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まあ、やってみよう!
島がよろこぶことを
本気で、自分たちで、

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

島根の沖合に浮かぶ島、海士町(あまちょう)では、さまざまな地域の課題に早くから向き合い、町が一丸となって試行錯誤を続けてきました。

移住する人も増え、まちづくりの先進事例として注目されることも少なくありません。

その状況に甘んじることなく、この島には、前向きに挑戦し続ける空気が漂い続けています。

AMAホールディングスは、海士町でまちづくりを担っている第三セクターです。

役場と民間が連携しながら、新たに事業をはじめる人を応援する「海士町未来共創基金」の運営など、島の未来を見据え、さまざまなことに挑戦しています。

今回募集するのは、今ある事業、そしてこれからはじまっていくプロジェクトをともに試行錯誤しながら進めていく、まちづくりコーディネーター。

地道な事務作業から、町の人とのコミュニケーション、プロジェクトの運営など、島を元気にするため、さまざまな仕事を担っていくことになります。

求めているのは経験よりも、目の前にあること、目の前にいる人のために、自分の力をめいっぱい出せること。

仕事も暮らしも、人との距離が近いこの島は、素直な人に似合う場所だと思います。

  

本土の港から、フェリーに揺られて2時間ほど。

真っ青な海に浮かぶ海士町では、2300人ほどの人が暮らしている。

コンビニもチェーンの飲食店もないけれど、ここで暮らす6人に1人は島の外から移住してきた人たち。

AMAホールディングスの大野さんも、8年前、東京からこの島にやってきた。

「去年の春に、住んでる地区の公民館長に指名されてさ。ようやく仲間と認めてもらえたっていうか、地域に根ざしていると思ってもらえたんだなって、うれしかったね。やっとスタメンになれたって感じかな」

東京では大学職員として、外部資金の獲得やグローバル化の推進を担い、バリバリと働いていた大野さん。

教育関連の事業をはじめようと独立。視察と営業をかねて海士町に遊びにきたとき、持続可能な教育と地域づくりに取り組む隠岐島前教育魅力化プロジェクトのメンバーから、コーディネーターとして働かないかと声をかけられた。

1年後には魅力化プロジェクトのリーダーに。公立高校では日本初となる、学校経営補佐官にも就任した。

さらに、役場やほかの会社の人たちと協力しながら「島の人事部」というプロジェクトを立ち上げたり、友人とともに電力会社をつくったり。

AMAホールディングスには2018年の立ち上げ時に取締役に就任。ふるさと納税の寄附金額を6倍にするなど、事業をグイグイと引っ張ってきた。

「なんていうのかな、ちょっとずつ教育からはみ出してきただけなんだよ。それ、やりましょうか?って職務を1歩出てみたり、おもしろいかもって会社をつくってみたり。未来により希望が持てるように動いているうちに、気づいたらこうなっちゃった感じなんだよね」

大野さんが取締役を務めるAMAホールディングスが立ち上がったのは、2018年のこと。

それ以前も海士町では、高齢化や人口減少、財政難など、日本各地で課題となっていることに早くから向き合うため、教育や観光、産業などの地域の資源を活かし、行政と民間の枠を超え、一丸となって取り組みを進めてきた。

魅力的で持続可能な島であり続けるため、AMAホールディングスでは町の重要な資金源であるふるさと納税を増やすことに加え、その約25%を島で新たな事業に挑戦する人に投資する「海士町未来共創基金」の運営を担っている。

「つくりたい未来を実現するためには、攻めと守りのバランスが大事。行政の公助や個々の自助があるのはもちろんだけど、より主体的な住民の動き、この島ならではの共助を引き出せるように動いていこうと思ってるんだよね」

具体的な事業は、今もさまざまな人たちと対話を重ねつつ考えているところ。

小さな島の未来に危機感を持ちつつも、これから待っている挑戦を楽しそうに話してくれる。

「海士町にいると、『やってみよう』って言葉をよく耳にするんだよ。でかいかしょぼいかはどうでもよくて、どんなことでもいいからまずはやってみる。その前向きなエネルギーって人に伝わってくんだよね」

「元気な人が増えれば、おすそ分けしようとか、誰かを助けようっていう共助の力も出てくる。そうなれば、楽しいことが起きそうな予感がするじゃない。共助の仕組みが離島の海士でアップデートできたら、ここから都市や世界を変えていくようなこともあると思うんだよ」

島の元気のために、多くの時間を使っている大野さん。

移住してきたこの場所で、なぜそこまでしようと思うんだろう。

「俺、2年前から田んぼやってるんだけどさ。ぜんぜん雨が降らなくても、みんなで『困ったな』って。自然に抗えないというか、コントロールできないことがあるって肌感でわかったんだと思う」

「東京で仕事して、ここに来た当時はそれなりの自信もあった。だけど、いろんなことをやらせてもらってきたなかで、自分が持ってる感覚とか知識って、たかが知れてるんだって思い知らされたんだよ。自分のなかにあった、まだ知らない感覚に出会うことの方がおもしろい。人生を大きく変えてくれたこの島に対する感謝がすごくあるんだよね」

都会とは違う生活、この島で続いてきた文化、挑戦し続ける町の人たち。

この土地にあるものとの出会いを重ねながら、自分の手で暮らしをつくる一員として、覚悟が深まっていくような時間を過ごしてきた。

「それに、全部がだいたい見える心地よさがある。自分がつくったお米を誰が食べるとか、自分がやっている事業が誰のためになっているのかわかる。手の届く範囲に仕事と暮らしがあって、一緒に前を向いて挑戦していこうっていう仲間がいる。それが、おもしろいんだろうね」

  

そんな大野さんとともに働いているスタッフの1人、田中さんは、昨年の春ここに移住してきた方。

大阪でNPOを立ち上げたり、スタートアップを支援するイベントのオーガナイザーとして活動したりしていた時期もある田中さん。

海士町には親子島留学という制度を使って、大阪から移住。ショッピングする場所もなく、休みの日になにをしていいか戸惑ったそう。

「日本仕事百貨にAMAホールディングスの募集が出ているのを見つけて、人と未来に投資するっていうのがおもしろいと思ったんですよね。一生懸命な人、熱量のある人たちの姿を見るのが好きなんです」

担当することになったのは、島で持続可能な事業をはじめたい人に対して事業資金を投資する「海士町未来共創基金」。

事業をはじめたい人を募ったり、エントリーしてきた人たちのプランが審査を通過するようサポートしたり。挑戦する人の伴走役として、日々さまざまな仕事を行っている。

昨年度採択されたのは、海を綺麗にするといわれているナマコの育成事業と、海を好きになる人を増やすためのマリンボート事業。今年度も21件のエントリーがあった。

「最初はビジョンがざっくりしていることが多いんです。たとえば、海に関するなにかをしたいとか、環境にもいいことをしたいとか。リスクを背負ってビジネスをはじめるわけなので、現実的なことを決めてないといけないんですよね。付箋を並べて、一緒にワークショップしながら考えてきました」

同じ目線でディスカッションするために、環境や農業に関する本を読み込んだり、研修に参加したり。応援するため、できることはとことんやるという田中さん。

審査員に事業の弱い部分を指摘されると、一緒にくやしがれるほど、自分ごととして取り組んでいる。

「ビジネスを考えるときって、ああでもないこうでもないって、いろいろ迷っちゃうんですよね。だけど、本当に事業をつくろうとする人って、覚悟を決める瞬間があるんです。表情も、出てくる資料も、発言も変わっていく。それを横で見ているのがすごくうれしいんですよ。応援が好きっていうか、ただのおせっかいなんですけど」

働きはじめて1年弱。

ここでの仕事には慣れましたか。

「どの自治体もやったことのないことにチャレンジしようとしているわけで。まだまだゼロイチのフェーズなので、決まっていないことばかりです。次々と壁がでてきて、考えて、行動して。考えている暇もないくらい、まあカオスです。それでも楽しむしかないって思っているうちに、日々が過ぎていきます」

「AMAホールディングスのメンバーもみんな個性的で。大野さんは誰よりも考える人っていう感じがします。頭が切れるし厳しいことを言うけど、最後は人を見捨てない。だからみんなもついていけるんだろうなって」

今回募集する人には、田中さんのように今ある事業に取り組むと同時に、大野さんが先陣を切ってつくっていく事業にも関わってもらいたい。

プロジェクトを動した経験がなければ、まずは大野さんの右腕的に、さまざまな仕事を一緒にやってみるところからはじめる予定。大野さんと過ごす時間も長くなると思う。

最後に話を聞いたのは、隠岐島前教育魅力化プロジェクトのコーディネーターとして働いている山野さん。

5年間、この島で大野さんとプロジェクトを進めてきた山野さんに、一緒に働くコツを聞いてみる。

「大野さんとはじめて会ったのは東京で働いていたときで。懇親会でたまたま席が隣になって、海士町に遊びにおいでよって言ってもらって。その1年後には移住して、一緒に働くことになりました。上司というか相談相手というか、ずっと支えてもらってきた感じがあります」

今ではベテランスタッフとして、プロジェクトを引っ張る存在になった山野さん。

プロジェクトの過渡期やコロナ禍と、苦楽を共にしてきた大野さんは、どんな人でしょう。

「まずは、陽気なおじさんですね。にぎやかでいろんな人に親しまれる人でありつつ、仕事に対して求めるレベルは高い。本気でやっているかどうかはシビアに見ているので、厳しいと感じる人もいるかもしれません」

「僕も最初は空回りばっかりで、はっきりと『求めてるレベルと違う』と言われたこともありました。それって裏を返せば、大野さんがやればできることを委ねてもらって、我慢強く支えてもらっていたんですよね。完璧でなくても、当たって砕けながら成長していくことを楽しんでくれる人だと思います」

一緒に働いてきて、印象に残っていることはありますか。

「そうですね。ぱっと頭に浮かぶのは、高校に男子バスケ部をつくる話が出たときのことです。生徒が少ないのに部活を増やすのはどうなんだとか、いろんな意見があったんですが、大野さんは、やろう!って、道を切り開いていった感じがあって」

新しいことをはじめようとするときには、心配したり反対する人が出てくるもの。

踏み込んでいくのが茨の道とわかっていても、とことん議論して、やったほうがいいと思ったら突っ込んでいく。そんな姿勢についていこうと思える人は、きっとうまくやっていけるはず。

最後に、大野さんから応募してくれる方へのメッセージをご紹介します。

「新しいことに出会うのを怖がらない人、元気をおすそ分けできる人と働いていきたいよね。まあ、まずは一度島に来てみなよ。そしたらごはんごちそうするからさ」

2022/1/25 取材 中嶋希実

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