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いつか失敗も、誇らしく
分岐点はこのまちに

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「ここでは挫折も価値にできる。僕が失敗してきたことも含めて、必要としてもらえると感じられたので、この町に来ることを決めたんです」

新潟県・阿賀町にある公営塾「黎明(れいめい)学舎」で働く丹羽さんの言葉です。

人口減少により、高校の存続が危ぶまれる地域で、学校の魅力化を通じてまちを元気にする取り組み「高校魅力化プロジェクト」。

この「黎明学舎」も、阿賀町唯一の高校である県立阿賀黎明高校の生徒のために生まれた、町立の塾です。

今回は、ここで一緒に働く地域おこし協力隊を募集します。

黎明学舎の役割は、これから進路を選び取っていく高校生に、学習サポートや、キャリア教育などを通じて広い可能性を示すこと。

自分の得意なこと、学んできたことが、生徒の新しい目標を見つけるきっかけになるかもしれません。あるいは、失敗やコンプレックスがあるからこそ、生徒の背中を押せることもある。

自分の強みも、弱さも、この町だから活かせることがあると思います。


新潟市内から、車なら1時間で来られるという阿賀町。

今回は、新幹線の新潟駅から鈍行で最寄りの津川駅を目指す。町が近づくと、電車は阿賀野川と並走していく。

町や学校を案内してくれたのは地域おこし協力隊の川田さん。

発足から3年間、黎明学舎の塾長として運営をリードしてきた川田さんは、今年の3月で任期を終える。

一緒に役場に向かいながら、これまでの活動について教えてもらった。

高校を運営する“県”と塾を運営する“町”、学校の先生と協力隊など、立場の異なる人たちと目的意識を共有することからプロジェクトははじまった。

川田さんは先生や生徒の普段の様子を知ろうと、学校の5分休みなどのちょっとした時間を利用してコミュニケーションをとり、試行錯誤しながら運営を続けてきたのだそう。

「最初は僕たちも、生徒の前で失敗することがたくさんあったんです。生徒たちにとっては『大人でも失敗したら、自分たちに謝ることがあるんだ』って、気づきになったんじゃないかな」

「僕は教員免許も持ってないし教育に関しては素人だったのが、逆によかったんだと思います。もし僕が熱い教育論みたいなものを持って乗り込んだら、学校の先生たちとうまく協力関係をつくれなかったかもしれない」

学校の先生の指導経験と、民間企業を経験してきた協力隊が、お互いに補完し合いながら、この町の生徒のためにできることを考える。

たとえば、東京の大学進学を希望している子のために、キャンパス周辺の雰囲気を話してあげることも、東京に住んだ経験があるからできること。

最近では、川田さんと高校の生徒会が共同で中学生向けに高校紹介の動画をつくったり、キャリア教育について、進路指導の先生から協力隊に相談が持ちかけられるようになったり。活動は塾の中だけでなく、少しずつ高校の中へ、さらに町へと広がりつつある。

「2年間塾を運営してきて、学力としては結果が出はじめている。だからこれからは国・数・英だけじゃなく、“+α”の部分を教えられるようになったらいいなと思います」

この町で過ごしている高校生は、都市部に比べて体験として知っている職業の数が限られている。だから、自分にはどれくらい選択肢があるのかを知らないままに進路を決めてしまうこともある。

たとえばこれから協力隊になる人が、大学で専攻したこと、関わってきた仕事、住んだまちのことを体験として話せるだけでも、子どもの視野を広げるきっかけになる。

「今後は協力隊が自分の経験や特技を生かして、ゼミみたいなものができたらいいなと思うんです。町の問題を、町民も協力隊も生徒も一緒に考えるような。それが一番の課題解決型学習じゃないかな」

阿賀町が直面している人口減少は、いずれ日本の各地域が経験することになる問題。協力隊としてその課題に向き合い身につけたスキルは、今後いろんな場面で活用できると思う。

生徒たちにとっては、当事者として実践的に学ぶ材料となり、この町に生まれたことがアドバンテージになっていく。

「できることはたくさんあると思います。ただ、次に来る人に僕のやってきたことを全部引き継いでほしいとは言いません。町の人と一緒に、自分の視点で価値あるものをつくればいいと思います」


町との窓口である役場の人たちは、どんな思いで公営塾に向き合っているんだろう。阿賀町の教育課長である大江さんに話を聞いた。

「これまでずっと建設課で仕事をしていて、この6月に教育課に赴任してきたばかりなんです。先日の成果報告会ではじめて、黎明学舎ができてから大学に行ける子が増えているのを知って驚きました」

「まだ町の中でも塾の価値がきちんと伝わっていないところもあるんですが、町の人がもっと自分ごととしてこの取り組みを応援してもらえるように、協力隊や町の人が交流できる場をつくっていきたいですね」

自分たちの町の、子どもたちの進路。

人口減少を課題とする町の人は、進学、就職と町の外へ巣立っていく子どもたちの将来にどんな思いを持っているんだろう。

「たしかに町の存続問題は深刻なんですが、だからと言って子どもたちを町に留めることには抵抗がある。僕自身、経済が衰退するのを見ながら育って、一度は町を出ていったんですから」

「子どもたちが勉強を通じて見識や人格を育み、外の世界で活躍したいと思っているなら、町としてはできるだけ応援したいなと思うんです」

自分の将来を決める学びの機会を、町と学校が一緒につくる。

町が自分を育ててくれたんだという愛着を感じてもらえれば、進学で町を離れたあとも関係を続けていくことができるはず。

いつか社会に貢献する力をつけたとき、振り返りたいと思える故郷であればいい。


その思いは教育委員会だけでなく、塾も、学校で生徒を指導する先生にも共通していた。

役場を出て、さらに車で5分ほどのところにある阿賀黎明高校へ。廊下を歩いていると、すれ違う生徒がみんな自然に「こんにちは」と挨拶してくれる。

阿賀黎明高校で教頭を務める尾上先生に、学校生活のことを教えてもらった。

「公営塾の先生たちは、毎日9時くらいまで生徒の勉強を見てもらって、本当によくやってくれているなと思います。生徒にとっても、お兄さんお姉さんみたいな身近な存在なんでしょうね」

授業や部活が終わったら、それぞれのペースで勉強を進めていく。まだ少人数ではあるけれど、通っている生徒たちにとっては、高校生活の一部として定着しつつあるのだそう。

最近は学科の指導だけでなく、学校と共同でキャリア教育のための講座を企画するなどの連携も生まれている。

「新しい入試対策として、課題解決型学習もはじまっていますが、生徒はまだ少し受け身かな」

「学習のテーマ設定に必要な社会のことや企業のこと、実際に民間企業で働いた経験のある人が、身近にいて体験談を話してくれたら、もう少し実感が湧くかもしれませんよね」

インターネットでたくさんの情報を得ることよりも、目の前の一人の先生が実感を持って語ってくれることのほうが、具体的に目標を意識することにつながるのかもしれない。

「実はここ数年、美大に進学する生徒が増えているんですが、それは黎明学舎に美大出身のスタッフがいるからなんじゃないかなと思います」

興味はあっても、町では誰に相談していいかわからなかった専門分野のこと。スタッフとの出会いによって、潜在的な希望を具体的な進路として形にできたのかもしれない。


実際に生徒が学んでいる黎明学舎の教室を覗くと、一年生の生徒が数学のプリントを解きながら、スタッフと話していた。

黎明学舎のスタッフはどんな先生か尋ねると、「自分の兄弟より歳は離れているけど、話しやすい。陽気な人たち」と答えてくれた。

「陽気かなあ」と笑いながら、普段の様子を教えてくれたのは、一昨年の9月に赴任したという丹羽さん。質問一つひとつに、ゆっくり丁寧に答えてくれる。

「応募したときは、すごくふわっとした気持ちだったんです。採用をもらってから、本当に田舎で生きていけるのか不安になって(笑)。実際に暮らしてみたら、ドラッグストアやホームセンターもあって、あまり不便ではないですよ」

「地域のお祭りに参加したり、町の人からお米やおでんの差し入れをしてもらったり。子どものころ引越しが多かったので、地元ができたみたいでうれしいです」

平日は毎日、午後から塾に来て生徒たちを待つ。

大学受験を目指している子だけではなく、日常的な学習習慣を身につけるために通う子、そもそも学校に通うのがつらいと感じている子もいる。

都市部の進学校に通っていた丹羽さんは、自分の学生時代の経験とのギャップを感じることも多かったそう。

「塾講師をしたこともあったので、受験勉強のテクニックも教えられるぞっていう意気込みがあったんですが、そんなの誰も求めてない。最初は本当に一方通行で空回りしていました」

「一緒にノートを開いて『とりあえず1問目いこう』っていうことから。生徒と同じ目線に立ってみることで、何が必要なのか少しずつ分かってきた感じですね」

やり方を知らないだけで、できないわけじゃない。少しずつ自信をつけて学力を伸ばしていく子どもたちを見ていると、その伸び代にやりがいも感じるのだそう。

公営塾の活動を通して生徒に伝えられることは、勉強だけではない。

それは自分の弱いところも、取り繕わずに見せること。完璧じゃないほうが、生徒が安心して心を開けることもある。

「実は僕、大学を出てから一度医学部を目指して勉強をしていたんですが、挫折してしまって。家から出られなくなった時期もありました」

カナダにワーキングホリデーに行ったり、塾の仕事をしたりしながら体調を回復したものの、同世代の友人が結婚し、仕事で成功するのを見るたびに、自分の経歴にコンプレックスを感じていたという。

「そういう経験があるから、学校生活や勉強で悩んでいる生徒とは波長が合うのかもしれません。具体的なアドバイスをするわけじゃないんですけど、ゆっくり聞いて、無言も含めて一緒にいる。そういう保健室的な役割ができたらいいなと思います」

生徒に向き合う時間は、自分自身の将来を見つけるきっかけにもなった。

丹羽さんは、残りの任期が終わったら臨床心理士になるため、大学院への進学を考えているのだそう。

「もともと医学部を目指していたときも精神科医になりたかったんです。この仕事をして、やっぱり僕は人の心の動きとか、それに寄り添うためにどうしたらいいかっていうことに関心があるんだって気づくことができました」

生徒も自分も、お互いをさらけ出して学びに変える。

課題があるからこそ、変わるきっかけをつかめる。そんな場所なのかもしれません。

(2018/12/10 取材 高橋佑香子)
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