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高知・佐川町。
NHKの連続テレビ小説「らんまん」で、主人公、槙野万太郎のモデルとなった世界的な植物分類学者、牧野冨太郎博士の幼少期の舞台になった場所でもあり、生家跡地などが残っています。
また、採算性と環境保全を高い水準で両立し、持続的な森林経営を行う自伐型林業が盛んな地域です。
そこで得た木材を、地域内でもうまく活用できないか。そんな思いから、佐川町では主に木を使ったものづくりに力を入れています。
その取り組みの一つが、「さかわ発明ラボ」。地域おこし協力隊を中心に運営しており、加工用の機械が揃っていて、日々木材などを使ったものづくりが行われています。
今回は、さかわ発明ラボでものづくりをする地域おこし協力隊を募集します。
主な仕事は、地域の子ども向けのものづくり教室「放課後発明クラブ」と、一般の人に加工用の機械を開放する週2日のオープンデーの運営。
週4日の勤務で、残りの3日は自由。地域の人と交流するもよし、個人でものづくりをするのもよし。
経験は問いません。「ものづくりが好きだけど、仕事にするとなるとむずかしい…」。そんなふうに思っている人には、ぜひ読み進んでほしいです。
高知龍馬空港からバスに乗って高知駅へ。
めざす佐川町は、高知駅から電車で50分ほどの場所にある。特急だと約30分で到着するため、中心部へのアクセスは良さそうだ。
だんだんと緑の風景になっていく車窓を眺めていたら、あっという間に到着した。
駅から歩いて5分の場所には酒蔵などが並び、昔ながらの雰囲気が残っている。
「らんまん」の影響か、観光客の姿をちらほらと見つけた。
さかわ発明ラボがあるのは、さらに5分ほど歩いた先。目の前に川が流れている場所にある。
近いうちにラボは移転するらしく、新しい人が来るころには別の場所がラボになっている予定。
迎えてくれたのは、佐川町の元協力隊、大道さん。
5年前に協力隊として神奈川から移住。3年間発明ラボで活動し、卒業後も佐川町で暮らしている。
「発明ラボにいたときは、放課後発明クラブっていう子どもたちが自由にものづくりできる企画の担当をしていて。協力隊を卒業した今もお手伝いさせてもらっています」
「あとは学校とのつながりで、まちの小中高でICT機器を活用した授業のサポートもしていて。協力隊が終わってからも、ありがたいことに仕事はいくつかあります。今日の午前中も授業があって、高校に行ってました」
前職では大学職員をしたり、旅行誌をつくる会社で働いたりしていたそう。高知へは旅行で1度来たことがある程度だった。
移住のきっかけは、日本仕事百貨でさかわ発明ラボの記事を読んだこと。
子どもたちとの関わることができるのと、ものづくりを通していろいろな取り組みができる余白があると感じたこと。その2つが決め手だった。
「発明ラボの仕事以外の時間はみんな自由に過ごしています。自分が好きなものをつくってもいいし、仲間と焚き火を囲んでもいい」
協力隊になって最初のころに考えていたのは、ないものをつくる、ということ。
「おいしいうどんを食べたいって思っても近くにはお店がないので、仲間を集めてうどんをつくるとか。スパイスカレー屋さんがないから、それもみんなでつくるとか」
「佐川町には林業の協力隊もいるので、そういった人たちとの交流も楽しめるし、いろんな人と関わることができます」
佐川町の協力隊は、約6割の人が任期後も残っていて、現在は発明ラボの卒業生7名が町で暮らしている。先輩がいるぶん、仕事や暮らしについての相談はしやすいと思う。
「せっかくものづくりができる環境に来るのだから、困難なことも楽しく乗り越えられる人だといいんじゃないかな。コミュニケーション力も大事だけど、それと同じくらい新しい環境でどれだけ楽しめるかが大事だと思う」
「あとは、3年後の進路も考えながら活動をしていかないといけないので。そこをしっかり考えられると、暮らしもより充実すると思います」
例として話してくれたのが、以前協力隊だった女性のこと。
「彼女、ラボの仕事がない3日間で食の研究をしていて。とくにかき氷に力を入れて、それぞれのお店が独自のフレーバーのかき氷を提供する、かき氷街道というイベントを企画したんです。その人が佐川町を去った後も、毎年イベントは行われていて。すごいですよね」
木材の活用という流れで、ものづくりに精を出すというのは第一。その上で、ものづくりを広い意味で捉えていろいろなことにチャレンジできるのが、佐川町の魅力だ。
大道さんの話を真剣に、ときに笑顔を浮かべながらとなりで聞いていたのが、協力隊3年目の嵐さん。
神戸の学校でプロダクトデザインを専攻していたそう。卒業後、新卒で佐川町の地域おこし協力隊に加わった。
「1年目は放課後発明クラブで子どもたちとものづくりをしていました。3年目になってからは、コンシェルジュ業務というのをやっていて。まちから頼まれた制作物、たとえば看板とか成人式の記念品とか、いろいろなものをつくっています」
最近つくったのは、道の駅に隣接しているおもちゃ美術館に置かれるおもちゃ。佐川町産の木を使って、デザインから制作まで携わった。
モチーフは、牧野冨太郎が愛した花と言われるバイカオウレン。佐川町にある花畑をおもちゃで表現した。
つくったものをたのしそうに見せてくれる嵐さん。
新卒で入ったということですが、一般企業への就職とは迷わなかったんですか。
「就職活動自体はしていて。自分がやっていてたのしいって思える仕事ができたらいいなと考えていたんです。そのなかで、たまたま日本仕事百貨に掲載されていた佐川の記事を見て」
「東京の会社も内定をもらっていたんですけど、生活コストを考えると東京って大変な面があるし、なによりこっちのほうが面白いことができそうやなって」
目指しているのは、佐川産の木を使うことで、自伐型林業の出口となるようなものづくりをすること。今は100%それができているわけではないので、今後増やしていきたい、と嵐さん。
「去年は小学校で木工教室をして、小学生に木のこと、山のことを学んでもらう時間をつくりました。個人の仕事でやらせてもらったんですが、自伐型林業に詳しい林業家の方に協力してもらって、木材調達から準備して授業を組み立てて」
「つくったのは、佐川町のいろんな木を使った円形木琴。木ごとの違いを直接さわってもらって、それぞれの特徴を感じてもらえたらいいなと思って」
役場の人だけでなく、町には協力隊のいろいろなミッションを終えたOBOGがいる。たとえば自分で革をなめして商品をつくっている人など、取り組んでいることも幅広いので、いろんなコラボレーションができるかもしれない。
3年目を迎えている嵐さん。来年はどうする予定なんでしょう。
「今はここに残りたいなと思っています。副業のICT授業のサポートも続けたいし、発明ラボの卒業生の方が会社を立ち上げて新チャレンジを始めているので、そのお手伝いもできたらいいなって思っていて」
「個人のものづくりは続けていきながら、少しでも佐川町の木材の価値が上がるような取り組みをしていこうと思っています」
終始たのしそうに話してくれる嵐さん。新しく来る人も、たのしくチャレンジしたいという前向きな意志を持っているといいのだろうな。
最後に話を聞いたのは、おなじく協力隊の大村さん。
以前は奈良に10年ほど住みながら、大阪で教育系の仕事やフリースクールに関わっており、プログラミングも勉強していた。
「塾の先生をやっていたんですけど、一日雑居ビルにいて夜になったら帰るみたいな。その生活がすごく寂しくて」
「もうちょっとご近所付き合いとかがあったほうが、自分はたのしく暮らせるのかなって。ものづくりはずっと好きで、それが地域の問題解決につながったらおもしろいだろうなと考えていました。そんなとき日本仕事百貨で発明ラボの記事を見つけて、ドンピシャだ!って」
佐川に引っ越してきた大村さん。協力隊は、まちが借り上げた住宅に住むか、自分で好きなところを探して、家賃補助を受けて住むか選ぶことができる。
大村さんは後者を選び、バイクで通勤中。
「住んでいる場所によって感覚はかなり違うと思います。ぼくは通勤路がめちゃめちゃ雄大な自然で。山!川!みたいな。見るだけで元気が出るくらい」
「逆に駅周辺の佐川地区に住めば、スーパーとかも近いので自転車だけでも生活できます。だから場所さえ選べば、車必須っていうわけじゃないですね」
また、大村さんが住んだ場所は、自治会が活発な地域だった。
「年に何回か祭りがあるんですけど、そのための供出金を集めるとか。あと年2回の草刈りは必須ですね。休むときは理由をみんながいるところで言わないと、サボったって言われる(笑)。ぼくはそういう関係性が心地いいなと思ってます」
「おもしろいものをつくる。そして地域の人と関わりながら暮らす。これがぼくのやりたかったこと。ここに住んでみてそれを再確認できました。たとえば、昔先輩がもち投げマシンをつくったんですよ」
もち投げマシン??
「誰にも頼まれてないのにつくって。どんどん餅を投げていく機械なんです。しかもセンサーが反応して人がいるところに向けてもちを投げるっていう(笑)。そういうことをやってみたいんですよね」
好きなものを自由につくれる環境って、なかなかないように思います。
「本当にそうで。普通だったらお金にならないとかの理由で諦めちゃう。でもここではつくってみることができる。それがぼくにとっては最高です」
工房には、木を削る機械や3Dプリンタなどなど、さまざまな大型の加工用機械が備えられている。木材だけでなく、いろんなものを加工できるようになっているみたい。
大村さんがいまつくっているのはゴーカート。電気回路の部分を仲間に手伝ってもらいながら製作中とのこと。
ほかにも、プライベートの知り合いから「カフェを始めるから看板をつくってほしい」など、ものづくりを通して人のお手伝いができることがうれしい、と大村さん。
「一緒に遊べる人が来てくれたらいいなって思います。仕事なんだけど、遊ぶ感覚が大きいかな。そのうえで、地域にいる革や家具の職人さんとも一緒にできるし、仲間と焚き火もする。ここでの暮らしを一緒にたのしんでくれる人だといいですね」
遊ぶように、軽やかに。
このまちでものづくりをしている人たちは、みずからもたのしく、そして周りの人に喜んでもらえるように、自分のなかにある好奇心の塊を実際の形にしています。
ものづくりが好きな気持ちがそのまま仕事になる。いろんな人に知ってほしいし、チャレンジしてほしいと思いました。
(2023/10/25 取材 稲本琢仙)