求人 NEW

「縫製+◯◯=?」
田んぼのそばで見つける
あたらしい暮らし方

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

布を重ねて、縫っていく。

縫製の仕事は、シンプルな作業の積み重ね。

そのシンプルな仕事と、自分がチャレンジしたいことを足し算して暮らせるとしたら、わたしなら何を足すだろう。

舞台は山口県萩市にある、田万川(たまがわ)という地域。

昔ながらの地域の営みのなかで田畑と縫製を兼業するおばあちゃんたち、インドネシアから来てひたむきに手仕事を学ぶ若い女性たち。田んぼに囲まれた縫製工場では、いろんな生き方が交差しています。

デニムを中心に、OEMやオリジナル商品などの縫製をおこなっている、ナイスコーポレーションの田万川工場。

今回募集するのは、ここで縫製の仕事を担う人です。

未経験でも大丈夫。ベテランの人も、まだ仕事をはじめて数ヶ月の人も、それぞれが補い合うように、気持ちよく仕事を進めるチームワークがある現場です。

縫製の仕事のかたわら、農業や飲食業、まちづくりなど、地域のつながりを活かした「もうひとつ」の仕事への挑戦も応援したいそう。

何を足し算できそうか、ぜひ想像しながら読んでみてください。

 

萩の市街地からは車で1時間、おとなりの島根県益田市からは30分。

川沿いの山道を車で進むと、次第に景色がひらけて、広い田んぼの連なりが目に飛び込んできた。

「田万川」という名前の通り、川と田んぼに囲まれたこの地域に、ナイスコーポレーション田万川工場はある。

街から離れたエリアだけれど、最寄りの萩石見空港までは20分ほどで到着するそうだ。

訪れたのは6月の上旬、田植えも終わりにさしかかる時期。工場のそばの田んぼでも、ぽつぽつと地域の人たちが草刈りに精を出しているのが見える。

「遠かったでしょ」と笑いながら、社長の井筒さんが迎えてくれた。さっそく、工場の中を見せてもらった。

「ここから工場全体が見えます。最初に、裁断された布を仕分けして、ポケットや袖などのパーツをつくっていく。奥でおばちゃんたちがやってるこの作業が『下手間』。手前でインドネシアの女の子たちがやってるのが、そのパーツを合わせていく『組み立て』」

「カレーをつくるとき、まずは材料の皮を剥いたり切ったりして下準備をしてから、全部鍋に入れて料理していくでしょ。それとおなじ感じかな」

仕様書やパターンをもとに布に印を打っていく人、アイロンで折り目をつける人、細かなパーツを縫っていく人… みなさん慣れた手つきで、スピード感のある作業風景だ。

熟練度が異なるメンバーが、作業をスムーズに進めるための工夫もあちこちにある。

「この水色のはゲージって呼ぶんですけど、ミシンを使うときに布をあてて、スッと縫えるようにする工夫です。いちいち距離をはかって針が落ちる場所を見なくても、正確に縫えるように」

はじめて縫製の仕事をする人は、この下手間で少しずつ仕事を覚えていくそう。アイロンやミシンの扱いに慣れ、少しずつできることが増えると、最終的な製品の組み立ての作業を担えるようになっていく。

組み立てをメインで担当するインドネシアの技能実習生のみなさんは、それぞれこの工場に来て1年目、3年目、5年目。

フルタイムで集中的に作業を学んでいけば、約1年で一着の服を縫えるようになる。

「もちろん技術が必要な部分もあって、この道30年、40年とかのおばちゃんたちもここには何人もいる。でもやっぱり若い子たちのほうがパワーがあるから、スピード感が求められる組み立ては、彼女らに担ってもらってます」

それぞれが黙々と作業を重ねているようでいて、適正な量が完成するように全体のバランスは常に意識されている。慣れてくると声をかけ合わなくても、アイコンタクトで作業をカバーしあえるそうだ。

 

工場全体の進捗管理やクオリティチェックを担当するお二人にも、お話を聞いた。

大田さんは、この工場の技術指導を担当している。高校を卒業してすぐ縫製の仕事についたベテランだ。

あたらしく入る人は、主に大田さんから仕事のやり方を学んでいくことになる。

「階段をのぼるみたいに、これができたら次はこれ、次はこれ、っていうふうに進めるようにしています。同じ時期に入った人が次のステップに進んでたら、『あ、私もあれしたい』って自然に競争意識がうまれたりして」

服一着を縫えるようになるプロセスを通して、自分の周りや工場全体の仕事の流れを想像しながら作業を進められるようになっていく。

「次の段階のことを考えずに言われたことだけやると、なんかちょっとちぐはぐになったりするんです。やっぱり全体像を掴んでつくったほうが上手にできますよね。自分が想像したものをかたちにしていくっていうのが、この仕事のそもそもの醍醐味なので」



尾木さんも、嫁ぎ先の田万川に来て以来ずっとこの仕事を続けているそう。

今は大田さんと2人で工場全体の進捗を管理しながら、とくに下手間の作業のバランス調整を担当している。

「本社のメンバーと話すときなんかは、ずっとここで仕事してるわたしらとは違う目線が入るので、へえ、そういう見方、やり方もあるんかなって感じます。とくにコミュニケーションや伝え方ですね」

20代の若いインドネシアの子たちをはじめ、あたらしい人たちが入ることで、現場の視点や活気が変わってきたのだと教えてくれた。

これから入る人も、多世代のスタッフとコミュニケーションをとりつつ、工場の新しい風になっていってほしい。

この縫製工場の経営元がナイスコーポレーションに変わったのは、7年ほど前のこと。当初は、あらゆる変化に対して従業員の抵抗が強かったという。

「わたしも、昔のやり方のままでいいじゃんって、思ってました。でも、『いろんなやり方を試してみる、変えてみるっていうのを恐れたらいけん』という、じーじの話があって」

「じーじ」というのは、井筒さんのお父さんにあたる、前社長のこと。

本社のある岡山から山口に来て何ヶ月も住み込み、根気よく現場と向き合ってきた。工場としてのチームワークが育まれてきたのも、この頃の実体験が大きかったそう。

「作業面だけでなく、メンバー同士の関わり方や気持ちのつくり方など、一つひとつ実際にやり方を変えたら数字がついてきて、それがおもしろくなってきて。あ、変えたほうがいいんだーって。ならほかにも色々とチャレンジしてみようかなって」

お話がはずむうちに昼休みの時間になり、工場から作業をしていたみなさんがワイワイとやってきた。それぞれに持ってきたお弁当を、机の上で広げる。

仕事中の雰囲気から一転して、にぎやかな休憩時間がはじまった。

今回募集する人には、この縫製の仕事と、ほかにやりたいことをかけ合わせた暮らしに挑戦できる環境がある。

やりたいことに応じて、例えば週4日は縫製工場で働き、残りは別のことをやってみる、ということもできる。

ここで働く人たちのなかには、昔ながらの兼業農家もたくさんいる。

「家で田んぼしてる人?」と休憩中のみなさんに井筒さんが声をかけると、半分以上の人が手をあげた。

「田植えは終わった?」「うちはまだ」と、自然に会話がすすんでいく。

 

外からこの地域にやってきて、二つの仕事を暮らしに取り入れるのは、どんな感覚なんだろう。

工場をあとにして向かったのは、Uターンをして農業を始めた原さんのところだ。

原さんは、大阪に本社のある大協テックス株式会社で綿中心の生地の営業をするかたわら、社内でも異色の農業事業部をあたらしく立ち上げた。今は事務所のある萩市街地と行き来する生活をしている。

「もともとは大阪本社にいました。自分たちで生地をつくって、アパレルや生地屋さんに販売していくのがメインの仕事です。海外の安い生地が増えてくるなかで、なにか新事業をやっていこうと社長が言ったのがきっかけで、農業を提案しました」

原さんの実家は、もともと祖父の代からこの地域でお米をつくってきた。農業に挑戦してみたいと1年かけて社内でプレゼンし、新事業の立ち上げに至った。

「このへん、土地もけっこうよくて、お米が美味しくつくりやすいんですよね。赤土が多いから、ミネラル分が豊富で必要以上に肥料を入れなくていいんです。売り先も生産性も工夫したら、地域の農業をもっとよくできるんじゃないかなと思って、5年前に帰ってきました」

田植えの時期は早朝から夕方まで田んぼにいて、夜になってようやく繊維の仕事を始められる。

なかなかハードなスケジュールだ。

一方で農繁期が終わると、午前中に繊維の仕事をかたづけ、農作業を夕方までに終わらせて、帰り道に趣味のサーフィンをする日もあるそう。

まったく違う二つの仕事をしていて、大変なことはありますか。

「やり出したらもう、全然大変さは感じてないです。やっぱり大阪に住んでいたときはサラリーマンっていう意識がすごい強かったんですけど、いまは体力的に大変でも、時間的には正直自由じゃないですか。縛りっていうものがない」

仕事がひとつじゃないことが、暮らしや生き方の選択肢を増やしてくれる感覚。

「むしろ一番大変だったのは、地域の人の理解ですかね。昔からずっといる人たちが多いから。たとえば外の人がゼロから田んぼを見つけてはじめるのは、相当難しい」

5年が経ったいまは、だんだんと地域の人に頼られるようになり、交流も増えてきた。

ひとりではじめるハードルが高いからこそ、すでに挑戦している地域の先輩がいることは心強い。

新しく来る人が田んぼに興味があれば、原さんの作業をお手伝いすることから始められるかもしれない。

原さんのほかにも、Iターンして飲食店を開いた人、週に4日だけオープンする古着屋を営む人など、いろんな働き方を選ぶ人がこの地域にはいる。



京都からこの地域にやってきた阪口さんは、子どもが生まれて間もないころに移住を決めた方。道の駅のレストランに勤めたあとに独立して、石窯ピザカフェ「Kunelplus」を開業した。

「田舎って子どもを育てるのにいいやん、って。飲食業だと朝から夜中までが基本の都会での生活とは全然ちがう。いまはランチとカフェを中心にやってるけど、子どもも大きくなってきたから、そろそろ夜の営業も増やしてもいいかな」

「今度、地域で立ち飲み屋をやってみようと思って。のれんつくってもらってもいいですか」と、阪口さんと井筒さんの話が盛り上がる。

自分で働くスタイルを決められる環境を、自分で選んで飛び込んでいく。

軽やかに、なにか一緒にやってみよう、とアイデアを出し合える人たちのつながりが、ゆるやかに広がっていた。

 

あらためて、井筒さんにどんな人と一緒に働きたいか聞いてみた。

「いまある環境をおもしろいと楽しめる人。どうなりたいか意思を持っていたらいいなと思うけど、もし具体的にやりたいことがはっきりしてなくても、ここで勉強して『これがやりたい』って言ったら、やりたいことが学べる環境だと思う」

暮らしのベースになる縫製の仕事がまずあるからこそ、プラスアルファを自由に発想できるのかもしれません。

足し算したいアイデアの種を持って、まずはみなさんとお話ししてみませんか。

(2023/6/7 取材 瀬戸麻由)

この企業の再募集通知を受ける

おすすめの記事