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大量につくることを優先したものから、技と手間をおしまずにつくられたものまで。私たちはたくさんのものに囲まれて生活をしています。どちらかと言われれば、ちゃんとつくられたものを選びたい。
ものを大切に扱っていれば、暮らしは満ち足りていくように思います。

これは、中川政七商店の石田さんの言葉。
「遊 中川」「中川政七商店」「日本市」などのブランドを運営する株式会社中川政七商店は、日本で育まれてきた工芸を今のライフスタイルに合わせてものづくりをしている会社です。“日本の工芸を元気にする!”という想いのもと、生活雑貨などの企画から販売を行っています。
はじまりは江戸時代、奈良で栄えた「奈良晒(ならさらし)」の問屋として創業しました。300周年を迎えた今年、掲げたスローガンは「100年後、工芸大国日本」。歴史ある会社でありながら、ベンチャー企業のように新しいことにどんどん挑戦をしています。
今回は、これからの100年を一緒につくっていく仲間を募集します。
まずは今ある店舗で販売の経験を積んだあと、日本各地に展開していく店舗を任せていけるような人に出会いたいと思っています。

青山通りの賑やかさからは少し離れたところに、「中川政七商店」の表参道店がある。
店内には色とりどりの器やハンカチなどいろいろな道具が並んでいて、自然とプレゼントしたいと思う相手の顔が浮かんできた。
2階にある東京オフィスでお話を伺ったのは、ブランドマネージャーの石田さん。

「商売としての数字と、中川政七商店らしさ。そのバランスを考えながら、商品やお店をつくっています。たとえば店頭で象徴的に見えるのは、やっぱり工芸をベースにしたものがいい。けれどそういうものがすごく売れるわけではないというのが正直なところです」
たしかに、手に取りやすいのは伝統工芸品より身近な雑貨。
「どっちがいいわるいではなくて、どちらもあっていいんです。けれどいわゆる雑貨、アパレルっぽく見えるものが前に出てきてしまうのは、中川政七商店ではないんですよね」
「工芸の残し方は2通りあると思っています。1つは変えずに、大切に保存する。もう1つは、その時代の生活の中で使いやすいように変えながら残していく。私たちは、後者が工芸の正しい残し方だと考えているんです」
たとえば、中川政七商店で販売している「花ふきん」。奈良の特産品でもあった蚊よけの蚊帳は、時代とともに使われることがなくなっていった。
中川政七商店では蚊帳生地の吸水性や速乾性を活かして、機能的なふきんとして販売。ながく店頭に並ぶ、人気の商品になった。用途を変え、その時代にあった道具につくり変えていくことで、技術は残っていく。

「ふらっと入ったお店で、このマグカップデザインがいいなと買ってみる。家でよく見たら波佐見焼と書いてあって産地を知る。興味がわいて、旅行で訪れてみる。そんなふうにして、工芸の間口を広げるきっかけになりたいんです」
現在の代表が13代目に就任したころからブランドの立ち上げや書籍の出版、コンサルティング事業など、どんどんあたらしいことをはじめてきた。
今年も300周年を記念して、「100年後、工芸大国日本」というスローガンを発表。地域を巡るイベントの開催や産地を紹介するメディアなど、たくさんのプロジェクトが立ち上がった。

けれど「業界特化型のコンサルティングをする」と言われたときには、戸惑いがあったそう。
「すごく飛躍しているように思えました。会社を1つや2つコンサルティングしたところで、日本の工芸が元気になるんだろうか。ぜんぜんピンとこなかったんですよね」
コンサルティング事業として最初に取り組んだのが、長崎の陶器メーカー、マルヒロのブランディング。その成果として生み出された「HASAMI」と名付けられたマグカップやお皿を目にしたことのある人も少なくないと思う。

日本の工芸を元気にする。お店の雰囲気からふんわりとした印象を持っていたけれど、背負っているものはとても大きい。
「仕事自体はすごくシビアです。本社であっても、デザイナーであってもお店であっても、それは一緒。『日本の工芸を元気にする!』というビジョンは生半可な気持ちでは達成できないことだと思っています」
春には東京・銀座であたらしいコンセプトの店舗を立ち上げることが決まっている。どんな店舗になるんでしょうか。
「中川政七商店の店舗の一部で、いわゆる高級工芸と呼ばれる工芸品を販売します。今の暮らしにあわせてつくった商品とともに、そのルーツになるものを置くことで、より工芸のことを知っていただけるんじゃないかと考えているんです」
たとえば九谷焼でていねいに絵付けをした絵皿と、九谷焼で使っている塗料を用い、より効率的に絵柄を表現できる転写シールを使ったかわいらしい器の両方を取り扱う。
そうすることで今、中川政七商店に並ぶかわいらしいものたちが、どう工芸の世界とつながっているのかを理解することができる。
こうして挑戦を繰り返しながら少しずつ進んでいく。

今は本社のある関西や、東京に多く店舗がある。これからは日本中の地方都市にも店舗を広げていくそうだ。
「店長には、一国一城の主であってほしいと伝えています。50店舗お店があったら、50人の個性的な店長がいるっていうのが私の理想なんですよ」
地域が違えば来てくれる人も違う。お店のことを一番よくわかっている店長に、そこでしかできない中川政七商店をつくっていってほしい。
「もちろんすぐには難しいと思います。今は、中川政七商店らしさを共有するため、ベースをしっかりつくっていく段階だと思っています」
実際に店舗を任されているのは、どんな人たちなんだろう。店長として働く2人を紹介してもらいました。
まずははじめての東北地方店舗となった仙台店を任されている、達川さん。思わずほっとしてしまう笑顔がとても印象的です。

東京でいくつかの店舗で販売を経験し、立川店の店長を任されるようになって1年がたつころに、仙台店の店長を公募していることを知った。
「東北ではじめてできる店舗ということで、不安はありました。けれどせっかくの機会だからチャレンジしてみようと思いました」

「働くスタッフにとっても、お店にきてくださるお客さまにとっても。ここがはじめて知る中川政七商店、という方が多いんです。ここでの印象がそのままブランドのイメージつながるので、気が引き締まります」
東京との違いを感じることはありますか。
「気さくなお客さまが多い気がします。買いものにくるというよりは、話をしにきてくれるような感覚で立ち寄ってくださるんですよ」
「このあいだは佃煮を購入してくださったお客様が『これ炊き込みご飯にしたらおいしかったわよ』って。逆に教えてもらいました(笑)」
鉄の器でできた魚焼きグリルや、こけしの絵柄が入ったグッズなど、東北になじみのあるものが人気なのも特徴なんだとか。
「地域でものづくりをしているかたを紹介したり、近くでつくっているものを仕入れたりすることもできるかもしれません。まだまだ、この店でしかできないことがあると思うんです」
次に紹介してもらった河原塚さんは、店長になって半年がすぎたところ。東京駅に店を構える「日本市」を任されています。
「正直、店長は大変な仕事です」と、照れ笑いをしながらも話をしてくれました。

スタッフが安心して働ける環境をつくっていくのが、店長の大きな仕事の1つになる。
河原塚さんも最初はアルバイトとして入社、社内の公募制度を使って社員になった。ほかにもアルバイトから社員となって働いている人が多いから、不安なことがあれば相談できる環境があるそうだ。
「日本にはせっかくいいものがあるのに、ものが溢れているから埋もれてしまう。なんとなく『これでいいか』って買うものを選んでしまう。伝え方や流通のあり方に違和感を感じてここで働きたいと思いました」
「日々、目の前のことに取り組みながらも、大切なビジョンは忘れないようにしていきたいです」
「日本の工芸を元気にする!」
壮大な話に聞こえるかもしれないけれど、実現するための道筋はちゃんとできています。
中川政七商店の考えるものづくりに共感できるところがあれば、まずはお店に足を運んでみてください。
(2016/11/30 中嶋希実)