コラム

挑戦と生きる島

バスの時刻、学校の授業、働く時間。

仕組み、やり方、使い方。

どこで働くのか、どう暮らしていくのか。

社会にあるものは、用意されているなかから選ぶものだと思っていました。

島根県の離島、隠岐・島前地域ですごすなかで知ったのは、どんなまちでどう生きるのかは、自分たちの手でつくっていけるものだということです。

日本仕事百貨では、日本海にぽつんと浮かぶこの地域を何度も訪れてきました。

その度に目にするのは、教育、観光、産業、行政など、さまざまな分野で常識にとらわれず、自分たちで持続可能な未来をつくっていこうとする人たちの姿です。

ここではなぜ、次々と挑戦が生まれるんだろう。

そんなことを考えながら、海士町、西ノ島町、知夫村で暮らし、働く19人に話を聞いてきました。

朝9時の港。

早朝から飛行機とバスを乗り継いで、ようやくフェリーのチケットを購入する。

混雑を避けて乗船したら安い席はもういっぱいで、追加料金を払い、特2等席の広々とした場所に荷物をおろす。

海士町の菱浦港までは3時間。PCを広げようものならすぐに船酔いしてしまうので、おとなしく寝転んで、到着を待つことにする。

チャンカチャンカチャン、と三味線の音が流れてきたら、まもなく到着の合図。

仕事着を着ている人、ガイドブックを持つ夫婦、大きなスーツケースを押している若い人たちと一緒に船を降りる。

外にでると、風が気持ちいい。

島前地域には3つの小さな島があり、内航船と呼ばれるバスのような定期船を使えば、10分ほどでそれぞれの島を行き来することができる。

島ごとに海士町、西ノ島町、知夫村という自治体にわかれていて、地形や文化、人の雰囲気も少し違うらしい。

到着した海士町は、人口約2300人の島。

港から車で10分の役場に向かい、海士町の大江町長に話を聞かせてもらう。

「どうぞどうぞ、どの辺の話からしましょうか」

気さくな雰囲気にひと安心。

なぜこんなにも挑戦が続くまちになのか知りたいと伝えると、「うんうん」とうなずいて話しはじめてくれる。

「都市への一極集中が進むなかで、過疎化という現象はどこでも出てきたわけだけれど。島にも相当な影響があって。このまま人口流出が続いて、なにもしなければ島が沈没する。無人島化するという危機感は、今でも変わらずに持っています」

積み重ねてきた文化をなくさないために、市町村合併を行わないことを選択。

財政危機に直面し、町長と役場職員が自主的に給料を減らした世代もある。

島の暮らしを残すために、できることはなんでもやる。それは、もう何十年も続いてきた海士町の姿勢。

「うちは離島で閉ざされているので、ひとつの家族、言ってみれば国のようなものですわ。だから、この島をなんとかせないかんっていう機運が高まりやすいんじゃないかと思いますね。どうにかしないとって、みんなで知恵を振り絞ってきたんですよ」

「挑戦の土壌みたいなものをさかのぼると、奈良時代に島流しの地ちゅうことになって、高貴なる人たちが流されてきて。江戸時代には犯罪者まで流れてきた。この島っていうのは少なからず、外部から入ってきた人との交流を通じて成長してきたと思うんですね」

今、住民の6人に1人が島外から移住してきた人だという海士町。

外から来た人を「よそ者」と呼んでいた時期もあるものの、移住者を積極的に受け入れる流れが生まれてきたのは、今から20年ほど前のこと。

「コミュニティを豊かにするためになにをすべきか考えるようになって、大きく動きはじめた。いろんな人が来て、もちろん出ていく人もいて。今頭に浮かんだのは、岩牡蠣の養殖をはじめてブランド化した男のことでね」

海に潜るというと、レジャーでなく密漁のイメージがあった当時の海士町。

スキューバーダイビングの文化を広げたいと神奈川からやってきたその人は、漁師さんを集めて説明したり、シンポジウムを開催したりしながら、地元の人たちと根気強く話し合いを続けたそう。

2年ほどたったころ、1つの地区だけが賛成。

その地区の民宿にはたくさんのダイバーが集まり、若い人たちが行き来する風景が見られるようになっていった。

「よそ者が来て、諦めないでいろんな軋轢をクリアしていった。地元の人たちと一体感を持って事業をする。これが大きな変革の第一歩だと思いますね」

その人が次に挑戦したのが、島前3島に囲まれたおだやかな内海で行う岩牡蠣の養殖だった。

「漁師さんから、俺たちの大事な海域を奪うなって軋轢が出てね。これも何年かけたやろうってくらい話し合って。岩牡蠣をやりたいっていう想いが理解者を増やしていった。反対反対、新しいことはしなくていいっていう人たちの気持ちをひっくり返していったんです」

岩牡蠣「春香」はひとつのブランドとなり、今では海士町の大きな特産品。

たくさんの対話と、勇気と、育んできた信頼が、今の海士町をつくっている。

「仲間を増やしていくことが、すごく大事だと思います。やりたいって声をあげた人もチャレンジャーだけど、もともと反対していた住民が賛成に回るってことは、住民自身もチャレンジャーになっていくわけだよね。そこら辺が軸になって、だんだん挑戦がしやすい雰囲気ちゅうのが出てきたように思いますね」

話をしている途中、町長が何年も前の手帳を机から出して見せてくれた。

ぎっしりと残されているメモは、いつ、だれと会ったのかを記したものなんだそう。

話していても、この手帳を大事そうにしている様子からも、縁が生まれた人のことを大切にする方なんだと感じる。

海士町では島の外からやってきた人を仲間に入れることで、あたらしい産業づくりや観光の受け入れ態勢、教育の魅力化など、さまざまなプロジェクトが生まれてきた。

まずは耳を傾ける。諦めずに対話する。ときには酒を酌み交わす。

なかにはそりが合わず、夢半ばで島を離れていく人もいた。

「いろんな失敗談もありますよ。だけどね、島が好きだと言って来てくれた人である以上、ほっとくわけにはいかんでしょう。海士町に行けば、ここに来さえすればなにかおもしろいことがやれるかもわからんって、どんどん人が来るようになってきました」

「ここで挑戦事例みたいなものが確立されれば、それが伝播して、日本全体が元気になるんじゃないかと思うんですね。挑戦に挑戦を重ねる。とにかく挑戦し続ける。これが海士町のテーマとして大事にしてきたことです」

醸成されてきた挑戦の風土は、今、さらに広がっていこうとしている。

9年前、東京から移住してきた大野さんは、島で挑戦する人たちを増やそうと動いている人。

視察のため島に来たときに誘われて、教育分野での挑戦である、島前教育魅力化プロジェクトのスタッフとして働くことになった。

その後プロジェクトのリーダーを務め、公立高校の経営補佐官に。この春からは役場の課長と、AMAホールディングス株式会社というまちづくりに取り組む第三セクターの代表に就任。住んでいる地区では、公民館長も任されている。

思いがけず暮らすことになった海士町で、なぜ、そこまで動き続けられるんだろう。

「僕自身は、あんまり挑戦してると思ってないんだよね。いろんな人と会って、そうしたほうがいいよねって話になったことをやってるうちに、大きなプロジェクトになっているだけっていうかさ」

自分のいるチームでも、まちのことでも。海士町では、自分から手をあげれば関われる門戸が開かれている。

東京の大きな組織で働いていたときには、自分ならうまくできると思うことでも、なかなか挑戦させてもらえなかった経験があったという大野さん。

「こっちの人たちはそういう感じじゃなくて。危機感があるから、使えるものはなんでも使う、やりたいやつは全部やってくれみたいな感じが、僕は水が合ったって感じだね」

大野さんが代表を務めるAMAホールディングス株式会社の事業のひとつが、海士町であたらしい挑戦をする人を増やすこと。

事業の相談にのったり、資金を得られる仕組みをつくったり。最初の1歩を踏み出しやすくするにはどうしたらいいか、あの手この手を試している。

最近はまちを歩いていると、「こういうことやってみたいんだけど、仕組み使えますか?」と声をかけられることもあるらしい。

「挑戦って最初は怖いけど、やってみると楽しかったりするじゃない。失敗しても、どうせ周りはすぐ忘れちゃうからさ。やってみたいことを純粋にやりたいって言える人が増えたほうが気楽じゃん」

「別に些細なことでもよくて。マルシェに出てみるとか、まずは家の周りの掃除をはじめてみるとか。自分から進んでやっている人がたくさんいると、もっと島が楽しくなっていくんじゃないかって感覚があって。それが集まっているのが、海士町の豊かさだなって思うんだよね」

島のあちこちではじまった挑戦が、最近、つながりはじめている。

「島前教育魅力化プロジェクト」を進めている高校の卒業生が、1年間島で働く「大人の島留学」を利用して、気軽に島に戻ってくることができるように。

島に人手が増えることで、役場の職員が「半官半X」の仕組みを活用しやすくなって、役場の外で複業的に働きはじめた。

「海士町未来共創基金」を利用してあらたな事業をはじめようとしている人の話を、島にやってくる若い人たちが取材して記事にすることが広報につながる。

どれも、誰か1人、どこか1つの組織だけで解決しようとしてもできなかったこと。

境界なくつながることで、好循環が生まれつつある。

「誰かが綿密に計画してできてきた関係ではなくて。前例のないことをそれぞれにわちゃっと話して、とにかくやってみる。それが結果としてうまくつながっていく。この島では、ほとんどのことがこういう立ち上がり方をするんですよ。それが僕は極めておもしろいと思っていて」

「前に進むために、お互いの得意を活かしてやっていく。自分のできる範囲を磨いていくことが、全体につながっていく。小さな島だからこそ、自分のためにやっていることが誰かのためになるってことが実感しやすいんだよね」

前向きな風が吹くこの場所で、さまざまな挑戦をする人たちに会ってきました。

それぞれ、ともに進んでいくための仲間を募集しています。

ピンとくるものがあれば、読み進めてみてください。

以下の記事は、日本仕事百貨での募集を終了いたしました

再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、各ページ下部よりご登録ください

(2023/10/3 取材 中嶋希実 田辺宏太、デザイン 浦川彰太、イラスト 椎木彩子)

おすすめの記事