求人 NEW

ここだから、今だから、
あなただから味わえるもの

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舞台は松山にある三越です。

1946年10月に開業。現在の建物は1991年に建てられたもので、2020年9月より一部フロアを営業しながら改装工事がはじまっている。

地方都市ながらも人通りが多く感じる大街道商店街の入口に位置しており、目の前には道後温泉にもつながる路面電車が走っている。

人通りも多くて、なかなか良い立地だと思うけれども、百貨店もまた時代の変化に合わせてアップデートしていかなければいけないのかもしれない。

今年の秋のリニューアルオープンを目指しているそうで、上階には以前紹介した茶玻瑠の新しい業態のホテルが入居し、地下には食の売り場ができる。

今回はこの地下、いわば「新しいデパ地下」をつくる求人です。

このために新しい会社が生まれようとしています。日本仕事百貨でも、何度も求人させていただいている福島屋と、地域のデザイン会社NINOがチームを組みます。

新しいプロジェクトということで、まだまだ決まっていないことも多いです。そういうことを一緒につくっていくことに面白さを感じられる方。そして、生産から加工、流通というように、食に関してあらゆることに関わってみたい方。ぜひ読んでください。



飛行機で松山へ。

松山と言えば、道後温泉。それに夏目漱石の『坊っちゃん』や司馬遼太郎の『坂の上の雲』の舞台でもある。そしてしまなみ海道もできたことから瀬戸内観光の出発点にもなっている。

個人的にも大好きな街で、看板や広告を見ていても、個人商店や地場の会社が根ざしていることを感じる。少し遠くにやってきたなあ、と思いつつも、落ち着く街。

そんな街を盛り上げてきたのが松山三越。

その地下に新しいフロアをつくろうとしているのが、NINOの二宮さんです。

空港からタクシーで訪れたのは、市街地から15分ほど離れた場所にあるNINOのオフィス。もともともやし工場だったところをリノベーションしてオフィスとしている。

中に入ると福島屋の会長、福島さんもいらっしゃった。

まずは二宮さんに話を聞く。松山の三越ってどんな場所なのでしょう。

「僕らにとって特別な場所なんです。百貨店っていうのは、思い出深い場所で」

「祖父が大工で、松山三越の建築に関わった人間なので、母から『おじいちゃんがあの階段つくったんだよ』とか聞いていたりして」

どんな思い出がありますか。

「家族で食堂に行くと、必ず祖父がハヤシライス、僕はお子様ランチを頼むとか。具体的なシーンがいろいろ思い浮かびます」

「ワクワクする場所なんですよね。行ったら何か買ってもらえると思ったし、正月はお年玉握りしめて行ったし。子どものころは、郊外にショッピングセンターも何もなかった時代ですから」

建築やデザインなどを学び、愛媛に帰ってからは、以前のように百貨店に訪れることはなくなってしまった。

「愛媛に帰ってから、もう18年くらい経ちました。すっかり足を運ばない場所になってしまいました」

「デザイナーとして、松山三越がどんな場所になったら良いか妄想していたんですよ。巨大なアトリウムは大理石を使っていて、今では考えられない空間になっている。海外でも昔の建物をリノベーションして使っていることは多くて。ここも同じようなことができるんじゃないかと思っていました」

そんなとき、松山三越が大胆なイノベーションを行うことが決まり、 地下のスーパーマーケットの運営することになった。

地下は、もともとスーパーマーケットや菓子店、コーヒー屋などが入居しているような場所。いわゆるデパ地下を想像してもらうのが早いかもしれない。

ただ、ここで二宮さんたちがつくろうとしているのは、デパ地下ではない。

食を通して、生産者と生活者をゆるやかにつなげる「コミュニケーションマーケット」だという。

具体的にどういうものをつくろうと考えているのか。

「日常的にいいものを正しく食べていただけるようなコンセプトを考えています。スーパーにはこだわりの鮮魚や野菜などが並びます。それとポップアップのお店も考えていて」

「マンスリーとかデイリーとかで、いろいろなお店に出店してもらおうと思っているんです。食材には旬がありますし、週7日、毎日同じ食材を提供できるわけではないですから」

たとえば、レモンの季節になったら、マンスリーで農家さんが販売することもあるかもしれない。もしくは毎週月曜日だけ、漁師さんが直接、魚を販売するようなことも面白そう。

「ただ、編集者がいないとなかなかうまく伝わらないと思うんです。その役割を担っていきたいと思います」

瀬戸内海から伊予灘、そして豊後水道に囲まれた松山や愛媛周辺には、豊富な食材で溢れている。

鯛、アジ、太刀魚、みかん、レモン、じゃこ天など。ほかにもおいしいものがたくさんあるし、季節によって移り変わっていく。

それらを編集しながら提案していくことで、新しい流通をつくっていくことが仕事、と言えるかもしれない。

これまでの地方の百貨店の役割は「東京で流通しているもの」にアクセスするための場所だった。

インターネットであらゆるものが全国どこでも手に入りやすくなった今、わざわざ百貨店に足を運ぶようにするにはどうしたら良いか。

ここでしか手に入らないものをつくるしかない。

そのためには既存の流通から再編集して、その地域だからこそ、その時期だからこそ手に入る食材を販売する。そうなれば、地域の人たちだけでなく、たとえば旅行者なども訪れる場所になる。

この新しいやり方を実践していくために必要なことはどういうことなのだろう。

二宮さんは次のように話してくれた。

「うちはデザインスタジオなんですが、『こういうことをしたいんだけど、どうしていけば良いかな?』とご相談いただくことが多いんです。デザインのためのデザイン をすることはほとんどなくて」

「困っていること、ゴールが明確なのにたどりつき方がわからないこと。それを解決するためのデザイン、編集だと思っています 」

自分たちだけが動いている限り、ずっと関わっていかなければならない。一方的に提供するのではなく、生産者やメーカーの人たちと一緒につくり上げていくことで、より多様で持続可能なものにしていきたい。

だから会社を立ち上げ、自分たちの責任において、川上から川下まで関わっていく。だからと言って、すべて自分たちがトップダウンで決めてしまったら良いわけではない。

覚悟を持って取り組みながらも、関わるみんながチームになっていくようなことを考えているんじゃないか。



さらにここに福島屋の考え方が入っていくことで、その考えは強いものとなる。

福島屋は個人的にもよく利用しているスーパーマーケットです。おいしくて安全なものを届けています。

一方で、これまで多くのスーパーマーケットが「誰が働いても同じ味、同じ品質を提供する」ことを追求してきたように感じる。

それは安全で効率が良いように感じる一方で、抜け落ちてしまうものもたくさんあったはず。たとえば、安定して仕入れることができないものや賞味期限が短いものを店頭に並べるのは難しかった。

福島屋は、それでもおいしくて安心して食べられるものであれば、扱うのを諦めるのではなく、どうやったら届けることができるか考えるようなお店だと思う。

たとえば、おいしいものがあっても商品になっていなければプライベートブランドとして商品化する。賞味期限が短いものであれば、販売日を限定して定期的にお店に並べるようにする。

一つひとつの商品ごとにやり方が変われば面倒なこと。でも他のスーパーマーケットと差別化できる方法と言えるかもしれない。

そんなふうに「ここでしか、今しか味わえないものを提供する」ために必要なことが、福島さん曰く、「生産者、加工事業者、小売の三位一体」だった。

食に関わる人たちがつながって、工夫を積み重ねていくからこそ届けられるものがある。



ふと福島さんがこんな話をはじめる

「このレモン、無農薬なんですけど、売れないんですよ」

瀬戸内のレモンって有名ですよね。でも売れないんですか。

「そうなんです。日本中、どこでも売れるわけではない。なぜかと言えば、食べ方を知らないんです」

食べ方?

「無農薬だから皮ごと使えるのね。たとえば、レモンを皮ごと擦って、水を入れて煮詰める。それを飲んだら風邪を引くこともないし、交感神経も高まるから更年期にも良い」

「売り場では、ただ売るのではなく、調理の仕方や食べ方まで伝えていく」

福島屋のお店が、まさにそういうあり方ですね。

「そう。本当においしいものは自然が醸し出したそのままのものなんです。無理をするから添加物を使うし、味が変わってしまう。ただ、食べ方がわからなければ、手に取る人もいないわけです」

「おいしさと健康を考えていくと、産地とメーカー、流通、そしてお客様のコンセンサスをとっていかなければいけない。そのために編集力が必要なんです」

編集力とは、産地、お店、そして生活者など、関わる人たちを真の意味でつなげていくこと。



最後にどんな人と一緒に働きたいか二宮さんに聞いてみる。

「何かを見て『こうしたらもっと良くなるのに 』と、ついつい考えてしまうような人に来て欲しいです。ジャンルは関係ありません。僕たちのデザインスタジオにも、今度は銀行マンが入社しますから」

ここでしかできないこと、今しかできないこと、そしてあなたにしかできないこと。そういうことが、この場所で実現できるように思いました。

最初の役割は小さいものかもしれません。でも続けていけば、大きなチャンスになる。

なぜなら食に関わる仕事の大きな流れとして、これまでは東京に向かっていたものが、その土地、そのとき、その人だからこそ味わえるものに向かっているように感じるからです。

産地に近づきながら、編集力も磨く。そのためには良い職場だと思います。

(2020/9/3取材 ナカムラケンタ)
※撮影時はマスクを外していただきました。

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