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町の自治力を上げる、
島の未来への伴走者

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「その人のいいところを探し出して、地域のいいものを一緒に磨いていく。人と深く関わる仕事なので、喜びがあれば悩みだってあります。一緒に悩む濃密な時間をすごす仲間がいるのが、この島なんです」

海士町(あまちょう)は、島根県の沖合に浮かぶ島。

人口2300人ほどのこの島では、高齢化や人口減少、財政難など、日本各地で課題となっていることに早くから向き合ってきました。

20年間にわたって教育や観光、水産など、地域の資源を活かした取り組みを続けてきたことから、地域づくりの先進事例として注目されるように。

さらなる未来を見据え、2018年に立ち上がったのがAMAホールディングスという第三セクターです。立場も年齢も越えて、海士町の自治力を上げていくための活動をはじめています。

ここでふるさと納税の一部を、島の未来づくりへと投資していく新たな取り組み「海士町未来共創基金」の事務局スタッフを募集します。

島の将来につながる事業の種を探し、ともに育てていく伴走者のような仕事です。

人が好きで、ついついおせっかいを焼いてしまう。そんな人に似合うと思います。

   

ジオパークにも認定されるほど自然が豊かで、青い海に囲まれた海士町。

日本仕事百貨ではこれまで、教育や食、漁業、観光など、さまざまなプロジェクトを取材して、この町で起きていることを紹介してきた。

地域づくりが次のステップに進みはじめたと聞き、AMAホールディングスの取締役、青山さんに話を聞いてみる。

青山さんが海士町に惹かれ、移住してきたのは2006年。

なにもできない若者だったと話す青山さんも、今ではリネンサプライの会社を経営したり、島の観光を盛り上げるプロジェクトの立ち上げに関わったり。最近オープンした観光の拠点となる宿泊施設「Entô」の代表も務めている。

「島の未来について、立場も年齢も関係なく、いろいろな人とさんざん話をしてきました。もっと島で事業をつくる人を増やしていく必要があるって話は、前からしていて。AMAホールディングスでようやく、挑戦の種や担い手が生まれる循環づくりに取り組むことになりました」

AMAホールディングスは、海士町が100%出資してできた第三セクター。

行政と民間、海士町のことを考え動いてきたさまざまな分野の人たちが一緒になって、島の未来のことを考えていく組織。

その最初の事業として取り組んだのが、ふるさと納税のあり方を見直すことだった。

「納税と返礼という、単純な関わりを超えるような関係をつくるために『海士町未来共創基金』を立ち上げました。ふるさと納税の一部を原資に、島で事業をつくる人を増やす。その様子を納税してくれた人たちに公開して、応援し続けてもらうサイクルを回す仕組みです」

ふるさと納税の一部を積み立て、島で事業をはじめる人を募り、実現に向けて事業資金を投資する。事業の進捗を公開し続けることで、納税してくれた島内外の人から、応援し続けてもらえるような仕組みを目指している。

「事業はなんでもいいわけではなくて。魅力的で持続可能な未来のために、人づくりと仕事づくりの好循環をつくることがポイントです。島の未来をつくる熱量に、今投資していく。どんな事業が生まれてくるのか、僕らも楽しみにしているんですよ」

今回募集するのは、海士町未来共創基金の事務局として動く人。島のなかから事業の種を見つけたり、一緒に事業計画を考えたり、審査の場をセッティングしたり。島で事業をはじめる人の背中をぐっと支えるのが仕事になる。

「特徴のひとつとして、500万円以上を使うという下限設定をしています。小さな事業に対して支援する仕組みはすでに役場にあるんですね。500万円以上を使う、それなりの大きさの事業になることを想定していて」

「最初から事業案がどんどん出てくるというのは、なかなかむずかしいと思っています。まずは町の人たちと話しながら事業の種を掘り起こしたり、事業の芯となる部分を一緒につくったり。そうやって伴走していく人の存在が、非常に重要だろうと考えているんです」

海士町未来共創基金の補助を目指す事業案には、計画段階から投資審査までのあいだ、伴走役のスタッフがつくことになっている。

イメージしているのは、ゴリゴリと事業計画を立ててアドバイスするというより、島の人たちが本音で話せるような人懐っこい人。一緒になって悩みながら、事業が芽吹く瞬間に伴走してもらいたい。

そう考えるにいたったのは、青山さん自身が、伴走者と呼べる仲間に助けられてきた経験があったから。

「僕にとっては、AMAホールディングスを一緒にやっている仲間がまさにそんな存在で。それぞれ別々の事業をやっていて、互いに試行錯誤している様子が見えている。やっていることは違っても、なんでも話せる相談相手なんです」

「最近で言うと、Entôという施設のコンセプトをオープン直前に違う視点を加えることにしたんです。彼らは、どうしてそういうことを言い出したのか、どこに可能性を感じているのかをすごく問うてくれて。結果的に、やりたいことを言語化することができました」

事業をつくり、続けていくことに、正解があるわけではない。

迷い続けるなかで、包み隠さず相談できたり、ときには反対の意見を投げかけてくれる相手がいることは、大きな自信になると思う。

「経営をしていると、何度も心が折れる瞬間があるんですよ。そんなときも、横を見ると一緒に走っている、ときには背中に手を添えてくれる仲間がいる。これって本当に心強いんです」

海士町未来共創基金には、すでに2つの事業案が寄せられ、投資を受けられるかどうかの審査会を目前に控えているところ。

今、伴走役として関わっている吉元さんは、海士町役場の職員。

この島で育った地元っ子で、大学生から島外で過ごし、この4月に島に戻ってきた。

「小学校か中学に通っていたころに、島の教育が変わりはじめて。授業のなかで島のことを考えるワークショップがあったり、島をプレゼンする機会もありました。いつか自分も帰ってきて働くのかなって、自然と考えるようになりましたね」

お父さんが役場で働いていることもあり、海士町を離れていた10年ほどのあいだも、島で起きていることは耳にしていた。

今は水産担当として港の工事の管理をしたり、漁師を増やすための施策を考えたり。さらには役場で新たに導入された職員の「半官半X」を促進する仕組みづくりや、AMAホールディングスの事務局と、さまざまなプロジェクトに関わりながら働いている。

吉元さんが伴走役を務めているのは、観光に来た人が釣りを楽しめる遊漁船の事業。

手をあげたのは、島で居酒屋を経営する方なんだそう。

「僕も小さいころから知っている人で。これまでも遊漁船をやっていたんですが、お客さんが増えるにつれ、回らなくなっていて。島が観光に力を入れている今、遊漁船に本腰を入れて運営していけるようにと、案を出してくれました」

海士町未来共創基金は、単にやりたいことを実現するだけではなく、海士町の未来につながる事業を生み出すためのもの。

個人のやりたいことが、必ずしも島の未来に直結するわけではない。

「何度も話をしながら、やりたいことと、島の未来につながる可能性が重なるところを一緒に探してきました。島内外の人に漁業の楽しさを感じてもらって、ゆくゆくは漁業に関わる人を増やすことにつながる事業にしようと、方向性が定まってきたところです」

事業を立ち上げ、続けていくのはあくまでも提案した本人。伴走役はおせっかいな人に向いているような気がするものの、ほどよい関わり方は常に探っていく必要があると思う。

吉元さん自身、水産の仕事に関わっていることもあり、自分の意見をどこまで伝えたらいいか、迷うこともあったそう。

「こっちが勝手にストーリーをつくっても意味がなくて。誘導したり、無理やりこじつけるのも違うし。そのあたりの塩梅はむずかしかったですね。話しているうちに盛り上がってしまって。実現したら、僕もときどき遊漁船を案内する人として関わり続けていくつもりです」

「人口が少ないから、自分のやっていることの効果が見えやすいんです。これをやったらこの人が喜ぶ、あの人にいい影響があるっていうのが想像できるんですよね。人の顔が浮かぶことが、やりがいになっているのかもしれません」

   

新しく入る人には、海士町未来共創基金の事務局に加え、AMAホールディングス、そして島内で起きていることを、島の人たちに伝えていく「島の広報部」としての役割も担ってもらいたい。

そのために具体的に動き出しているのが、島民向けのバスツアー。

どんなプロジェクトなのか、青山さんとともにAMAホールディングスの取締役をつとめる阿部さんに話を聞いてみる。

「町長がよく『みんなでしゃばる』って言葉を使うんですね。海士弁で、『みんなで引っ張る』っていう意味です。みんなで地域づくりを引っ張って、自治力を上げていく。そのためには、透明性の高い情報共有が必要だと思っているんです」

海士町では島の未来をよくしていこうと、さまざまな取り組みが行われている。けれど、島民みんながその様子を把握しているわけではない。

自分が住んでいる町の課題はなんなのか。今なにが起きていて、誰ががんばっているのか。

まずは”今の海士町”を知る人を増やしていきたい。

参考にしているのが、海士町と同じように移住者が多い、徳島県神山町の町民向けのバスツアー。

新しくできたベーカリーやコワーキングスペース、さまざまなプロジェクトの事務所など、町内に住んでいてもなかなか近寄りがたいところに、小さなツアーを組んで回っていくというもの。

「参加する地元の人や、訪ねる先の人たちとの関わりは、海士町未来共創基金の種を探すことにもつながっていきます。島のイノベーター層とマジョリティー層、いろいろな人と関係をつくりながら、新しい価値を発見する。そういう意味では、コテコテのまちづくりコーディネーターみたいな仕事かもしれませんね」

阿部さん自身も、13年前に海士町に移住してから、地元にどっぷり浸かって地域づくりの可能性を模索し続けてきた人。地域をよくしようと動き回るなかで、酸いも甘いも、いろいろなことを経験してきた。

「大切なのは知ることです。目の前にいる人はなにに喜びを感じて、どこに苦しみを感じて、本当はどういう願いがあるのかを知る。それは言葉にならないことも多いし、パッと聞いて出てくるものではないんですよね」

「夕方6時から飲みはじめて、グダグダ話を聞きながら夜中の3時まで続くってこともよくありました。最後の15分くらいに『今なんて言いました?』みたいな、その人の本音がポツリと聞こえることがあるんですよ」

島のなかで、それぞれに暮らしている人たちと関わり合いながら生きていく。

意見が食い違ってわかり合えないこともあれば、なかには苦手な人だっているかもしれない。

それでもなお、人生をかけて島の将来をよりよくしていこうとする阿部さんの愛情みたいなものは、どこから来るんだろう。

「自分が与えている以上に、めいっぱい与えてもらってきたんです。なにもできなかった僕らを受け入れてくれた島の人たちがいた。その人たちががんばっているから、僕らも一緒にがんばりたい。年齢関係なく、この町をよくしたいと思える仲間がいる。そういう、愛情の循環があるこの島が好きなんです」

仲間がいるからがんばる。

それがひとつの会社やチームでなく、島という単位でつながっているのが、海士町のすごいところ。

取材後、海士町未来共創基金の審査会が開催され、2つの投資決定がされたと聞きました。審査会では、参加者が感極まるような場面もあったそうです。

ここで生きてみるのもよさそうだと思えたら、まずは話を聞いてみてください。

(2021/8/17 オンライン取材 中嶋希実)

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