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好きでもない商品を売るために営業すること。これ以上増やすことに疑問を感じながらものを製造すること。
社会人として働いてお金をもらうには、自分にとって多少違和感があったとしてもやらざるを得ないことがある。そう思っていたときもありました。
日本仕事百貨で取材をしていると、その違和感を見て見ぬふりしない、諦めない人たちに出会うことがあります。
玉木新雌(たまきにいめ)さんもその1人です。
「しょうがないとか、まあこれでいいかっていうのはナシにします。諦めなくていい。tamaki niimeの第2章がはじまる感じやね。超える壁がたくさんあって、すごくワクワクしています」
tamaki niimeはショールをメインに展開しているアパレルブランド。作品はすべて1点もので、鮮やかな色彩とやわらかな着心地を大切につくられています。
アパレルに加えて農業や食にも挑戦。取り組む領域は関心に合わせて、どんどん広がりを見せています。
今回募集するのは、自分たちの考え方を外に伝えていく「伝える革命者」。
それに加えて作品づくりを追求していく「創る革命者」、世界に通用するブランドになるための道をきり拓いていく「未来創造者」も探しています。
常識にとらわれず、自分が正しいと思えることを考え貫く。諦めずに進んでいける仲間を求めています。
「tamaki niime Shop & Lab」があるのは兵庫県西脇市。
新大阪から長距離バスを使うと楽だけど、私は電車を乗り継いで向かうのが好きです。
進むにつれて山が近づいてきて、最寄りの「日本へそ公園駅」のあたりまでくると、電車は山をきり拓くように進んでいく。
田んぼ道を10分ほど歩いていくと、山のふもとに「tamaki niime Shop & Lab」が見えてくる。
扉を開けるとたくさんの色が目に飛び込んできて、それまでののどかな空気とは違う世界に入ったような感覚になる。
取材でここに来るのは3回目。
夏に募集した「web革命者」と「市場革命者」にはどんな人が応募してきただろう。
そんなことを考えながら2階にあるカフェスペース「tabe room」に上がると、代表の玉木さんが待っていてくれた。
「変な人がたくさん来たの。もう新築はいらないっていう建築家とか、アフリカでブランドを広げますとか、おもしろい人に会えました。もっと変な人に会いたくって、また募集します」
玉木さんは自分のことを人見知りだと言うものの、人との出会いをとても楽しそうに話してくれる。
先日は北九州のものづくりを世界に広げようとしている「うなぎの寝床」のみなさんがここへ来て、トークイベントを開催したそうだ。
「楽しくて、お客さんがいることも忘れてしゃべっちゃって。同じように戦いながらものづくりしてる人がいるんやって、興奮して夜眠れなかったの。それで、覚醒しました」
覚醒ですか?
「『tamaki niime』を確立するにはどこへ向かえばいいのか、ちょっと見えなくなっていた時期があって。それはブランドを立ち上げたときに持っていた世の中に対するアンチな熱さとか尖ってた部分が、丸くなっていたからだと気がついたんです」
14年前にブランドを立ち上げてからずっと、どうしたら唯一無二の存在になれるのかを考えてきた。
やわらかさを追求してショールをつくること。すべての作品を1点ものにするためにも、コットンを育てるところから、染めて織って縫って売るまでを一貫して自分たちでできる場所をつくること。
世の中に対する疑問を形にしながら、社会に問いかける挑戦を続けてきた。
「だんだんスタッフも増えてきたから食べさせないといけない。みんなの意見も聞きながら作品をつくりたい。そうしているうちに、守りに入っている自分がいることに気がついたの。私たちのやっていることが地球にいいかどうかをもっと追求しないとって」
玉木さんが大切にしている価値観のひとつが、地球にいいことかどうか。
技法や価格を考えると化学染料を使うのは仕方がない。やわらかさを重視するなら柔軟剤は使うしかない。ヴィーガンになって動物性のものは食べないものの、ウールは使わざるを得ない。
自分の信念からは外れていても、ビジネスとして成り立たせるためには仕方ないと思うことが増えていた。
「刺激をもらって、どうして諦めてたんだろうって気がついた。染料は天然のものを使ったらいいし、石鹸で洗ったほうが環境への負担は少ない。ウールがなくても温かい綿のショールをつくればいいでしょ」
超えるべき壁がたくさん出てきたとき、とてもワクワクしたそうだ。
「最終的にそれが水を汚さないとか動物を家畜で飼わなくていいとか。地球にとっていいことに派生していくんだったら、継続していける仕組みだって思ったの。周りができてないなら、自分たちがビジネスモデルをつくってやればいいんだって」
ブランドとして新しいフェーズに入る今、さらにおもしろい仲間を増やしていきたいと考えている。
「未来創造者」は、玉木さんとともに挑戦すべき壁を開拓して一緒に乗り越えていく人。
周りをびっくりさせるようなアイディアで、より強いブランドをつくっていきたい。
「伝える革命者」に求めていることのひとつは、日本、そして世界を飛び回ってtamaki niimeを外に伝える、営業的な役割を担うこと。
表面的な作品の鮮やかさややわらかさだけでなく、そこに至るまでの思考を伝えていってほしい。
「誰にでも伝えればいいっていうわけじゃない。tamaki niimeをおもしろいと思う、変人に会わなきゃいけないの。おなじ感性の人に出会う嗅覚と、へこたれない精神はいると思う」
もうひとつの役割は、今回うなぎの寝床から刺激をもらったように、おもしろい人をこの場所に連れてくること。
玉木さんやスタッフのみんなが創造力を広げていくためにも、いろんな人と出会いたい。
「やっぱりtamaki niimeを体感するには、言葉だけじゃなくて、ここへ来て五感で感じてほしいんです。周りにある自然やスタッフの出す空気を含めてtamaki niimeなので。ここには、絶対に外には行かない酒井もいるから」
酒井さんは前回の取材でも紹介した、玉木さんのパートナー。ブランドの立ち上げから今まで、2人で一緒に革命を進めてきた。
「みんなで常識をぶっ壊そうとしてるんだから、ここからは更に本気でぶつかっていかないと。それができなくて辞める人が出てくるのはしょうがない。玉木って情が深くもあり、すごくストイックやから。本気でプレッシャーをかけると人を壊しちゃうんですよ」
話を聞きながら、フフフと笑う玉木さん。
「私、破壊神やからね。プレッシャーからしか成長はないんだけど、その人がどこまで耐えられるか見極めるのはむずかしくて。やっぱりそこで逃げていく人も多かった。いろいろ考えてきたけど、スタッフに気を遣うのはもうやめることにしました」
とことんやろうとふっ切れた今、求めるクオリティは高い。
どんな人と働きたいか2人に聞くと、「変なやつ」という答えが返ってきた。
「常識のなかで生きづらいとか、本当の自分を出しきれてない人っているでしょう。変なやつらがやりたい放題やってるチームになったら、おもしろいじゃない?」
一緒に働いているのはどんな人たちだろう。
今「創る革命者」として働いているのが石塚さん。4年前に新卒で入社して、今ではショールや生地のデザイン全般を任されている方。
「隣町が地元で、おじいちゃんや親の世代を通して播州織のいいときも廃れていく時代も知っています。tamaki niimeのことも知ってたんですけどね。私自身、播州織にはあんまりいいイメージがなくて」
大学では染色を勉強したという石塚さん。
染色の仕事が多い京都で就職先を探してみても、ピンとくるところがなかったそうだ。
「地元に目を向けようと思って、久しぶりにtamaki niimeの作品を見たんです。染めのことを勉強したあとに見たら、なんだこれは?って」
「私が小さいときから聞いていたいわゆる播州織じゃない。織物の常識を覆しているっていうことに気がついて。背景を聞かなくても、作品だけで物語る強さを感じたんです。自分もこういうものをつくれたらかっこいいなって」
入社してからは作品の制作から販売まで、一通りの仕事を経験した。今は織り部門でショールやウェアの生地をデザインしているそうだ。
tamaki niimeのショールや生地はすべてが1点もの。
色鮮やかな糸は、あえてムラが出るように染めたり、色を混ぜて紡いだりしている。
どんなことを考えて、形にしていくんだろう。
「ショールだったら形が決まっています。その四角のなかにどうやって線で表現するのか、どんなラインを組み込むのかを決めていくんです。半分だけ柄を入れてみようとか、全部ボーダーにしてみて、先の太さを変えてみようとか」
デザインをして終わりというよりも、実際に巻いたときにどう見えるのかまで考える。1つつくって、アップデートしていくように次の作品をつくるそうだ。
「人が全員違うように、ショールも違うものでありたい。新鮮だし、そっちのほうがおもしろいと思うんです」
やわらかさや色の組み合わせなど作品へのクオリティを追求しつつ、ビジネスとして成り立たせるためにスピード感も求められる。
立ち止まることなく仕事を進める姿を見ていて、大変そうだと思ったのが正直なところ。
「うーん。私、あんまり大変って感覚ないんですよね。苦しさも乗り越える楽しさがあるというか」
「デザインひとつでも同じものをつくり続けるわけじゃないから、なにが良くて、なにを駄目とするか。玉木の感覚に追いつくには苦労がありますね」
常にあたらしいものをつくり続けるには、毎日黙々と作品をつくっていればいいというわけではない。ときには播州織の歴史を学んだり、外に視野を広げていくことも必要になる。
「ものづくりが簡単であり、むずかしい。むずかしくもあり、簡単というか。楽しさって、自分たちが必死に考えてつくったものが喜ばれることにあって。今までにないものをつくれたと実感できるときが、おもしろいですね」
「本気でおもしろいものをつくりたいと思っていなかったら、多分つくれません。これは人の言葉なんですけど、“楽しむことに命がけ”にならないとやっていけない場所だと思います」
石塚さんもほかのスタッフも、やわらかな印象を受ける人が多い。
話しているうちにわかるのは、奥の方にグツグツとしたなにかを握りしめているということ。
常識の枠をはずして正しさを貫くのは、簡単なことではありません。ともに戦い続ける人からの挑戦を待っています。
(2018/9/16 取材 中嶋希実)