コラム

コミュニティをつくるヒト3

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当時、24歳だった4人の若者が立ち上げたバックパッカーズジャパン。現在では、下町情緒溢れる古民家を改装した「toco.」と6階建てのビルを丸ごと使った「Nui.」という個性的な2つのゲストハウスを運営。バーラウンジを併設した独自のスタイルで、さまざまな人々が行き交う新たなコミュニティを生み出しています。その代表を務めるのが、今回お話を伺った本間貴裕さん。今回は立ち上げ当初からのメンバーでCIO情報責任者でもある石崎嵩人さんにもご参加いただき、心地よい風の吹く、開放的なNui.のラウンジにおじゃましてきました。

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――バックパッカーズジャパン自体ができたのはいつですか?

本間 株式会社バックパッカーズジャパンとしては、2010年2月12日の登記です。

――バックパッカーズジャパンに至る前は何をやってたんですか?

本間 すごくざっくりお話すると、生まれは(福島県)会津若松市で、高校までそこで育って、大学も福島県なんです。いま一緒に会社をやっているメンバーとは大学時代からの付き合いですね。19歳までは、大学でもずっと部活ばっかりやってました。

ケンタ (会社の)メンバーとは部活が一緒だったんですか?

本間 学部が一緒だったんです。教育学部で。部活ばっかりやってたんですが、これ以上やっても勝てないなって思ったときがあって、それで辞めて。そんなときに司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで、えらく感銘を受けたというか、「なんじゃこりゃ!」と思った。それで一週間ぐらい学校に行かずに読んでいて。「こんな生き方をしている人がいるんだなー」って、たぶんすごく背中を押されたんだと思う。それで、福島から出てみようと思った。

――突然の決断ですね。

本間 漠然とではあるけど、当時を振り返ると「ひとりになるのがどういうことか」みたいなのと、「海外へのあこがれ」 とか「英語を勉強したい」っていう表面的な動機付けとが重なったんだと思います。それで20歳の時に一年間大学を休学して、オーストラリアを一周するバックパッカーの旅に出ました。

――初めての旅はどうでしたか?

本間 すごく面白かった。「楽しい」って感じとは違ったんだけど。

ケンタ 「楽しい」じゃなくて、「面白い」。楽な感じじゃないけど、興味深いみたいな?

本間  そうですそうです。寂しさとか、孤独感があって、(日本へ)帰りたいんですけど帰らなかった。自分の感情の揺れ動きを初めて感じましたね。そのときはもう二度と旅に出るかと思っていたんですけど、帰って一年くらいしたら、やっぱりあのときのことをよく回顧するようになってきて。その頃に学生団体を2つつくったんですよね。「面白いやつと面白いことをやるのは面白い」っていう精神で、鬼ごっこの学生団体と、国際系の学生団体を。

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――それは現メンバーと同じ仲間ですか?

本間 そうですね。4人とも同じ歳で、ほかの3人は、社会人を一年やっていて、僕は休学した分、一年遅れで卒業して。今後、漠然とですけど、事業として何かをやろうと思っていたのもあって、ひとまずお金を貯めようと、みんなでたい焼き屋さんを始めたんです。

ケンタ へぇー! お金を稼ぐ方法としては、ほかにもいろいろあるじゃないですか。その中でなぜ「たい焼き屋」に?

本間 最初は、季節労働をしようかなと思っていたんですよ。北海道でシャケとって、静岡でお茶とって、沖縄でサトウキビとって、愛媛でみかんとって、っていうの。そうすると一年で200~300万貯まるよと聞いていたので。でもその頃、不況の影響でちょうど、工場があんまり人を雇わなくなった時期だったんです。当時、メンバーもみんな仕事を辞めて住所不定無職になっていたので、どうしようって。

――社会人だった3人も、まだ何も決まっていない段階でお仕事を辞めていたんですね。

本間 そうです。そんなときに、たまたま九州でご縁のある方から、「白いたい焼きが九州で流行ってるんだけど、東京でやってみないか」って声をかけていただいて。僕らとしては、選択肢がないというか、それをやるかアルバイトでひたすら夜勤で稼ぐかみたいな状況だったので。だったら、可能性の幅がちょっとでもあるし、ヒストリー的にも面白そうだし、っていうので、たい焼き屋さんに。

ケンタ なるほど。それで、順調にある程度のお金が貯まったんですか?

本間 そうですね。僕らの場合は、流行りに運よく乗れたおかげがありました。「白いたい焼きブーム」がきた最初の頃に東京で始められていたので。だから、僕らの実力とか、たい焼き屋がどうのという以前に、「白いたい焼き」のおかげでいけました。運が良かったというか。恵まれたというか。

――現在のゲストハウス業へと繋がっていったのはいつ頃なんですか?

本間 たい焼き屋さんを始めてから、みんなで「本当にやりたいことって何なんだろう」っていう話をよくしていました。最初は旅行業かなって話てたんですけど、お金がすごくかかるし、「押し付けるようになる」のが嫌だなってなって。

――「押し付けるようになる」というのは?

本間 「旅っていいよ」とか「旅に行こうよ」っていうのをあんまり言いたくなくて。いまでもよく覚えているんですけど、「CDを置くみたいな形にしたい」って話してましたね。たとえば、僕たちが好きな音楽があって、それを置くからそれを手に取りたい人は取ればいいし、再生ボタンを押したい人は押せばいい。でも別に聞きたくない人はストップで。要は、旅に出たければ出ればいいけど、出たくなかったらそれはそれでいいんじゃないの?っていうスタンスがいいねって。

――なるほど。

本間 それじゃあ、旅に出たい人がいたときに、サポートできるような環境があればいいんじゃないかっていう流れになって、たい焼き屋さんを始めて半年後ぐらいに、「宿をつくろう!」ってなったんです。

ケンタ それは何か縁があったんですか? 物件ありきだったとか。

本間  そういうのはまったくなかった。だから、素人4人が集まっても心もとないということで、まずは4人中2人が世界一周に、僕とイッシー(石崎)が日本一周に行くことにしました。

――またすごい展開ですね。具体的にはどういった目的で?

本間 世界の方は、宿とはどういうものか、旅とはどういうものかについてイメージを掴んでくる。つまり、世界の内装全般を見てくる担当です。日本組は、日本の市場調査とか、稼働率の現状調査、外国人はどういう宿を求めているかというデータ収集をして持ち寄ることにしました。なので、縁というよりも、最初は調査ベースで、足で稼いでいましたね。

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左からナカムラ、本間さん、石崎さん

――たいやき屋の仕事である程度資金も貯まってきた段階で、調査を始めたんですね。

本間 そうですそうです。2人が残って、たい焼き屋をやっている間に、2人が行って。それで交代して、また2人が行くという感じです。

石崎 僕は東日本担当で、3月は、雨と吹雪に吹かれながら。仙台も雪が積もっていたし、そのあと北海道まで行ったり。青春18切符で行ったので、全部鈍行で乗り継いで回ったんです。3時間待ちしなくちゃいけないこともたくさんありました。でも、オフシーズンっていうのもあって、東日本は静かな感じでしたね。

本間 最終的にイッシーと京都で落ち合うことになっていて、そこでお互いの情報交換をして、日本調査組の目標は「立地を出すこと」でした。ターゲットを外国人にしたときに、どういう立地が外国人にとって強いのか。駅から何分、どういう建物か、何人ぐらいの収容か。お互いの見解含め、「やっぱりここだね」っていうポイントを擦り合わせていきました。

石崎 最初から「東京で」と限ってもいなくて。もし、地方の方が可能性があるんだったら、地方でもよかった。そのぐらいのつもりで見てきて、どういうところがいいかなぁっていうのを探しましたね。

――マーケティングのノウハウは独自で考えたんですか?

本間 ノウハウも何もないですね。オーナーさんに「ゲストハウスやりたいんですけど、お願いします」って言って、聞いて回って。あとは、泊まっている外国人に聞き込みをしたり。

ケンタ へぇー!

本間 だから、アンケートのとり方も途中で工夫しながら、「これ聞いても意味ないね」とか「こういう風に聞いた方がいいね」とか。

石崎 マーケティングって言うと、左脳的な感じですけど、ゲストハウスってやっぱり人相手というところもあって、だいぶ右脳的な感覚で調査したいところもあって、そういう擦り合わせもしましたね。

ケンタ そうやって世界と日本を巡った結果、出てきた結論ていうのはどんなものだったんですか?

本間 すごく興奮してみんなに電話した宿があったんです。沖縄だったんですけど、イッシーとミヤ(現・toco女将)に電話して。調査しているときにも数字とは別に、続く宿と続かない宿の条件が知りたいと思っていて。

ケンタ なにそれ?! 面白い!

本間 沖縄で「絶対これだ!」って思ったのが、「その宿を愛しているスタッフが1人いるかいないか」なんですよ。

――それはどこの宿でだったんですか?

本間 沖縄の北の方にある小さい宿です。そこの宿のマネージャーであったり、女将だったりが、その宿のことを真剣に考えていれば、悪くなるはずがないって思った。どこの店でもそうなんですけど、愛を持って、何とか良くしようと思う真剣な人が1人でもいれば、潰れることはまずないっていうのが、数字で見てきたのとは違う結論です。

ケンタ そうですね。場づくりするときに、やっぱりデザインとか、コンセプトとか、いろいろ枝葉の部分はあるけど、圧倒的にそこにいる人が一番大切ですよね。

本間 うんうん。

ケンタ 具体的には、そちらの宿でどういう経験をしたんですか?

本間 空気感ですね。その人からその場所が出てくるというか。めちゃくちゃカッコいいわけでもないし、すんごい居心地がいいわけでもないし、立地が素晴らしいわけでもないし、むしろ立地なんて全然よくなくて。沖縄の北の方で、バス乗り継がなきゃいけないし。

――なかなか気軽に行けるような場所ではなさそうですね。

本間 そうですね。宿自体、料理が特別美味いわけでもないし(笑)。でも、あそこにあの女将がいるから、あの空気になる。そういうのがにじみ出ているんです。だから、みんな女将に会いに行くっていう。これはすごいなって。

石崎 たとえば置いてあるもの一つ一つに、女将がこう思って、だからここに置いているっていうのが、すべて結びついているんだっていう話をそのときの電話でもしてましたね。何でここにティッシュがあるのか、とか。

本間 オシャレじゃないんだけど、配置に愛があるというか。ちゃんと1個のところに向かって、シャープに山なりに、意思がつながっていく状態。ああ、これはこうなんだな。あれはこうなんだな、なるほどね、だからこういう宿をつくりたいんだねっていう。それが全部つながってバーっと上がっていく上昇気流をつくっている。

ケンタ 仮に、誰かがディレクションする立場だと、目標を外に設定して、その人が想像しながらつくっていくじゃないですか。そうするとやっぱり粗が出てくる気はしますね。結局自分がやりたいようにやって、しかもそこにずっと居て、試行錯誤を繰り返してでき上がった場所に矛盾が生じるわけがないですよね。やっぱり強い。

本間 要はそれが「あったかい」っていう感覚であったり、安心感というか、ここに居ても大丈夫っていう。そういう安心感があるからこそ、お客さん同士が安心して話せるってところまでつながってくんじゃないかなと。

ケンタ 確かに。安心して話せるっていうのはあるなー。僕は沖縄の「月光荘」(ゲストハウス)が好きで、あそこもスタッフですよね。

本間 間違いない。

ケンタ 毎晩飲みに誘われるし。ああいうところは、合う人合わない人がいるかもしれないけど、安心はできますよね。一方で、オシャレで素敵なんだけど、全然そういうコミュニケーションが出来ないゲストハウスもあって、それはなんかそういうのがあるんでしょうね。

本間 それはそれでいいと思うんですけどね。だけど僕らとしてはあんまり。誰でもやれるスタイルなので、それは興味がないというか。それはそういうのをやりたい大企業がやってくれればいいかな。

ケンタ 確かに。なるほどね。

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