求人 NEW

木を削る、パンを焼く
畑を耕す
一人一芸の里で

手に職をつける、という言葉があります。

岩手県洋野町では、半世紀近く前から、それがまちづくりの言葉でした。

冬になれば雪が積もり、作物は育たない。ならば、ここにいながら食べていける術を身につけよう。

地元の木を削って器にする。そばを打つ。豆腐をつくる。パンを焼く。

「一人一芸の里」と呼ばれた取り組みです。

その洋野町で、地域おこし協力隊を募集します。

宿泊施設やレストラン、体験工房、道の駅、動物ふれあい館。さらには、パンづくり、水産会館の運営、地域のDX推進など。10を超える職種があります。

町で活動している協力隊はいま16人。伴走支援してくれる民間の会社もあります。

このまちでどんなふうに暮らし、働くことができるのか。話を聞いてきました。

 

洋野町へは、青森の八戸駅からJR八戸線に乗って南へ。左手に三陸の海が続く。

この地域では、春から夏にかけて「やませ」という冷たい風が吹くので、夏は涼しい。種市駅で降りると、スーッと浜風が吹き抜けた。

この日は25度くらい。東京では35度を超えていたらしい。

洋野町はうにのまちでもある。ちょうど先週、一年でいちばんにぎわう「たねいちウニまつり」が終わったばかりだ。

まず訪ねたのは、駅から歩いて5分ほどの場所にある、fumoto株式会社のオフィス。

協力隊の募集や受け入れ支援、町のPRイベントの企画・実施など、さまざまな事業を主に町から請け負っている。

代表の大原さん自身も、もとは協力隊として洋野町にやってきた人。

協力隊を卒業後、2019年に一般社団法人fumotoを立ち上げ、今年の4月には株式会社になった。3人の社員を雇用している。

「最初は成長させるぞ、みたいな意欲って薄かったんですけど。こういう小さい町で企業がちゃんと経済的に成立しているのは大事だなとだんだん思うようになってきて」

「今いる社員は、20代、30代なんです。そういう若い人が働ける環境をつくるのは大事だし、自分に近い人たちが幸せに暮らせる状態を目指したい。だから売上もちゃんとあげたいと思っています」

現在洋野町で活動している協力隊は16人。さらにこれまでに任期を終えた22人のうち、15人がまちに残っている。

募集職種が多いのと、協力隊員を採用から活動中、卒業後のサポートまで担っているfumotoの存在が大きい。

「オンラインで一回話すくらいだと、相手のことってなかなか理解できない。だから実際に来てもらうとか、何回も話すとか、そういったことが大事だと感じています」

これまで協力隊支援をしてきて、どんな人が向いていると感じますか。

「スキルよりコミュニケーションが大事なのかなと。地域の人とか役場の人とか、関わる人の話をちゃんと聞く。協力隊のミッションとして求められていることと、自分のやりたいこと。そこを合わせられるようなバランス感覚を持っている人がいいのかなと思っていて」

「あとは、俯瞰すること。自分の視点だけじゃなくて、自治体の職員から見たらどう思うか、地域の人から見たらどうか。そこに思いを巡らせられると、うまくいくんじゃないかな」

イベントをやりたい。商品をつくりたい。どんなときも複数の視点を整えるのが、協力隊の役割なのかもしれない。

そのなかで、自分のやりたいことや自分の色を出していくと、おもしろいことができるはず。

「少し前に、仙台の実家に帰ったんです。仙台は100万人都市で、ここと比べたらいろんな人がたくさんいるわけですよ。そういうところにいるときの、無力感みたいのってあるなぁと思って」

無力感、ですか。

「自分の場合は、仙台や東京のような、人々や情報に溢れる環境の中で何かをやるのは向いてないというか。自分の暮らしのことしか考えられなさそうだなって」

「そう思うと洋野町は、暮らしている土地の自然や人々の温度を感じやすいし、その環境の中で自分が望む暮らし方や働き方を見つけて、形にしていくことに現実味を感じられるんですよね。それに、心身ともに健康的なんじゃないかって。そんなことを感じている人がいたら、ぜひ来てほしいなって思います」

 

fumotoのオフィスを後にして、車に乗る。

海側から内陸側へ。坂を登っていくと、まわりが牧草地に変わった。

標高が上がるにつれて空が広くなる。15分ほど走った先が、おおのキャンパスだ。

宿泊施設のグリーンヒルおおの、パークゴルフ場、木工や陶芸の工房、道の駅、動物ふれあい館など。少し離れた高台には天文台もあり、夜は星空が抜群に綺麗に見える。

運営する大野ふるさと公社で事務局次長を務めているのが、番沢さん。

「一人一芸の里」は、このおおのキャンパスから始まった。

「冬に出稼ぎに出ざるを得ない方々に、何か手に職をつけてもらう。とくに大野木工が有名です」

1979年、工業デザイナーである秋岡芳夫さんの指導のもと、産業デザインセンターが整備された。人が集まると、食べる場所、泊まる場所が必要、と施設が増えていく。いまの広い敷地はその積み重ねでできた。

今回、おおのキャンパス関連だけで6つほどの募集がある。

運営全般・情報発信。体験工房を横断してPRするクラフト推進。レストランの厨房で地元食材を使った商品を開発する仕事。動物ふれあい館のスタッフなど。

「たとえば食の商品開発も、通常のスタッフだけだとアイデアがなかなか出てこなかったりして」

道の駅はリニューアルも控えている。現状はインスタグラムでイベントのお知らせなどが主なSNSでの発信。

「営業力とか発信力が弱いのは自覚しています。なので、そういう知識に長けた人に来てもらえたらいいなと。たとえば、一人が統一して管理し、おおのキャンパスの自然の移り変わりとか、日常の様子をもっと発信してもおもしろいかもしれないですよね」

「我々のような立場の人間がしっかりサポートしていくので、協力隊の人にはいろんなアイデアを出してほしい。そこは手厚くサポートしたいと思っています」

現在、おおのキャンパスでは5人の協力隊が活動している。

陶芸工房の人は、自分の親の介護経験から、介護の現場で使える食器づくりに取り組んでいるそう。これまでになかった新しい商品も並ぶようになった。

「私が思う洋野町の魅力は、人だと思ってます。熱い人がいたり、静かだけど黙々と仕事に打ち込む人がいたり。だけど、どこかみんなこのまちが好きで、盛り上げていきたいと思っている。そんな人たちがたくさんいるんです」

 

次に話を聞いた協力隊OBの長谷川さんも、熱い方だと思う。今年3月まで協力隊としておおのパン工房で働いていた方。

出身は洋野町。東京での暮らしが長く、久慈市を経て、協力隊という形で地元に戻ってきた。

おおのパン工房は、岩手県産100%の小麦粉とまちの雑穀を使い、20年以上パンを焼いてきた。毎日食べる食パンには、卵もバターも入っていない。

長谷川さんは前職で接客販売をしていたのもあり、つくるよりも売るほうが好きだったそう。

力を入れてインスタグラムを更新した結果、出店依頼も増えた。

「大変だったのは冬道ですね、雪道の運転。気をつけなきゃと思うとガッチガチになって、肩とか背中も凝っちゃって」

同じ洋野町でも、山側は海側より雪が積もる。車で3分走れば天気が違うほどだという。

「協力隊の3年間を振り返って、何か結果を残せたかって言われると…。ほとんど残せなかったなと思ってるんです」

というと?

「私が3年で終わったら元に戻っちゃうんですよ。マニュアルをつくるとか、次の人を育てるとかもできずに終わった。正直なところ、その場しのぎにしかならなかったのかもしれないって」

任期後、長谷川さんは観光協会に勤めるという選択をする。

「次に来る人も、パンづくりは素人さんでもいいと思うんです。教えてくださるので。ただ、今パン工房を支えている人もずっとはできない」

「後輩になる人を探してくるとか、卒業するタイミングで自分がパン工房を引き継ぐとか。そういう方がいたらいいなとは思います、理想かもしれないですが。3年後にも何か残るようにって考えてくれる人だとよりいいんじゃないかなと、卒業した側としては思っています」

くやしそうに話す長谷川さん。3年間を本気でやりきった人からしか出てこないものだと思う。

いま長谷川さんは観光協会で、さまざまな観光の企画を動かしている。会いに行けば、気軽に相談に乗ってくれると思う。

 

最後に会ったのは、今年の4月に着任したばかりの田中さん。農業を通じた地域振興を担当する、現役の協力隊だ。

生まれは青森県側の隣町。大学で会計学を専攻し、就職して経理の仕事をしていた。

「30歳の手前くらいに今後のことを考えて。このまま経理のスキルを上げていくなら士業を目指すことになりますが、もっと自主的に考えて動ける別の仕事をしてみたくて」

いろいろと調べた結果、引っかかったのが農業の担い手不足問題だった。

「放棄される農地がどんどん増えている。農業だったら30代ってまだ若いほうだと思うんで、自分がそこに入ることで役に立てたらいいなと」

「農業を始めるってお金もいるので、協力隊でやろうと探したら洋野町が出てきて。ちょっと話を聞いてみようと来てみたら、大原さんが対応してくれたんです。そのときの大原さんの雰囲気とかがすごく良かったんですよね」

借りているのは、もとは休耕田だった遊休農地。育てているのは、ヨモギと赤シソ。畑を貸してくれた方のアイデアを採用した。

「ヨモギって、どこにでも生えているんですけど、薬草だし健康にはすごくいい。加工したら、食べ物にも化粧品関係にも使える。ポテンシャルはかなりあると思うんです」

この辺りでヨモギを本格的に栽培している人がいないので、ブルーオーシャンでありつつ、わからないことを聞ける人がいない葛藤もあった。

ただ土地を貸してくれた人が、トラクターや草刈り機も貸してくれるので運が良かった、と田中さん。

遊休農地を活用し、畑の拡大や扱う農作物を増やそうと考えているところだ。現在は、秋に始める作物の準備をしている。

大変なこともあるけれど、田中さんの表情は明るい。

「今までずっと事務系だったんで、自然のなかで仕事できるとストレスが少ないですね。あとはまちの人と関わる機会が多くて。あんまり社交的なタイプじゃないんですけど、知り合いが増えるのはいいなって思います」

先輩の協力隊にまちの会社へ連れていってもらい、挨拶をする。役場にもfumotoにも、相談できる人がいる。

「地域の人も、新しいことを始める人に対して厳しくない気がしますね。多分、協力隊の先輩方ががんばったおかげだと思います」

3年後、どうなっていたいですか。

「活動の結果として、育てたものがまちに定着してほしい。何か一つ、愛される商品とかをつくれたらいいなと思います」

 

田んぼが並ぶ一角。田中さんが苗を植えたのは4月の終わりだという。10センチほどのポット苗だったものが、いまは腰の高さを超えていた。

一枚ちぎってこすってみると、青くて濃い、よく知っているあの匂いがする。

まだ、餅にもお茶にも化粧品にもなっていない。けれど3年後、これが何かになっているかもしれない。

大野の木工も、パンも、きっと最初はこんなふうに始まったのだと思います。

何かひとつ、自分の芸を磨きたい。そう思った人は、まずはこのまちの空気を吸いに来てみてください。

(2026/07/23 取材 稲本琢仙)

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