求人 NEW

試しに1年島で暮らす人
観光以上、移住未満
未来が見える1年間

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「この島での暮らしは、ワークライフミックスだって気づきました。仕事と生活の境界線が薄くなっていく。暮らしに仕事が溶け込んでいくと、1日の濃度が高くなって、気がつけばあっという間に9ヶ月です」

そう話してくれたのは、大人の島留学生の殿西さん。

島根県の沖合、日本海に位置する隠岐諸島。

そのなかでも島前(どうぜん)と呼ばれる、海士町(あまちょう)、知夫村(ちぶむら)、西ノ島町の3つの島が今回の舞台です。

今回募集するのは、島前で暮らし、働く「大人の島留学」の参加者です。

期間は1年間で、希望に応じて延長も可能。住まいと仕事は用意されているので、荷物はスーツケースひとつで充分。月に17万円ほどお給料もでます。シェアハウスで、家賃は無料。

行政や観光、教育、水産業など幅広い選択肢から、どんな仕事をするか相談し、決めていくことになります。

これまでの参加者は、大学生から社会人まで、年齢も経歴もさまざま。

小さな離島に、大きな可能性が広がっていると感じました。

 

待ち合わせ場所は、海士町の玄関口、菱浦港にあるキンニャモニャセンター。くすぐったい耳心地がする、特徴的な名前は、海士町で歌い継がれてきた民謡が由来。

声をかけてくれたのが、殿西さん。

今年の1月に海士町を訪れ、まず3か月の「島体験」というプログラムに参加。

もっと滞在したいと思って、1年間の「島留学」に参加することに。今はフェリーで10分の西ノ島で住んでいる。

先ほど、若い方たちとお話しされていましたね。

「10月からスタートする、島体験生に向けて西ノ島の紹介をしていました。僕は今、西ノ島で島留学コーディネーターの補佐として働いています」

「ほかにも観光協会に所属して、宿泊施設の運営をしたり、ふるさと魅力化財団のスタッフとして海士町でのイベントをお手伝いしたり。毎日のように違う仕事をしている、なんでも屋ですね」

ハキハキとお話しする姿が印象的。

「高専でロボット工学を学んで、卒業のタイミングでメーカーに就職しました。2年間サラリーマンをしていたころ、コロナ禍になって、仕事について改めて考えたんです」

「得意なことから、自分の興味の惹かれるほうへ進んでみようって思って。ぐるっと世界を変えようと、お酒が好きだったことを活かしてバーで働きはじめました」

働く時間も、昼から夜へ。出身であり自宅のある京都・嵐山から祇園の職場へ、観光客が行き交う場所を通勤していた。

バーに訪れる人と話を深めることに満足しつつも、自分の仕事を考えるタイミングがあった。そんなときたまたま見つけたのが、大人の島留学。

「現状を打破したいって、ずっとモヤモヤしていた自分にとって『動き出すきっかけができた!』と思いましたね。その日のうちに応募して、なにも知らない状態で来ました。実は島に来てから、海士町の読み方を知ったんです(笑)」

仕事の時間を昼夜逆転させたり、住む場所をガラリと変えてみたり。興味の向く方向へと突き進む、パワフルな人だなあ。

移住を伴う島留学に、不安はありませんでしたか?

「正直なところ、なかったです。興味の向くまま突き進んだ結果、今の生活がある感覚です」

性格なんですかね?

「ずっとロボットの勉強をしてきた自分がバーの世界に進んだように、違う世界に入って新しい情報を吸収するのが楽しいんだと思います。飽き性なのかもしれません」

そんな殿西さんにとって、毎日変化する仕事は合っているかもしれない。

残りの期間で、挑戦したいことはありますか?

「西ノ島に廃校をリノベーションしたカフェがあって。夜の時間をお借りして月に2回バー営業をやらせてもらっているんです。まさか、前職の経験がここで活きるとは思いませんでした」

「今は島留学の同期が中心にお店へ来てくれていますが、地元の方にも定着させたいって野望があるんです」

島で見つけた自分の道に、ぐんぐんと歩を進めている。

殿西さんは大人の島留学を終えたあとも、島に残ることを考えているそう。

「住んでいて、だんだんと愛着が湧いてきたんです。今携わっている仕事は、一貫して地域のことを好きにならないとできないなって感じていて」

「人が集まって、隠岐全体が面白くなればいい。そんな思いが芽生えてきて。その流れに力になれたら、旅立つことを考えてみようと思います」

 

「同じ島留学でも、働き方が全然違ってびっくり」と話すのは、隣で聞いていた渋谷さん。

日本仕事百貨の記事を読んで応募し、今年の4月から海士町で暮らしている。

「学生時代から自分の言葉で情報を発信することに興味があって、SNSでの販促に力を入れている小売業に就職しました。販売員として働きつつ、YouTubeやラジオなど、いろいろな媒体を駆使して、商品の広報をしていました」

島留学を考えたきっかけは、地元のお祭りに参加したときのこと。イベント運営をしたり、つくったものを販売したり、自分らしい表現をしている人たちと出会った。

「商品をPRすることにもやりがいを感じていたけれど、もっと幅広い分野で自分が出会った人の姿を広めていきたいと考えるようになりました。そんなとき、普段から読んでいた日本仕事百貨の記事で、大人の島留学が紹介されていて」

「最初はイメージがつかなかったけれど、自分の生活を変えることにも興味があったんです。これまで周りに流されがちだった自分が、自分から動き出すことにつながるかなと思い、参加を決めました」

どんな仕事をしようかと調べてみると、目を引いたのが、海士町の「ないものはない』というキャッチコピー。限られたなかで暮らしていく潔さと、大事なことはすべてここにある、という2つの意味が込められている。

「常識にとらわれず、自分たちで未来をつくっていこうとする人たちがいる。そんな人たちと出会い、話を聞いてみたいって思ったんです」

島で暮らす人、島で行われるさまざまな取り組みの様子を発信したいと、広報の職種を希望し、島留学に応募した。

現在、週に5日役場に出勤しながら、週末は海士町のイベントの開催があれば参加。「海士町公式 note」の記事編集を担当し、イベントのレポートやIターンした者、島で働く人へのインタビュー記事を書いている。

「最近は、自身で所有している里山で自給自足の生活をしながら、みりんをつくったり、なまこ工場で働いたりしている方を知って興味を持ちました」

「多様な人と出会うことができる環境ですね。小さな島でも、いろんな人がいて。取材したい人がまだまだたくさんいます」

広報の仕事でもう一つ大切にしていることは、書いて終わりではなく、その先の島の活性化へつなげること。

「今年の5月に、海士町の港近くにグランピング施設ができたんです。事業開発をした方のインタビューを交えた記事を書いたところ、利用者の中に記事をきっかけに予約したというお声をいただけて。とてもうれしかったです」

「島で挑戦をしている人たちの熱意や想いを伝えることで、誰かの行動を生み出していくことができる。それをやりがいに、日々仕事に取り組んでいます」

今ではフットワークの軽い渋谷さん。

ただ、島に来るまでは、自分を変えたい!と心の中で悩みながらも、プレッシャーを感じて尻込みしてしまう一人だった。

「島に来たら、なにかを成し遂げなきゃっていう気持ちがどうしても強くなると思うんです。けれど私は、気負わなくて大丈夫って思えることがあって」

「職場の方だったり島の方とお話しするなかで 、『1年間、楽しんで』とか 『思い出づくりになればいいよ』って言ってくださる方がすごく多いんです。その一言で、肩の力が抜けて、島の暮らしが過ごしやすくなりました」

暮らしと仕事、それぞれを整えながら、自由に羽を伸ばせる環境が整っている。

「『自分がやりたかったのはこの仕事なんだ!』って、参加することで気づきました。島に残るかはまだ決めていないけれど、この島で学んだことは活かせる仕事を続けていきたいです」

 

渋谷さんたち移住者が、島に順応できたのはコーディネーターの存在が大きいと感じる。

その一人がロドリゲスさん。

普段は、島留学参加者の暮らすシェアハウスの整備をしたり、就労先の事業所と連携したり。島留学参加者を受け入れるための土壌づくりをしている。

中でも大切だと感じたのが“マッチング”と呼ばれる対話。

島留学の参加者が来島した際に行われるもので、どこに暮らし、どんな仕事に就くか、コーディネーターと擦り合わせていく。

「世間話のように、お互い肩肘張らずに話し合います。たとえば、期間が終わったあとを想像して、その姿に近づくためにどういう時間にすればよいだろうって。まずは、仕事ではなく、先を見据えて、自分がどうありたいかを考えてもらうんです」

「なにかがしたいって気持ちは、人によって違う。明確な言葉を持たない人でも、自分のこんな考えや特技を活かしたいとか、見えにくい想いがあって。裏には何を考えているんだろうって、話を重ねながら読み解いていく。そのうえで、暮らし方を提案します」

それぞれの島の魅力や、どんな仕事があるかを提示しつつ、島で過ごす1年間をどう過ごすかは参加者が決める。

「島留学に参加する方には必ず、自分のやりたいことと、地域が求めることの掛け合わせをしないと、働くことは難しいことを伝えています。与えられた環境で、どうしたら自分のやりたいことができるのか、という考え方ですね」

「参加者が、自分で決めた暮らしに納得をして、この期間を過ごして欲しい。そのために細かく、じっくりとコミュニケーションしていきます」

やりたいことと、できること。

現実と理想の間にあるギャップのなかで、折り合いをつけながら、最適解を見つけていく。生活でも、仕事でも、同じような能力が求められることがある。

そしてその経験は、きっと期間を終えてからも生きていくはず。

「僕は誰が来ても、輝けるためのサポーターになるので。島留学を入口にして、自分を試しに来て欲しいです」

今の暮らしに違和感がある。変化が欲しい。新しいことに挑戦してみたい。

少しでもこころ動く人はぜひ試してみてください。

(2023/10/05 取材 田辺宏太)

今回の取材では、島前地域で暮らし、働く人たち19人に話を聞きました。さまざまな挑戦が生まれていく風土が育まれてきた話を、コラムで紹介しています。

12月8日には、話を聞かせてくれたロドリゲスさんや島前地域の人たちと一緒に、東京・清澄白河のリトルトーキョーでしごとバーを開催します。記事を読んで、もっと話を聞いてみたくなった方も、ただただ飲みながらお話ししたい方も。配信もあるので、よければ覗いてみてください。

しごとバー「やりたい!に素直な人たち 挑戦と生きる島で

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