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考えるより動いてみよう
常識にとらわれず生きる
ものづくり集団

新型コロナウィルスの感染拡大よる自粛生活で、働きかた、生きかたについて考えてた人は少なくないと思います。

さまざまなことが変わり続けるなかで、自分はどう生きるのか。

考えることに時間を使いがちですが、この状況でもすぐに動き、行動しつづけてきた人たちがいます。

tamaki niimeはショールを中心につくってきたアパレルブランドです。

兵庫・西脇で続く播州織を再解釈。すべてが1点ものの心地よい作品をつくるため、コットンを育て、糸を染め、織り、縫い、販売するところまでを自分たちで行っています。

コロナ禍でtamaki niimeは15年かけてつくってきた業態を見直し「ショール屋を辞めて、マスク屋になる」と宣言しました。

常識にとらわれず、自分たちが直感的に正しいと思うことをする。

柔軟に試行錯誤を続けていくために、売ること・つくること・伝えることの役割を担い、これからのtamaki niimeをともにつくっていく人を募集します。

取材をしたのは6月4日。県をまたいだ移動を避けるため、オンラインで話を聞かせていただきました。写真は過去の取材で撮影したもの、新たに提供いただいたものを織り交ぜてご紹介します。
  
  
tamaki niimeの拠点があるのは、兵庫県西脇市。

飲食店や住宅が集まる市街地から車で10分ほど、里山と田んぼのあいだにtamaki niime Shop&Labは建っている。

これまでの取材を思い出しながら画面をつなぐと、いつものように慌ただしく働くスタッフの声が聞こえてきた。

「こんにちは!バタバタしちゃってすみませんね。元気にしてますか?」

画面の向こうから声をかけてくれたのは、代表の玉木新雌さん。そしてブランドをともに立ち上げたパートナーの酒井さん。

みなさんは最近どうですか?

「ニュースを見て眉間にシワが寄っちゃうときもありますが、外を散歩すればいつもの風景が広がってるんですよね。目の前の世界は今までとそう変わっていない。今一度現実を見て歩きましょうって思っています」

15年前に2人がこの場所でものづくりをはじめたきっかけは、江戸中期から続く播州織の職人に出会ったことだった。

やわらかなショールや着心地を追求した服など、目指しているのは唯一無二のものづくり。すべてを1点ものにするために、染めや織り、コットンを育てるところから自分たちで取り組んでいる。

畑で野菜を育てたり、ショップを訪れる人たちとお互いの得意なことを物々交換してみたり。自分たちがやりたいと思うこと、今必要だと思うことに挑戦し続けながら、50名ほどのスタッフと一緒に働いている。

「ここ2年くらいはスタッフを放し飼いというか、それぞれのチームに任せてきたんです。緊急事態宣言が出てからは陣頭指揮をとるようになって、ブランドの立ち上げ当時を思い出していました。売上がゼロになるかもしれない。潰れるかもしれない。スタッフの雇用は守りたい。すごい緊張感のある時間を過ごしましたね」

「どうしたら生きていけるかをみんな必死で考えて。意地でもなにか売らなきゃって思ったんです。だから今需要のあるマスク1本でいこうって腹も決められた。お店も閉めてるから、みんな今までと違う仕事をやってます」

マスクもやっぱり、すべて1点もの。身につけるだけで元気になりそうな色とりどりのマスクは、つくってもつくっても足りないほどたくさんの人の手に渡ったそうだ。

「オンラインショップもオープンしたばかりだったから、やりながら変えていくような状況でした。1階にあるショップの改装もしてるんですよ。空気が循環するように大きな窓をつけて、急ピッチで対策をしているところです」

この状況で、ひとまず休業するという選択肢もあった。けれど玉木さんたちは、できそうなことを見つけてはすぐに試し、改善し、走り続けてきた。

「マスクはね、スタッフのアイディアからはじまったんです。やってみれば、いいじゃん、すごいじゃん、いけいけー!って。新しくつくりたいものもあるし、秋冬のショールや服の準備もはじめます。やりたいことはどんどん出てくるけど今は人が足りないんです。柔軟に変化しながら、どんどん動いていける仲間が欲しいですね」

考えるより先に動いてしまう。そんな人が増えることで、この状況を越えた先でもおもしろいことが起きていく予感がある。

「つくるところから売るところまでを一貫して、自分たちでやっています。だから自分たちで決めて、すばやく変化していくことができる。やることもどんどん変わります。一連の流れを知っていたり、各工程と横のつながりがあるからこそ出てくるアイディアをもっとかたちにしていきたいですね」

「まだまだ課題はあるし、うちはそう甘くありません。だからこそお互い直感的にいいと思ったら、どんどんやってみようよっていう関係はできている。そんな荒波に揉まれたい人、ぜひっていう感じやね。うふふ」

やわらかく話をしてくれる玉木さんは、ビジネスにもスタッフにも、そして自分にもとてもストイックな人だと思う。

ここ数年は自分たちの行動が地球に対してどんな影響を及ぼすのかを最優先に考え、ものづくりや食のプロジェクトを進めてきた。

「私ね、東日本大震災のあと、自分たちの生活は自分たちで守れるようにしたいと思って。それで自給自足ができるように準備をはじめたんですよね。農業をはじめたし、電気も自分たちでつくりたい。まだまだなんですけどね」

「コロナがはじまったころにみんなで話したんです。明日仕事がなくなったらどうやって暮らしていこうか。私は鹿やイノシシを狩りに行くから肉は大丈夫。米は育ててるし、じゃああなたは川へ魚を。寝袋は各々用意しておこうとか。万が一お金の価値がなくなるようなことがあっても、みんなで生きていけることを確認しました」

まさかそんなことあるわけが、の“まさか”が現実に起こりうるのは誰もが思い知ったこと。

一緒に働くことは、仲間と生きること。こんな会話を交わせる相手がいるのは、とても心強いことだと思う。

今後はもっとこの輪を広げ、地域の人たち、遠くで切磋琢磨する友人たちとの関係もさらに濃いものにしていきたいと考えている。

「自分たちの生活はなんとかできるっていう保証があれば、もっと安心して暮らせるんだと思うんです。あの子の器を使って、あの人のつくった塩で味付けをするとかね。ものより人に意識がいくような、村みたいな関係をつくっていきたいって思っています」
  
  
そんな玉木さん、酒井さんと一緒に働くスタッフの1人が、広報や織りを担当している藤本さん。

「僕はミシンが多少使えるので、マスク屋になってからは縫製をしたり、オンラインショップ用の撮影をしたり。あとはショールをやめるっていうのがキャッチーだったのか、すごい量の取材を受けていました」

藤本さんがここで働きはじめたのは3年ほど前のこと。働くことになった経緯を聞いてみる。

「僕、人としゃべるのが苦手だったんですよ。人とつながるきっかけが洋服でした。ロックバンドに憧れて洋服を選んでいたら、自然と同じ趣味の友だちができるようになったんです。中学生のころから漠然と、服に関わる仕事をしたいと思っていました」

地元岡山から東京の大学に進学。一度就職してお金を貯め、服飾の専門学校に入学した。

卒業後の就職先に選んだのは服飾関係の商社。仕事を通して、業界の全体像を知りたいと考えていたそう。

「ちょうどファストファッションがどんどん入ってきた時期で。縫製工場が立ち行かなくなってきて、日本でものづくりをするのは難しいよねっていう空気が流れていたんです。俺は何をすればいいんだろうって悶々としていました」

「服飾業界を離れることも考えて転職先を探したものの、心躍るような会社は見つからず。そんなときに、たまたまSNSでtamaki niimeの求人広告が流れてきたんです」

そこに並んでいたのは「織物で世界一になりたい」「染色で自分たちの色をつくりたい」という言葉。なにをしている会社かはわからなかったけれど、惹かれるものがあった。

「当時の業界関係者からは聞いたこともないような、前向きな言葉がたくさん並んでいたんです。近くで開催していた催事に行ったら、作品がすごくきれいで圧倒されて。即決です。電話して、面接して、西脇に越してきました」

東京から、縁もゆかりもない西脇に来ることに不安はなかったんですか。

「不安というか、覚悟はしました。それまでの自分の価値観では、アパレルって都市で新しいものが生み出されるもの。地方に行くのはそれに逆行しているような感覚もあったんです。だけどもう、自分で見たものを信じるしかないですよね」

「最初は織り担当を希望しました。チームに配属されたものの、1年くらいは体力勝負の洗いの工程を任されていて、織りの機械には1年くらいまともに触っていませんでしたね。ちょっとずつ織りのことを学びはじめたころ、前任者が辞めて広報も任せてもらえることになったんです」

藤本さんはさらりと話すものの、織りも広報も未経験。広報はまわりに経験者がいるわけでもなく、なにから手を付けていいかもわからなかったそう。はじめてのことばかりの日々は失敗の連続だった。

「仕事の量というよりも、優先順位が常に変わり続けて、どうしたらいいか混乱する時期がありました。今でも大変ですけど、任されたからにはなにか爪痕を残したいじゃないですか。回数を重ねて、改善していくしかないですよね」

試行錯誤を重ねるなかで、やりたいことにも挑戦してきた。不定期開催しているものづくりワークショップ「コシラエ会」は、藤本さん発案ではじまったプロジェクトのひとつ。

地域の醤油屋さんと醤油づくりをしたり、デニムをつくっている人とインディゴ染めをしたり。社外の人も巻き込みながら、ものづくりの楽しさを伝える企画を考えてきたそう。

以前別のスタッフに話を聞いたとき、「週に1つは新しいアイディアを出す」という話を聞いたことがある。求められるハードルは高いように感じる。

「提案してボロボロになることもありますよ。だけどやり続けて、定期的に開催できるようになって、いろいろなゲストや参加者と出会うことができました。この仕事をはじめてから、人とつながることを楽しいと思えるようになったんです」

「あ、ちょっと待ってくださいね。ご紹介します!」

と画面の向こうに現れたのは、ぷくぷくとした赤ちゃん。藤本さんは1年ほど前に社内結婚して、この日は家族みんなで出勤しているんだろう。

「西脇でこんな暮らしが待ってるなんて、想像もしていませんでした。住みやすい田舎って感じで僕は気に入っています。播州織に携わっていた人も多くて、まだまだ学ぶべきことがある土地です」

藤本さんが健やかに働いているのは、自分から1歩を踏み出し、やるべきことを開拓してきたからなんだと思います。

おもいついたら、まずやってみる。

勇気とともに、荒波を越えていく人からのご連絡をお待ちしています。

(2020/6/4 オンライン取材 中嶋希実)

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