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老舗旅館に、現代アート

栃木県那須塩原で、470年近く続く老舗旅館「板室温泉大黒屋」。

ここを訪れた人がまず驚くのは、風景のなかに、現代アートが溶け込んでいること。

庭に置かれた木々や岩が、世界的な美術作家の作品だったり。

エントランスに向かう途中に、空を映す大きな鏡や、木を組んだ不思議な形の門が立っていたり。

旅館の敷地全体が、ひとつの大きなギャラリーのよう。

今回は、お客さんを迎えるフロントスタッフを中心に募集します。

主な仕事は、受付や予約管理。加えて、隣接するギャラリーショップの運営にも携わります。

さらに興味や経験を活かして、月ごとの展示の運営、アーティストさんとのやりとりなど、アートを起点に仕事の幅を広げていくことも可能です。

目の前にあるものをどう感じるか、何に心動かされたのか。受けとって、反応して、考える。

アートへの知識よりも、自身の感覚と向き合い続けられる素直さが、ここで働く上で最も大切な姿勢です。

旅館経営の根っことして、アートを大切にするこの場所は、働くことを通して、自分の人生の視野を広げてくれるかもしれません。

 

JR那須塩原駅から、乗り合いのシャトルタクシーを利用する。市街地を離れ30分ほど走ると、しだいに高い木々に囲まれて、深緑のトンネルを通り抜けているよう。

道が細くなり、山あいの温泉街が見えてくるころには、窓を開けてもとても静か。

小川に架かった小さな橋を渡り、大黒屋の敷地に到着。車を降りると、代表の室井康希さんが迎えてくれた。

「天気もいいし、散歩しながら話しましょうか」と誘ってくれ、敷地内を散策することに。

大黒屋の敷地は、とにかく広い。

山を背景に、およそ3館もの宿泊棟に別棟が4館あり、近くには運営する美術館まである。それらを庭や小道、小川などの自然が有機的につないでいて、どこか里のようにも感じる。

大黒屋がアートを取り入れたのは、今から約40年前。室井さんのお父さんである、16代目の室井俊二さんが代表に就いてからのこと。

宿の独自性を高めるため、それまでオーソドックスな温泉宿だった大黒屋に現代アートを取り入れた。

子どものころから、美術が身近にあった室井さん。大学で現代美術批評を専攻し、イギリスに留学をしてファインアートを学び、帰国したのが2013年。

「ギャラリーで働いていた経験から、作品をどう魅せ、どうつなげるか。つまりは“キュレーション”に興味があって。そのとき、この旅館自体が自分にとってありがたく、ラッキーな場所だと気づいたんです」

「旅館経営をひとつの自分の作品とすると、自分のもつ美意識を、さまざまなところに落とし込むことができる。そういったクリエイティブな思想で旅館経営を考えると、すごく魅力的で、やりがいがあります」

現在は、毎月の企画展のキュレーションを自ら手がけるなど、アートと旅館の融合をさらに深めるための取り組みをつづけている。

「あれ、見てください」と案内してくれたのは、3本の木を組み合わせてつくられた、鳥居のような形の木の門。

「この門を入り口に広がる庭全体が、実は世界的な現代美術作家、菅木志雄(すがきしお)さんの作品なんです」

「これは『風の通り道』がテーマ。木の門が、自然の風景を切り取る額縁のようになるんです。門をくぐりながら山や木々、小川の流れを眺めることで、自然の微細な変化に気づくことができる」

ほかにも、庭に無造作に置かれる、岩や金属片なども、一つひとつがアート作品。キャプションや説明書きがないから、「あれはなんだろう?」とつい考える。

庭園の散策から館内に戻ると、フロント横のサロンで、ちょうど企画展が開かれていた。

室井さんが紹介してくれたのは、壁に取り付けられた黒いパネル。よく見ると、鈴がついている。

「実は、内側に時計が仕掛けられていて、60分かけてゆっくり回っているんです。1時間に1回、チャリンと音が鳴るんですよ」

「これは、音が鳴る瞬間だけでなく、鳴っていない“沈黙の時間”を意識するための装置。ついつい、次の展開や音が鳴るのを待ってしまいがちですが、この作品は、そうではない時間を味わう、そんな豊かさに意識を向けることを意図しているんですよね」

ギャラリーだと一瞬で通り過ぎてしまうけれど、旅館なら、お風呂上がりなどに音が鳴るまでじっくりと待つこともできる。長く時間を過ごす場だからこそ、作品の楽しみ方も幅が広い。

「展示設営のクオリティにこだわっています。私のギャラリー勤務の経験を活かして、展示の際は1mm1cmを正確に切り詰めて展示する。それを美術設営の専門家を入れずにできるのが、うちの強みなんです」

キャプションや説明がないこともそうだけれど、大黒屋のアートは、自然や景色にそっと溶け込んでいて、主張が激しくないことに気づく。

「外にある作品は、自然の中にあるから、季節や時間とともに朽ちていったりもして。その変化にハッと気づくこともある」

「そんなことを繰り返すことで、美意識というのかな、感性が育まれていくと思っています」

日々変わるアートや自然を前に、自分なりの解釈をくりかえす。

この過程で、自分自身の感覚や思考を深く掘り下げて、ものの見方や感性が磨かれていく。

働くスタッフは、どんな気持ちで仕事に向き合っているんだろう。

 

続いて話を聞いたのは、フロント担当の髙村さん。大黒屋で働き始めて5年目になる。

鹿児島県出身で、大学では経済学を専攻。旅館業も、アートとも無縁だったけれど、就職活動のとき、日本仕事百貨で大黒屋の記事を見つけた。

「タイトルに“アート”がちらっと見えたとき、手が止まりました」

「記事にあった『我々の扱う商材は生活空間です』という言葉に、強く興味を惹かれて。暮らしのそばにあるアートが、その場にいる人の心にどう作用するかを、体感しながら働きたいと思ったんです」

アートへの興味を軸に入社を決めた髙村さんだけれど、最初から理想通りというわけではなかった。

「フロントは、結構マルチタスクですね。予約管理やお客さま対応だけでなく、お食事の配膳、食器洗いなどバタバタで。アートを楽しむ余裕は正直、全然ありませんでした」

「配膳は、体力的に大変です。ただ、お客さまと密に接することができる時間。お部屋に入れば、どんなお客さんかな、ってわかるから、大切な文化だと思っています」

働き方に転機が訪れたのは、入社して半年ほど経ってから。

毎月の音楽の催し「音を楽しむ会」の運営に関わることになり、クラシックや和楽器など、出演するアーティストさんとの出演交渉や連絡調整を担当するようになった。

「文化的な知識があるわけではなかったですが、任せてもらえる責任感が、自分の気持ちを変えてくれて。音楽の興味の範囲も広がったし、クラシックや落語も聞くようになりました」

今では音楽の催しに加えて、雑誌の取材対応、ツアー会社との連携といった渉外業務も髙村さんの仕事。さらには、毎朝行われる、菅木志雄さんの作品を展示した倉庫美術館のガイド役も務めている。

はじめは知識がなくても、髙村さんのように少しずつできる幅と興味関心を広げて、自分なりの役割を増やしていけると、より面白い働き方ができると思う。

華やかな仕事もある一方で、旅館というビジネスである以上、変わらない安定した日常を提供し続けるという側面がある。

それは「積み上げていく仕事」であるから、髙村さんのような若手にとっては、次のキャリアや役職への明確なステップが見えにくいという課題もあるはず。

髙村さん自身、そのジレンマを感じることはあるのでしょうか。

「僕は新卒で入ったので、正直、1、2年目のころは、転職を常に考えていました。『大黒屋で働くだけでなく、もっと広く世界を見てみたい』という気持ちがあったんです」

定期的に設けている室井さんとの1on1の機会に、この気持ちを伝えたことがある。

「『え、転職するの?』という感じではなく、考えを受け入れてくれたんです。『髙村さんとしての人生を考えていいよ』と言ってくれた。人生の選択肢の一つとして理解してくれて、そのことが僕にとってすごくありがたかった」

辞めることを前提とするのではなく、可能性を広げるという視点で、いまの働き方について話を重ねたそう。

「今はありがたいことに仕事に“欲”が出てきて、広報や音楽担当という役割を極めたい気持ちが強い。自分自身が成長できる仕事に集中して、ここでしかできないキャリアを築いていきたいと思っています」

 

最後に話を聞いたのが、ギャラリー・ショップ・喫茶を兼ねる「水琴亭」の主任を務める野口さん。

「お茶でも飲みながら」と、髙村さんの気遣いで、外の囲炉裏を囲みながら、お話を聞くことに。

野口さんが大黒屋に至るまでの経歴は、まさにドラマチック。

「医療事務から始まり、陶芸家のアシスタント、写真家、書店員、しいたけ農園の正社員、そして大阪での古民家管理…本当にさまざまな仕事を経験してきました」

「やりたいことと現実の間で揺れ動きながら、『何のためにこの仕事をしているんだろう?』と葛藤する日々でした」

そんなとき、友人から大黒屋を紹介される。

「『全部あなたの好きなものが揃っているよ』と、熱心に薦めてくれて。訪れてみたら、初めてきたのに、やっと辿り着いたような感覚になって。今までやってきた仕事の経験を全部活かせるんじゃないかと、応募を決めましたね」

野口さんが主任を務める水琴亭では、企画展示をしたアーティストの作品のほか、地元のお土産などを扱っている。

「私は美術の専門的な知識があるわけではないので、作品を自分で選んだり、展示を企画したりすることは、今のところできません。あくまで代表の康希さんが新しく選んできたものや、継続的に提携しているアーティストさんの作品を案内する仕事です」

「ただ、アーティストさんと直接お話しできる機会はあるし、自分がいいと思ったものを誰かに伝えるのは楽しいですね」

毎月の展示では、アートに関して質問されることも多いと思いますが、野口さんが気をつけていることはありますか?

「事前に、アーティストさんの人物像や背景を情報収集しておくんです。難しいアートの視点ではなく、その人物の雰囲気を交えながら、私なりの解釈でお話しするようにしています」

解説役というよりは、人を通してアートを伝えて、お客さんと一緒に作品の解釈を深める。

自分自身も楽しみながら、お客さんの気持ちに共感するように接している。

「今まで、自分の好きなことを心から話せる相手がいなかったんですけど、大黒屋にはそれが通じる人がいる。好きなものに囲まれて、仕事ができる環境は、本当にありがたいなと思います」

 

470年近く続く歴史と、日々うつろう現代アート。

どちらも、自分の人生の延長線上にあるものとして。

それがまざりあうこの場所では、自分の感性に深くふれる瞬間があふれているはずです。

(2025/09/22 取材 田辺宏太)

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