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「ぼくは、まちの価値って個性だと思っていて。そのまちに根づいてきたDNAや財産みたいなものを、どう残していくか。今まさにそこが問われているんだと思います」
東京・大田区を中心に、不動産の大家業を営んできた有限会社仙六屋。代表の茨田(ばらだ)さんはそう話します。
「大家業をアップデートしたい」と茨田さん。住んでくれる人を受け身で待つのではなく、まちを読み解き、よりよくしていくために必要な不動産と人との接点をつくってきました。
京急線・梅屋敷駅のほど近くで運営する「仙六屋カフェ」もそのひとつ。カフェとオープンスペースを備えた空間です。
今回はここで働く人を募集します。
いくらか、飲食店での調理に携わった経験があるとよさそうです。何より大切なのは、まちへの関心。
人と、地域と、ゆるやかにつながっていく入り口として。試行錯誤しながら場づくりをしていける人を求めています。
梅屋敷駅前には、東西それぞれに商店街が伸びている。
夕方へと差し掛かる時間帯、多くの人が行き交う。昔からの商店もあり、賑わっている。
パラパラと降ってきた雨を避けて、高架伝いに歩くこと2分ほどで仙六屋カフェに到着。
店内では代表の茨田さんが迎えてくれた。
このあたりが地元だという茨田さん。実家はもともと海苔屋だった。
1964年の東京オリンピックに向けた開発を機に、不動産の賃貸・管理業を開始。周辺には技術力の高い町工場が集積していった。
「高度成長にはじまり、この50年間の変容の煽りを受けてきたまちなんですね。そして今もまさに、静かな変化のまっただなかにあるような状態で」
町工場や昔ながらの商店のなかには、経営に苦しむところも増えてきた。
産業やライフスタイルの変化を止めることはできない。とはいえ廃業してしまえば、培われてきた技術や文化もそこで途絶えてしまう。
まちの個性を未来に残していけないか?
そんな想いから、茨田さんはさまざまなことに取り組んできた。
「象徴的なのが、福田屋のクリームモナカですね」
福田屋は、長年地元で愛されてきた甘味処。クリームモナカはその看板メニューだった。
高齢となり引退した店主からレシピを引き継ぎ、町工場の協力を得て、使い古した機械をリペアするところからはじめた。
「福田屋さんは、ぼくも小さいころから通ってて。店を畳んだときは大騒ぎだったんですよ。感謝や思い出の手紙でシャッターが埋め尽くされて。それだけ愛されていたんですね」
「お店は継げない。ただ、クリームモナカだけでも残すことができれば、そこからいろんな形に展開していけるなと思ったんです」
現在は、仙六屋カフェで復刻したクリームモナカを販売中。さらに味のバリエーションを増やしたり、ギフトセットをつくったりと、さまざまな展開を考えているという。
老舗のメニューが受け継がれたこと。それ単体は、「まちづくり」という大きな視点から見れば、微々たる出来事かもしれない。
それでも、小さな積み重ねが個性を守り育み、やがてまちの価値へとつながっていく。茨田さんはそう信じている。
「まちに対して働きかけることの意味を、一人ひとりが信じられる。そういう社会がいいなと思っていて」
「行政やデベロッパーによる大規模な開発ではなく、小さくできることから発展させていく。“マイクロデベロップメント”っていう考え方を、うちでは大事にしています」
昨年オープンした仙六屋カフェは、そのための入り口。まちの人たちがアイデアを持ち込み、形にしていく場所になりつつある。
たとえば、蕎麦屋のおかみさんの個人的な文通から、インド洋に浮かぶ島国・モーリシャス共和国との交流イベントにつながったり。
地元の美容室とコラボレーションして、プロからキッズカットを学べる「パパママ美容室」を開いたり。
仙六屋の管理物件の入居者同士での交流会を企画したことも。
今回募集するスタッフは、日々のカフェ運営を担いつつ、こうしたイベントやワークショップもどんどん企画してもらいたいそう。
「今は夜の時間帯が空いているから、バーや定食屋をやってもいいですよね。建築家やクリエイターもこのあたりのエリアに関わっているので、一緒に何かできるかもしれないし」
「B面を引き出すというか。たとえば、普段それぞれの看板で営業している商店街のお店が、ちょっと挑戦的なことをしたいときにうちとコラボするとか。そういう場所にしていきたいですね」
じつは、ここから歩いて5分ほど離れたところにもう一軒、仙六屋が運営をはじめた場がある。大田区総合体育館に併設されたカフェだ。
取材日の6月18日時点では、新型コロナウィルスの影響を受けて休業しているものの、再開次第ここでも働くことになる。
仙六屋カフェとはまた毛色の違う感じがしますけど、どんな場にしていきたいですか。
「食とスポーツでいったら、健康というキーワードで括れるかもしれないですよね。あとは冗談めかして言うなら、国数英理社っていう5教科に対して、図工や体育、家庭科っておろそかにされがちじゃないですか。きっと、受験が前提にあるからだと思うんですけど」
「でも生き方とか人生っていう視点で捉えると、そっちの領域ってすごく重要で。梅屋敷は町工場のバックグラウンドもあるので、子どもと大人が一緒になってものづくりとか運動のことを考えるような場にもなりうるのかな、とも思いました」
話していると、一見バラバラに思える要素や課題も、茨田さんのなかではつながっているんだな、ということに気づく。
いろんな視点を行ったり来たり。ロジカルでいて、直感的なときもある。
「ぼくも半信半疑で。できるとしたら、こういうことじゃないか?というぐらいですよ。答えのないことに向き合って、あとは日々、仮説検証していく。その繰り返しです」
これから仲間に加わる人は、飲食の経験があるとうれしいけれど、「カフェはこうあるべき」という固定観念のない人がいいという。
「飲食店は肉体労働の側面もあるので、ガッツや踏ん張りも必要なんですけど、同時に違うハードディスクも動かせるというか。そういう柔軟さはいるかなと」
とはいえ、そこを両立させていくのはなかなか難しそう。
実際にカフェで働いている人は、どんなふうに感じているだろう?
続けて、スタッフの大野さんにも話を聞いた。
「せめぎ合いは常にありますよね。思い描いていることと、目の前の運営と」
どんな背景があったとしても、お客さんにとっての入り口はカフェ。飲食のクオリティやスタッフの動きひとつとっても、「いいお店だな」と思ってもらえてはじめて、その先の話ができる。
「それっぽいこと言って、カッコつけてるだけじゃんと思われたくなかったんです。お店として拙い部分というか、あれもこれもできていない…っていうふうに、はじめのうちはすごく悩みました」
「でもその葛藤がないと、つまらないお店になっちゃうなと思っていて。仙六屋のやっていることをどう噛み砕いてこの場所で表現するかっていうのは、一番おもしろいところであり、めんどくさいところですね(笑)」
もともとは、飲食店などから依頼を受けてグラフィックをつくる制作の仕事を10年以上続けていた大野さん。
その会社は自社でも飲食事業をやっていて、厨房に入って手伝うこともあった。
「最後の2、3年は飲食のほうに入る時間も多くて。すごいおもしろいじゃんって、そこで気づいて」
当時からこの近くに住んでいて、仙六屋カフェにはお客さんとして訪れた。
「福田屋が閉まったことも、ここで知ったんです。何回か行ったことがあったので、びっくりして。モナカ食べて、飲みもの飲んで、その日は帰ったんですけど」
「きれいなお店だし、何かやりたいこと、メッセージのあるお店なんだろうなって印象が残って。正社員の募集はしていなかったけど、履歴書つくって持っていって、ここで働かせてくださいって」
2ヶ月ほどの研修期間を経て、2月に入社。
現在カフェの正社員スタッフは大野さんひとり。アルバイトスタッフとともに切り盛りしている。
大野さんは、どんな人に来てほしいですか。
「頑丈な人がいいです(笑)。健康で元気な人。あとは、みんなすごい話すんですよ。ご飯食べてても、一緒に作業してても。考えを伝え合うことが多いので、それを苦に思わない人がいいかもしれません」
まちにとって、よい場所をつくっていきたい。
想いは同じでも、不動産部門とカフェの現場では、考え方が食い違うこともある。そこで意見を押し付けるのでも、考えを放棄して従うのでもなく、対話できることが大切。
コロナの影響もあって、思い通りにいかないこともあったという。大変なときには、日々の会話が支えになった。
「福田屋のお客さんが熱いんですよ。『50,60代で福田屋に世話になってないやつはいない』っておじいちゃんが来たり、若い方でも『モナカ、期間限定じゃないですよね?』って聞かれたり。『つないでくれてありがとう』と言ってくれる方もいます」
商店街の人たちも、まだできたばかりのこの場所のことを気にかけてくれているそう。窓の向こうを通りかかれば挨拶もするし、立ち話にもなる。
「このあたりに住んでまだ3年ですけど、地元の人になったみたいで楽しくて。ありがたいですよね」
「地域にひとつお気に入りの店があると、まちの解像度が上がるというか。そこに向かう道すがらで何か見つけたり、住んでいるまちが誇らしく思えたり。まだまだですけど、そんな場所になれたらいいなと思います」
最後に、不動産部門で働く山室さんも少し話を聞かせてくれた。
日本仕事百貨の記事を読んで入社し、カフェ部門に関わった時期もあるという山室さん。
今もオープンとクローズの作業を手伝っているほか、大野さんと一緒にグラフィックをつくることもある。きっと、身近なよい相談相手になってくれると思う。
「このまちは、いろんな属性の人がごちゃ混ぜになっているのがおもしろいんです。商店街もちゃんと機能していて、まちに生活がにじみ出ているというか。カフェで何かしていくときも、きっとそこからたくさんのヒントを得られると思います」
代表の茨田さんは、まちなかにものづくり拠点をつくっていくアットカマタという会社も経営していて、仙六屋カフェのすぐ隣にはコワーキングスペース「KOCA」がある。建築家やクリエイター、町工場の人たちと関わる機会も自然と増えていきそうだ。
「まちにとって、カフェはどんな役割を担えるか。それを考え続ける人だと思うんです。まちづくりには時間がかかるので、どうしても葛藤はあると思うんですけど、まだはじまったばかりなので。一緒にチャレンジを楽しめる人に来てほしいですね」
目に見える変化は、なかなか起こらないかもしれない。
地道といえば地道。報われないこともきっとある。
それでも、小さな試みがまちの個性を守っていくと信じるところから、本当の意味でまちづくりがはじまるのだと思います。
(2020/6/18 取材 中川晃輔)