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朝、神様に挨拶をして
数字と人と、社会と向き合う
現代の神社のあるべき姿とは

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

全国にはおよそ8万社の神社が存在します。これは、全コンビニを合わせた約5万7千店舗よりも大きな数です。

ただ、2050年にはそのうち約3万社が消滅すると試算されています。

過疎化や後継者不足、神社の経営構造など、背景にはさまざまな課題が絡み合っています。現代のライフスタイルにおいて、神社が求められなくなってきている側面もあるかもしれません。

そんななかでも、神社の存続とあるべき姿を問い続けているのが、福岡・北九州にある和布刈(めかり)神社のみなさんです。

弥生時代から1800年にわたって続く和布刈神社。

32代目の禰宜(ねぎ)を務める高瀨和信さんは、さまざまな取り組みを通じ、傾いていた神社の経営を大きく改善。14年前の入社時と比べて収入は8倍に増加し、年間13万人だった参拝者数は29万人まで増えました。

さらに今年は、新会社を設立。神社×社会課題解決の事業モデルを全国に展開していきます。

今回は、そんな高瀨さんのもとで神主見習いとして経験を積みながら、新たな取り組みにも携わっていく人を募集します。

ビジネスの世界での経験を、まったく違う業界で活かしたい人。実家が神社でなんとかしたいと思っていた人や、かつて神職に就きながら一度離れた経験がある人も。この環境だからこそ見出せる可能性がきっとあると思います。

 

和布刈神社があるのは、九州本土では最北端の北九州市。最寄りの門司港駅からは、バスで10分、歩くと40分ほどかかる。

関門橋を見上げ、一日に大小700隻の船が行き交い、対岸には山口・下関のまちなみが広がる。ここもかつては、人の手の及ばない、自然が支配する土地だった。

流れの早い関門海峡を渡る際、人々が灯台のように目印にしたのが、御神体である大きな磐座(いわくら)。西暦200年に神功皇后が三韓征伐に勝利したことへの感謝を込めて、ここに月の神様を祀ったのが和布刈神社のはじまりと言われている。

高瀨家がここを守り継ぐようになったのは、西暦900年後期のこと。現在の禰宜の高瀨和信さんで32代目だという。

「当初は神職が公務員だったので、殿様から派遣されてここへ来たんです。家系図の巻物に高瀨高瀨…って文字が並ぶのを見ると、初代からぼくまでつながってきた歴史を実感しますね」

ここで生まれ育った高瀨さん。おじいさんは花屋、お父さんは古物商との兼業神職だった。

「小さな神社はどこもそうですが、正月のお賽銭が主な収入源で、それを12ヶ月で按分して暮らしていました。三が日に雨が降ると、お小遣いも減りますし、途端に暮らしが質素になるんです」

そんな家業を継ぐつもりはなく、かといってやりたいことも定まらないまま、「大学に行けば夏と冬の休みが2ヶ月あるよ」というお父さんの言葉を受けて進学。そこが神職の大学だった。

卒業後、すぐに門司へ戻ってきた高瀨さんは、おじいさんやお父さんと同じく兼業神職を目指して就職活動をしながら、神社の仕事を手伝っていた。

「入社して2年ぐらい、ずーっと草むしりをしてたんですよ。雑草まみれの荒れた状態で、看板は落ちてるし、参拝者も来ない、電話も鳴らない。することは草むしりしかないなと思って」

「就活のほうも、神社と掛け持ちしながらできる仕事はなかなか見つからない。そんななかでふと、神社だけで安定して暮らしていければすごくいいよなと思ったんです」

正月三が日のお賽銭頼みだから不安定なのであって、生活のなかで神社が必要とされる場面をつくっていけば、神主の仕事だけでも成り立つんじゃないか。

そこでまずは、思い入れのあるものを捨てるのは忍びないという人のために、神社でお祓いとお焚き上げをする「思物供養(しぶつくよう)」をはじめた。

Webサイトをつくって発信したところ、全国から供養してほしいというものが送られてくるように。徐々に収益も上がり、その資金で駐車場を整備すると、御朱印ブームも相まって参拝客が増えていった。

さらに、取り組みが広がるなかで、全国の伝統工芸や産業の復興に携わってきた中川政七商店にコンサルティングを依頼。決算や人事制度といった組織内の体制を整えつつ、2019年12月には授与所をリニューアルするなど、変化を遂げ続けている。

和布刈神社の歴代の神主さんも、高瀨さんのように新しいことに取り組んできたのでしょうか?

「その時代時代に応じて変化はしてきたと思います。ただ、今もけっして突飛なことをしているわけではなくて」

「仏教が伝来する6世紀より以前、海辺の人たちはご遺体を船に乗せて西の方向に流す、今でいう海洋散骨を、山に暮らす人たちは土に埋めて埋葬する樹木葬を行なっていました。そういった古来の弔いのあり方に立ち返って、あるべき姿に戻しているという感覚なんです」

日本での葬儀にかかる費用は、平均で百数十万円。諸外国に比べて明らかに高いという。

和布刈神社では、人生の終末に関わる一連の「終活」サービスを提供している。遺骨を海へ還して供養する海洋散骨をはじめ、遺言や葬儀など、もろもろ含めて約42万円で収まるのだとか。

高齢化に伴ってお墓やお参りに関する悩みを抱える人も増え、今では収益の6割を終活が占めている。生前から「自分が亡くなったら自然に還りたい」という相談も寄せられるようになった。

死にまつわる価値観はさまざまだし、現代の葬儀を必ずしも否定するものではないけれど、自然に還るシンプルな弔いのあり方がもっと当たり前になってもいい。

新会社では今後、神社を起点に社会課題の解決にもつながるような事業モデルを全国に展開していく。すでに青森で一社、加盟神社が決まっているという。

今回募集する人は、和布刈神社で神主見習いとして経験を積みながら、こうした新事業にも携わってほしい。

「前回までの募集は、美術館に一人で行くのが好きで、白湯を飲むような方を人物像としてイメージしていました。今回は少し違った立ち位置の3名とのご縁をいただきたくて」

どんな方がいいでしょう。

「1人は清掃や草の剪定など、神社の内側にこもらず外に出る方。自分からは話しかけないけど、参拝に来た方からよく話しかけられるよね、というような方がいいですね」

「2人目は、終活の申し込み対応などを担っていただける方。人生最後の契約をするにあたって、安心感を与えられるような、説得力のある方がいてほしい。そして3人目は、全体を見ながらサポートしてくれる方。普段はあまり表に出ず、いざっていうときに細かいことを助けてくれる調整役ですね」

できれば一般企業での経験があると望ましい。神職の学校を卒業して別の業界で働いている人はぴったりかもしれない。

また、いつか実家の神社をなんとかしたいと考えていた人も歓迎とのこと。和布刈神社で新しい事業モデルの構築に携わるなかで、将来に活かせるつながりも生まれるだろうし、きっと可能性が見えてくると思う。

 

「入ってみて、想像以上に“会社”だなって感じましたね」

そう話すのは、神主見習いの大澤さん。終活事業まわりで高瀨さんをサポートしながら働いている。

「それこそ今だと、新しい会社を立ち上げるために弁護士さんと話したりとか、Zoomで打ち合わせしたりする機会も多いので。今度来てくれる人も、神社だけのイメージで入ってくるとギャップがあるかもしれません。ほんとに毎日、わさわさ仕事しています」

終活の問い合わせや申し込みの対応など、デスクワークも多い。バックヤードを覗くと、書類が並んでいたり、電話が鳴ったりと、思った以上にオフィス感があった。

もともとは東京のユニフォームを扱う会社で働いていた大澤さん。神社に対して、深い興味があるわけではなかったという。

「何かお願いごとがあったら行ってみるか、っていうぐらいの感じで。みなさんが普通に関わるように、わたしも神社と関わってきました」

そんななか、日本仕事百貨の記事を読んで1年半ほど前に入社。縁もゆかりもない土地で、神主への道を歩みはじめた。

何が決め手だったんですか。

「神職って、神社に生まれ育った人しかなれないと思っていたので、なれるんだ!っていう驚きが第一ポイント。それにわたしは、生きるとか死ぬとか考えてしまう質の人間で。そういう想いを還元できる仕事はいいなって思ったんですよね」

“会社らしい”とはいえ、神社ならではの側面もある。

「朝来たら、お米やお酒をお供えして、みんなで大祓詞(おおはらえのことば)を読んで、神様に挨拶するんです。それは普通の会社ではまずないことですよね」

「あとは神社って、地域のおじいちゃんおばあちゃんがただ話すために集まる井戸端会議の場にもなっていて。ビジネス上の利害関係のない人たちと『今日は天気がいいね』って話ができるのも、神社らしさかなと思います」

一日のはじまりに着物を身にまとうだけでも、気持ちがグッと引き締まる。

緊張と緩和、ハレとケ、人間の社会と神様の世界。さまざまな境界を行ったり来たりしながら、神社がこの先も生き残っていく道を一緒に模索していける人だといい。

 

最後に話を聞いた櫻井さんは、表現部門の担当。

お参りや葬儀、神事などを現代のニーズに沿わせながら、いかに和布刈神社らしく提唱していけるか、考えて形にしていく役割だそう。

美大を出て、CMなどをつくるアートディレクターを目指したものの、東日本大震災をきっかけに価値観がリセットされてしまったという櫻井さん。

回転の早いものではなく、長く残していけるものをつくりたい。大学院では現代美術を専攻し、その後もアニメーション作家の美術制作やフィギュアの彩色など、ものづくりの現場で経験を重ね、和布刈神社へとやってきた。

「自分で何かつくっていきたいっていう気持ちはまだあって。神社の原点って、雨が降ってありがとうとか、実りに感謝してっていうような自然崇拝だと思うんです。それを表現したものが、土偶や埴輪だっていうのがわたしの解釈で」

「そういったものをつくって展示したり、新しくお祭りをはじめたり。神社の根源的な部分に通じるものを、ここでならいろんな形で表現していけそうだなと思っています」

和布刈神社では、旧暦の元日にあたる2月頭の真夜中に、海へ入ってわかめを刈る「和布刈神事」が1800年続いている。

また、神社の敷地内には、作家による器や衣類を並べたお店「母屋」が併設されている。神事やお店をきっかけに、美術やファッション、ものづくりに携わっている人が神社を訪れたり、ともに何か企画したりするような動きも出てきているという。

“変わらないために、変わり続ける”

これは、過去3回の取材で高瀨さんが繰り返し語る言葉のひとつです。

大切な誰かへの想いや、生かされていることへの感謝を伝える方法は、参拝することに限りません。それでもなお、神社が果たせる役割があるとしたら、どんなことだろう。

和布刈神社では、1800年の歴史を未来へとつないでいく挑戦が今日も続いています。

(2022/6/9 取材 中川晃輔)

※撮影時はマスクを外していただきました。

表現部門の担当・櫻井さんが入社するまでの道のりは、コラム「しあわせな転職」でも紹介しています。あわせてご覧ください。

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