の経験はまったくなくても大丈夫。利用者の反応を見つつ、自身の得意分野や経験を活かして場をつくっていければいいそうだ。

 

今からおよそ2年前、日本仕事百貨の記事を読んでこのまちに移り住んできた地域おこし協力隊の立川あゆさんにも話を聞いた。

「記事のなかで惹かれたのは、“経験も何もなくていいからチャレンジしたい人おいで”みたいな部分で。あとは、そのときも記事に出ていた藤森さんの笑顔がよくて。…あんまりドラマとかなくて、すみません(笑)」

でも、今回の募集も似たようなところはありますよね。専門的なスキルはなくてもいい。

以前はどんなことをしていたんですか。

「大学院で建築デザインを学んでいて。農村の古民家とかが専門でした。生業から生まれる景観、みたいなことを勉強していて」

この地域にも関係のありそうなテーマですね。

「そうですね。木曽平沢は興味のど真ん中だったりして、面白そうだなって思ったのもあります」

地元は埼玉県。縁もゆかりもなかった塩尻へと、軽やかにやってきたような印象を受ける。

協力隊として、藤森さんと一緒に空き家対策に取り組んできた立川さん。

空き家の所有者にアンケートをとったり、手塚家別荘の向かいにある古民家を改修して自ら暮らしたり。さらにもう一軒を借り、地域の空き家から出てきた明治〜昭和にかけての家具や雑貨を並べて販売する「ふるもの市」という活動にも取り組んできた。

「平沢のまちを歩いていると、裏道で職人さんがごしごし作業しているような風景が日常のなかにあって。衰退しているといっても、ものづくりの現場がここまでぎゅぎゅっと集中している地域は珍しいので、外から来るつくり手にとっても面白いのかなと思います」

「隣組」や「講」といった古くからの風習がいまだに残っていて、隣家同士で花見に行くことも。

その一方、同じ漆器産業のライバルという関係から、独特の距離感もある地域だという。

「噂に尾ひれはひれがついて広がっていくこともあるみたいで(笑)。わたしは困ったことはとくにないんですけど、びっくりする人もいるかもしれません」

「そういうコミュニティの濃さをめんどくさがらずに、興味を持って飛び込める人がいいよね」と、隣で聞いていた左京さん。

「遠巻きに見られてることは、見守られてることの裏返しだったりするし。安心感を感じる人もいると思う」

「それに、朝5時からレタスの収穫手伝いに行ったり、家を直しながら住んだり、川で釣った魚を食べたり。彼女の話を聞いていると、生活を自分の手でつくることまで視野に入れた『ものづくり』に興味のある人は、増えているんじゃないかなと思うんですよね」

そんな経験の一つひとつが、もしかしたら観光客向けの体験プログラムへとつながっていくかもしれない。その意味でも、やはり施設のなかだけにとどまる役割ではないのだろうな。

最後に再び、立川さん。

「山とか川とか、まち自体のサイズもコンパクトにまとまっているところが、わたしは魅力に感じていて。もっとあそび倒せる場所なんじゃないかなって思うんです」

立川さんのスタンスは、地域をこう変えたい!という強い動機を持つより、もっと身軽なもの。それでいながら、着実に地域の力となっている感じがします。

この拠点を通じて、いろんな人が出会い、交流しながら、地域をあそび倒していく。その先に、また新しい木曽平沢の姿があるような気がしました。

(2020/1/16 取材 中川晃輔)

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