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Wild to Table
そのまま採れたてを
さあどうしましょう

島根県の沖合に浮かぶ海士町(あまちょう)。

以前、「挑戦と生きる島」として特集記事でも紹介しました。

人口2300人ほどの小さなこの島には、新しい環境に飛び込んでくる人を受け入れ、応援する土壌があります。

かつて過疎化や財政難といったピンチに直面したとき、島の人たちは外からやってきた人のアイデアや熱意を積極的に取り入れ、対話を重ねながらいくつもの困難を乗り越えてきました。

まずは耳を傾け、失敗したとしても「とりあえずやってみたこと」を面白がる。そんなふうに、挑戦する人を丸ごと受け止めてくれるおおらかさがまち全体に根付いているんです。

今回紹介する「島食の寺子屋」も、新しく食の世界へ飛び込む人に知ってほしい制度です。

入塾生のほとんどが、料理未経験者。プロの料理人から包丁の持ち方や道具の使い方など、和食の基礎を一から学ぶことができます。

都市部のように何でもすぐに手に入る環境ではないからこそ、自ら海や畑に出向き、季節ごとの食材の生きた姿を五感でインプットしていく。

卒業した生徒たちの進路は、本当に多様。

京都や東京にあるお店へ進む人もいれば、別の地域に飛び込み、みずから畑を耕して育てた野菜を使って料理をつくり、届ける暮らしを送っている人もいます。

さらなる選択肢として、島でレストラン運営やお土産づくりなどを手掛ける株式会社海士へ就職する道もあります。

寺子屋で築いた関係性や島の恵みの知識を、そのまま島で実践していく。

料理人に限らず、サービスや商品開発、食のイベント企画など、多様な選択肢が島にはひらかれています。

 

朝から飛行機で米子空港へ。電車とフェリー、最後は小さな連絡船に乗り継いで、海士町に着くころにはもう夕方。

島の玄関口である「キンニャモニャセンター」を降りると、遠くからにぎやかな声が。

青い法被姿の人たちが声を張り上げて列を先導し、みんなもみくちゃになりながら立派なお神輿を担いでいる。どうやらこの日は「神幸祭」というお祭りらしい。

混ざるように歩くスピードを合わせて、宿泊予定のホテル「Entô」へと向かう。

港から歩いてすぐの場所にあるEntôは、隠岐ユネスコ世界ジオパークの拠点施設も兼ねている。客室の大きな窓からは、おだやかな海と緑豊かな島影が絵画のように広がり、島の自然にそのまま溶け込んでいくような心地がする。

ふかふかのベッドでゆっくり休む。

次の日、約束の1時間前に連絡が入る。

「定置網漁に行った船が、港に帰ってくるかもしれません。その様子もできれば、見ていただきたいのですが…」

急いで荷物をまとめて、外に出る。

島食の寺子屋は、日々、島でとれる食材だけを使って料理を組み立てる。天候や漁の状況によって手に入るものが変わり、それによって生徒たちがつくる料理も変わっていく。畑で採れる野菜や港で揚がる魚は、今日の献立を決める出発点になる。

港に着くと、ちょうど船が帰ってきたところ。

クレーンで吊り上げられていたのは、200kgを超える大きなカジキ。周りでは水揚げされたばかりの魚が仕分けられている。この日は風が強く、普段より水揚げが少なかったそうだが、活気に満ちている。

海士町に来るのは2度目だけれど、こんなふうによいハプニングに巻き込まれることが多い気がする。

車で10分ほど移動し、「離島キッチン海士」へ。

ここは、島食の寺子屋で学ぶ受講生が、週に1回ほど実践授業として料理を提供する日本料理店。

カリキュラムは、料理の基礎から始まり、この店での実践を経て、最終的には生徒自らがお品書きを考えるというアウトプットまでの一連の流れで設計されている。

この日は旅行会社のツアーによる予約が入っているとのこと。

厨房にお邪魔すると、先生と7人の生徒たちが、声を掛け合いながら作業を分担している。まな板に向かって黙々と魚をさばく人、火加減を見つめる人。

ピンと張り詰めた心地よい緊張感が漂っている。

落ち着いたところで、受講生の一人である石井さんに話を聞くことに。

もとは都内の大学に通う大学生で、茨城にある実家の宿を継ぐべきか、就職を前にずっと頭を悩ませていたそう。

大学を休学し、インターンシップを探すなかで偶然見つけたのが、島で暮らしながら試しに働く「大人の島留学」という制度だった。

「父親が昔海士町に行ったことがあって、聞き覚えがあったんですよね。なんだかご縁を感じて。まずは3ヶ月だけ暮らしてみようと思ったんです」

けれど、短期間では自分が本当に宿の仕事に向いているのかわからなかった。無理に答えを出さず、もう少し島に身を委ねてみることに。

島の自然や文化を伝えるガイドの仕事をしてみたり、シェアハウスの仲間と畑仕事を手伝ったり。島で過ごすうちに、ぼんやりと自然と食に惹かれる感覚があったという。

「季節ごとに採れる山菜や、近所の人からお裾分けしてもらう魚。畑でごぼうを1本抜くのすらこんなに大変なんだって。豊かな自然と日々の食卓が、密接に結びついていることのおもしろさに惹かれていったんです」

「食という角度から、自然と暮らしのつながりを届けてみたい。そう思って、島食の寺子屋へ飛び込むことを決めました」

とはいえ、本格的な料理はまったくの未経験。入塾前は「3日で逃げ出してしまうんじゃないか」と不安でいっぱいだったそう。

寺子屋での1年間は4月から始まる。まず包丁の感覚を覚えるため、ひたすら大根のかつら剥きや、魚を捌くことなどを地道に重ねる。

包丁の使い方や出汁の引き方など、基本を押さえたら、そこから先は、その日の食材と向き合って料理を組み立てていく毎日が始まる。

その日、島にある食材をどう生かせるか。決まったレシピありきではなく、あるものからつくるというのが島食らしさでもある。

山へ入ってタケノコを掘ることもあれば、海に入ってもずくを採る体験をさせてもらうこともある。

山椒の実を枝からプチプチと分けたり、海藻についた砂を丁寧に掃除したり、タケノコは大きな鍋で何時間もあく抜きをしたり。素材を食材にするための手間もかかさない。

6月からは週に1回程度、離島キッチン海士で実践授業が入ってくる。失敗できない緊張感のなかで手を動かして、また校舎へ戻って練習を重ねる。

「どうしても作業が遅くなっちゃうのは、常に自分にとって課題です。今日の仕込みでも、ほかの人は伊佐木とアジをやり終えて次のステップに進んでいるのに、私はイカを捌くだけで精一杯で。まずいなって、焦りや申し訳なさを感じながら必死に手を動かしています」

夏と冬には京都での料理店研修も挟みながら、年明けごろに次の進路を決めるまでが1年の大まかなスケジュール。

寺子屋の校舎の壁には、受講のはじまりにみんなで書いた字が貼られている。

石井さんが書いたのは「無」と「貫」という文字。

「なにも無かったところからスタートしました。島で過ごすうちに見つけた自分のやりたい気持ちを、1年間はしっかり貫きたいなって」

石井さん自身、寺子屋を卒業したあとの進路はまだ未定。

「先のことはまだ見えていないけれど、この1年間をやりきった先に、必ず次の道が見えてくるって信じています」

 

「寺子屋と繋がりのある料理店を紹介することもありますが、基本的には生徒たち自身で探してもらうようにしています。最終的にどんな道を選ぶか、自分で動いて決めるほうが、やっぱり納得感があると思うんですよね」

そう続けるのは、受講生を受け入れるコーディネーターの恒光さん。海士町に暮らして、かれこれ10年になるそう。

そもそも島食の寺子屋が始まった発端は、生産現場を知らない料理人の卵が多い、という危機感から。魚がどんなふうに獲れるのか、野菜がどうやって育つのか。それを自ら足を運んで見に行けるこの島の環境で料理人を育てようとスタートした。

食材の背景にある自然や人の営みごと味わう。

ここでしか得られない経験だけれど、1年間でそれをすべて自分のものにするのは、なかなか大変なことでもある。

「1年目は、次から次へとやってくる季節の変化や、初めて見る食材を咀嚼するだけで精一杯だと思うんです」

「もし卒業後も島に残るとしたら。去年の暑い時期に、あんな食材を自分たちで採りに行って、こんな料理に仕立てたな、というように、当時の感覚や料理のこともありありと蘇る。自分の感覚と季節の巡りの答え合わせができるようになっていくんです」

島食の寺子屋のプログラム自体は1年間で、その後の進路は自由。もしこの島でもう少し学びや技術を深めたいと思ったら、そのまま島に残り、株式会社海士で働きながら実践を積むという道もある。

「寺子屋という看板がなくなって、むき出しのひとりの人間として生産者さんたちと距離を縮めていくことになる。それはすごく面白い経験になるはずです」

 

株式会社海士で人事を担当する笠原さんは、こう話す。

「ここ数年で、私たちの食事業の幅がすごく広がったんです。島の食材にこだわったコース料理を提供する『Entôダイニング』だけでなく、日常づかいの定食やお弁当から、島のお土産の商品開発、ひいては、海の恵みそのものである「塩」を作るところまで。1年間学んできたことを、自分なりのやり方でカタチにできる場所がいくつもできました」

首都圏の生命保険会社から、ふとしたご縁でこの島へ移り住んだ笠原さん。気づけば島での暮らしも9年目を迎えているそう。

島で過ごすうちに、人や出来事との良い意味でのしがらみや縁がじわじわと育っていく。だからこそ、深く関わり続けたくなる魅力があるのだと笠原さんは話す。

「料理をつくるだけでなく、生産者さんに還元し、島の人や観光客に隠岐の恵みを直接伝えていく。そんなふうに、島全体の食の循環に加わっていってほしい」

「そのための場所はいつでも開かれていると思います。ここで島に関わり尽くして、私たちと一緒に食の未来をつくっていけたらうれしいですね」

 

笠原さんの言葉の通り、株式会社海士には多様な現場がある。

かつてEntôダイニングの料理人を務め、現在は島民もよく利用する食堂「船渡来流(セントラル)亭」と、特産品の開発を行う製造部のマネージャーを担っているのが吉冨さんだ。

吉冨さん自身、都心の飲食店で経験を積み、数年前に移住してきた料理人。

最初は1年で島を出るつもりだったものの、島の生産者たちと深く関わるうちに考えが変わったという。

「一番は、生産者の方々にどれだけ還元できるかだと思っていて。農家さんが作ったものを適正な価格で買い取って、料理の力で価値を伝える。その循環をつくりたいんです」

いま吉冨さんのもとでは、寺子屋を卒業した若いスタッフたちが働いている。

チームのスタッフを巻き込んで農家さんの畑へ足を運び、サツマイモの苗植えを手伝うこともある。土に触れ、ツルを植えるところから泥臭く関わるからこそ、食材を無駄にせず皮までおいしく使おうという意識が自然と育まれていく。

さらに食の可能性を広げるため、港の加工場では島の特産品である「塩」や「麹」を使った新しい調味料の試作や販売に向けて動いている。

「寺子屋を卒業したスタッフは、生産現場への思いがすごく強いんです。『この食材を使いたいから、あの農家さんに種を渡して育ててもらってもいいですか?』と提案してきたり。そんなふうに素材と向き合う姿勢を、事業としてどう成り立たせるか。それを一緒に試行錯誤できるのが今のフェーズですね」

 

その日あるもので、その日を形づくる。

ここで培った経験と姿勢は、この先どんな道を選んでも、一生揺らぐことはない自分の土壌になるはずです。

(2026/07/15 取材 田辺宏太)

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