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食材が生きている島で
和食と向き合う1年

「島食の寺子屋で学べるのは、あくまでも和食の基礎。その後、働きながら学ぶことも多いです。ただ、やっぱり海士町で経験したことは、自分のなかでひとつの“芯”になっていると思います」

「季節感とか、食に対する価値観とか。卒業して4年経った今でも、この時期の海士町はこんな景色だったなって、山や空の様子をよく思い出しますね」

そう話すのは、島食の寺子屋を1期生として卒業した松﨑千香さんです。

島食の寺子屋は、島根県の沖合に浮かぶ離島で、1年かけて和食を学ぶプログラム。

その舞台となる海士町へは、本土からフェリーで約3時間。東京から飛行機や電車を乗り継ぐと1日がかりです。

都市部のように、なんでもすぐに手に入る便利な環境ではないからこそ、季節ごとの食材の生きた姿を五感でインプットできる。生徒たちは1年間この島に暮らしながら、プロの料理人から和食の基礎を学びます。

包丁の使い方や出汁の引き方など、基本を押さえたら、あとは決まったカリキュラムはありません。その日その日、島でとれる食材は天候や、生産現場の状況によって変わる。そこで、何ができるか、何がしたいか。生徒たち自身も考えて学び取る主体性が必要です。

そんな島食の寺子屋で、今年もまた生徒募集がはじまりました。

日本仕事百貨では2018年度の1期生の募集から活動を追いかけて、今年で6回目の取材となりました。卒業生も、延べ10人に。5期生となる2022年度は8名の在校生がカリキュラムを受講中です。

島での経験を糧に日本料理の道に進む人もいれば、いくつかの飲食店をかけ持ちしながら料理を続ける人、生産地の近くで働くことを選ぶ人、その進路はいろいろです。今回は、島食の寺子屋を1期生として卒業した方に話を聞きながら、島食の寺子屋の活動を紹介します。



卒業生の松﨑さんを訪ねてやってきたのは、長野県塩尻市。

古くからの宿場町・奈良井に、松﨑さんが働く宿BYAKU Naraiがある。

宿のレストランに使われている建物はもともと「杉の森酒造」という由緒ある酒蔵で、現在もなかで日本酒の醸造が行われている。

お昼過ぎ、キッチンに伺うと、さっき仕入れたばかりだというシナノユキマスが3匹、水の中に揺らいでいた。

手で触れるとビチビチ暴れて飛沫がたつ。まだ生きようとする姿に、生々しい実感が湧き上がってくる。

今からこれを松﨑さんが捌く。

「魚も、海と川と、生きている環境によって身のつき方が違うんです。今まであまり川魚に触れたことがなかったので、最初は戸惑いました」

話しながらもテキパキ作業は進む。魚の頭を落としても、体はビクッと動く。包丁を握る手に、グッと力が入る。

最後に塩を振り、さっきまで力強く抵抗していた魚たちは、あっという間に食材となって冷蔵庫に収められた。

作業が一段落するのを待ち、松﨑さんに話を聞かせてもらうことに。

「私が島食の寺子屋に入ったのは新卒のときです。大学で栄養学を学んでいたんですが、どういう就職先が自分に合っているのかわからず卒業間際まで迷っていて。そんななかで島食の寺子屋の存在を知って、『これだ!』って」

「迷いはなかったです。もともと長崎の島で育ったので、田舎暮らしに抵抗はなかったし、実際に地域の人はすごくウェルカムだった。不安より、島で採れるものだけで料理を学ぶってどんな感じだろうって、ワクワクのほうが強かったです」

2018年度の生徒は、松﨑さんを含め2名。先生を入れても3名の小さな規模で1期生はスタートした。

畑で野菜を収穫したり、山で山菜を採ったり、教室で魚捌きを何度も反復練習したり。少人数ならではの近い関係性が、不思議な感じだったという。

「先生からは『どうしたい?』って聞かれることが多かったです。行ってみたいところ、やりたいこと、自分から興味や好奇心を持って、学びにいく姿勢があるほうがいい。そうじゃないと、1年間のんびり過ごして終わっちゃうかもしれないですね」



学びたいという意欲があれば、教材は島のいたるところにある。

この日、一緒に話を聞いていた島食の寺子屋の受入コーディネーター恒光さんが、島の近況について話してくれた。

「島で採れる食材だけを使って料理をするので、逆に言うとないときはないんです。最初のころはみんな、メニューから先に考えてしまって、『本当にこの食材が島にあるか、自分の目で確かめたの?』って聞くと、『見ていません』って言うんです」

それで結局、振り出しに戻るのは、教室ではよくある光景。

頭で考えるよりもまず、食材の生まれる現場を見る。旬のリズムに合わせて、料理を形にする。

最近、島のなかでワサビの自生地が見つかったのだと、恒光さんはうれしそうに続ける。

「実は初年度からずっと探していたんですけど、見つからなくて。最近、地元の人が『あったぞー』って電話をくれて」

「そうやって、時季を逃さず自然の食材を追いかけていくだけでも結構大変だし、毎年、同じ体験ができるとは限らない。そのときどきで、島にあるものを生かしながら、学びに変えています」

島にある「離島キッチン海士」に予約が入れば、先生とともに会席のコースに取り組み、現場での経験を積む。

コロナ禍以降は、「大人の島留学」という長期滞在者のために、生徒が自分でお品書きから考えて完成させる「島食の留学弁当」づくりもスタート。日々五感でインプットしたものを、どうアウトプットするか、みずから考えて実践する場も広がってきた。

さらに授業以外にも、おにぎりの直売や、オンラインでの料理イベントなど、地域の人たちの力を借りて、生徒がそれぞれの興味をかたちにする挑戦も増えている。授業以外で、やってみたいことを試してみられるのも、この環境ならでは。

真剣に取り組むほど、1年間は怒涛のように過ぎていく。

季節が一巡りするころ、生徒たちは3月の卒業に向けてそれぞれの進路を決め始める。松﨑さんは、その後どうやって今の職場にたどり着いたんだろう。

「私の場合、年末は授業の一環として京都でおせちづくりのお手伝いをさせてもらって、その後、銀座にある日本料理屋さんに就職しました」

食文化の中心地で、調理の技術や接客の仕方、料理人としての考え方をあらためて学んだという松﨑さん。

一方で東京にいると、生産地との距離を感じることも。

「海士町では海も畑も目の前にあって、誰がどうやってつくったものか、顔が見えるのが当たり前だった。市場を通ってくる食材はそれがわからないんだなあって」

「実は私の父も生産者で、牛を育てる肥育農家をしています。その努力を間近で見て、もっと生産者が正当に評価される社会になったらいいのにな、そのために自分も何かできないかなって、ずっと思っていました」

やっぱり自分の大事にしたいものは地域にある。

都市部で働く日々のなかで、もともと抱いていた思い強くするようになった松﨑さん。

知人を通じて今の職場の存在を知ったとき、島食の寺子屋に出会ったのと同じようにピンとくる感覚があったという。

塩尻で働きはじめて約半年。最近は仕事の合間を縫って、地域の生産者さんたちにみずからアポをとり、現場を見せてもらいに行く。

「海士町にいるときは、先生が生産者さんと関係をつくってくれて、私も“寺子屋の生徒”として地元の人に認識してもらえていたから、いろんなところに入っていきやすかった。ここでは、一人の人間としてお仕事の現場に入れていただくので、コミュニケーションは試行錯誤の連続です」

「私、もともとそんなに人づきあいが得意じゃないので、本当に、毎回『えいっ』て飛び込むような気持ちで」

そもそも海士町のような離島って、人間関係が濃密なイメージですが、島食の寺子屋に入学する時点で躊躇はなかったんですか。

「まあ、何とかなるかなって。それよりも、自分がやりたいことが大事でした。それに、せっかく離島まで来たなら、苦手なことから逃げないで、やってみようって思えるところもあったかもしれません」

今までの日常から、切り離されて過ごす1年。

キャリアをストップして飛び込むのは勇気がいるけど、自分が本当に大事にしたいものはなにか、きちんと問い直す時間になっているのだと思う。

「技術だけ学ぶなら専門学校のほうが効率的だけど、やっぱり、あの環境でしか学べないこともある。結果、何を得るかは人それぞれ違うので、これから島食の寺子屋で学ぶ人たちも、しっかり自分の目的意識を持って、充実した1年を過ごしてほしいなと思います」



食を通じて、生産者のことをもっと伝えたい。そんな目標を抱く松﨑さんにとって、今の職場は理想の環境なのだそう。

一緒に働く、シェフの友森さんにも話を聞かせてもらった。

「マツは、いい意味で変なやつですよ(笑)。めちゃくちゃ料理が上手なわけじゃないし、すぐテンパるし不器用だけど、チャレンジ精神がある。技術は時間をかければ誰でも上手くなる。それよりも生産者さんや食材にちゃんと意識を向けられるかどうか、料理人はそういう性根の部分が大事だと思います」

友森さんは、毎日3時間ほどかけて木曽谷をぐるりと一周し、その日の食材を集める。

途中、畑でお茶に誘われれば、帰りが2時間遅くなることも。

「塩尻は本当に野菜偏差値日本一のまちで、地域のなかでフルコースがつくれるんです。僕たち料理人は、よくできた食材にちょっと手を加えて出しているだけ。牛がどうやって生まれるか、魚がどうやって泳いでいるか。生産の現場を知るのはすごく大切なことだと思います」

友森さんは、塩尻市内でもう一軒フレンチのレストランを経営している。

専門学校を出て横浜で修行し、フランスへ。当時は、いつかミシュランの星をとってテレビに出るのが目標だったそう。

その価値観を変えるきっかけになったのは、アビニョンという街のビストロで働いていたときのこと。

「毎日近所の人たちが、これ採れたぞって、わけのわからない鴨とか芋とかを持ってくるんです。市場に並ぶ食材しか見たことがない僕にはすごく新鮮で、地域の人たちと一緒につくり上げていくのは、めちゃくちゃ楽しかった」

そうやって、思いがけず規格外の食材と出会うのは、島食の寺子屋の学びにも似ていますね。

「若いうちは、生産現場のすぐ近くで料理ができる素晴らしさは分かりにくいかもしれないけど、やっぱり20年くらいたつと、その経験の差は大きく開いてくる。せっかく島食の寺子屋っていう学びの機会が用意されているなら、本当に若い人には『まず、行け』って言いたいです」

知識を詰め込む前に、五感でインプットしていく。

これから料理を志す人にとって、島食の寺子屋という選択は、今はまだ「少し変わった進路」かもしれない。

だけど、その経験を通して身につけたマインドを求める現場は、確実に増えているように思います。

島での1年で、何を身につけられるか。まずは見学に訪れてみてください。

(2022/8/19 取材 高橋佑香子)

※撮影時はマスクを外していただきました。

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