コラム

今、ローカルで仕事をつくる
つながりのない土地で
フリーランスになった人

こんにちは。日本仕事百貨の遠藤です。

ローカルで自分の仕事をつくる人たちにスポットを当てたこのコラム。仕事が生まれるまでの経緯や、自分の生かし方など、等身大の話を聞いています。

前回に引き続き、大分県別府市を訪れています。

第二回は、プロダクトデザイナーの杉本国雄さん。東京で20年のキャリアを積んだ杉本さんがまず取り組んだのは、“ご縁”をつくるための地道な行動でした。

別府といえば、やっぱり温泉。

街のあちこちに100円で入れる天然温泉があって、コンビニに行くような感覚でお湯に浸かることができる。

取材までちょっと時間があったので、私もひと風呂浴びることに。

芯から温まったところで、約束の場所に向かう。

訪れたのはとあるマンションの一室。プロダクトデザイナー杉本さんの事務所です。

「すぐ上の階に自宅があって、妻の親と僕たち家族で住んでいます。今日はこのあと、娘をチアダンスの練習に連れて行く予定です(笑)」

柔らかな物腰の杉本さん。自己紹介したあと、向かいに座って話を聞く。

杉本さんが、東京から奥さんの実家のある別府に移り住んだのは2年前のこと。

それまではデザイン事務所でイヤホンやエアコンなどのデザインを手がけたり、インハウスデザイナーとしてメーカーのデザイン室の立ち上げを任されたりしていた。

「東京では企業のなかで20年ほど働いて、プロダクトのほかにロゴやパッケージのデザインも手がけていました。一方で、いつかは独立していろんな仕事をしてみたいという思いも昔からあって」

本格的に独立を考えはじめたのは、最後に勤めたメーカーで立ち上げたデザイン室が軌道に乗ったころ。次のステップに進むには、ちょうどいいタイミングだった。

「妻に相談したら『一緒に別府に行こう』と返ってきて。まだつながりのないところでゼロから仕事をつくるのも面白そうだと思いました」

「不安はあったけど…ぼくはちょっと楽観的で(笑) ある程度キャリアも積んできたし、ちゃんと動けばなんとかなるかな、というか。それに仕事以外の状況、たとえば子育てや妻の過ごしやすさを考えたとき、別府に行こうと思ったんです」

そうして家族で奥さんの実家に引っ越した杉本さん。晴れてフリーランスのデザイナーとなり、個人事務所を立ち上げる。

「ネットとパソコンさえあれば仕事の大部分はできるので、別府や大分、九州といった括りにはとらわれずに活動できるなと。ただ、万一まったく仕事がなくても、2年間は食べていけるくらいのお金は蓄えておきました」

まず取りかかったのは、仕事につながるタネを蒔くこと。

そのうちの一つが電話営業だった。

「製造業の会社情報が集まるポータルサイトを使って、ここはインハウスのデザイナーがまだいなさそうだな、ここなら興味を持ってくれそうだな、という会社を探す。『こんにちは、ちょっといいですか』と営業をするんです」

九州を中心に何十社と電話をかけたものの、ほとんどがその場で断られるか、会ってもらえても仕事にはつながらなかった。

「仕事までつながったのは…打率にすれば5%くらいかなあ。決して数は多くないですけど、話を聞いてくれる方はいました。去年仕事をさせてもらった福岡のメーカーさんも電話がきっかけでしたね」

思っていた以上に地道な営業活動。

東京で20年ものキャリアを積めばローカルでもすぐに活躍できると想像していたけれど、実際はそう甘くないみたい。

「やっぱりロゴやパッケージなどのグラフィックに比べて、プロダクトデザインというのは認知度も高くなくて。『結局どういうことができるんですか?』と聞かれることも多いです」

「自分ひとりで仕事を勝ち取るというよりは、人とのつながりが仕事を呼び込むというか。まずは知り合いをつくっていくところからのスタートでしたね」

杉本さんは、つながりをつくるために、自分からどんどん行動していく。

「大分には国が運営している施設がいくつかあって、企業にデザイナーを派遣したり、経営の相談に乗ってくれたりするんです。ほかにも県内の企業とクリエイターをつないでくれる団体や、地元の商工会議所にも顔を出していました」

移り住んで半年ほどは、フリーランスを支援している団体やサービスを探して意識的に足を運んでいたそう。

タネは少しずつ実を結び、だんだんと仕事につながるように。

たとえば国が運営する専門家派遣サービスに登録したことで、県内企業のデザインをコンサルティングしたり、別府に来てから知り合った人にロゴデザインを頼まれたり。

仕事の幅も自然と広がり、別府に来て1年ほどで、電話営業をせずとも安定して仕事が回るようになった。

「自分はこれしかできない、この人たちとしか関わらない、というのはやっぱりとてもリスキーです。しっかり食べていくためには、バランスよく仕事をする必要があるのかもしれません」

さらに、思ってもみなかったところから新たな出会いが生まれることも。

杉本さんは、フリーになってから伝統工芸にかかわる活動をはじめている。

「もともと伝統工芸に関心はあって、フリーになったら何かはじめたいなと思っていたんです。そこで昨年、職人と組んで新製品を生み出す『東京手仕事プロジェクト』というコンペに応募して。賞をいただくことができました」

さらに、この話には続きがある。

「こっちに来てから知り合った方が、入賞を知って県内で一番大きい新聞の記者さんにぼくのことを紹介してくれて。朝刊にカラーで載せていただくことになったんです」

「本当にありがたい話で… 記事の最後に、大分の伝統工芸の七島藺(しちとうい)にも興味がある、というぼくの言葉も載りました」

七島藺は、大分の国東半島のみで栽培されているイグサ。材料を手に入れるのも難しく、どう関わったらいいかと考えあぐねていたそう。

すると後日「記事を読んだ」と連絡があった。差出人は、なんと七島藺の作家さん。

「一緒に何かできませんかね、と声をかけてくださって。お誘いをきっかけに椅子づくりに挑戦することになって、県立美術館で展示もさせてもらいました」

さらに、ある人からは2年ぶりに連絡がきた。

「こちらに来てすぐ知り合った方で、そのときは何かを一緒にすることはとくになくて。記事をきっかけに、一度頼んでみようかとご連絡いただいて、ついこの間、一緒に仕事ができました」

どこで何がつながるかわからない。なんだか面白い仕事の流れです。

「そうですね。やっぱり、人とのつながりが仕事を呼んでくることが多いです。ぼくもこっちに来てから知り合いの幅が圧倒的に広がっていて、ご縁だなと思っています」

これからは七島藺のプロダクトも商品化に向けて動いていきたいし、別府竹細工のブランドも立ち上げてみたい。県内の企業とも深く関わっていけたら、と考えているそう。

「やりたいことはたくさんあるので。こっちに来てたった2年、まだまだこれからですね。もっと突っ走っていきたいと思います」

(2019/01/30 取材 遠藤真利奈)

杉本さんの話でとくに印象に残ったのは、人とのつながりが仕事を呼び込むということ。たくさんの選択肢から仕事を選ぶというより、人との縁をきっかけに自分から仕事をつくっていくような働き方は、自由で面白そうだなと思いました。

今は、ローカルで働きたいという人が増えているように感じます。インターネット環境があれば場所を選ばず働ける仕事も増えているし、自分から仕事をつくっていける余白も多いと思う。

ローカルという「土地」だけでなく、どんな「人」とつながるかで考えたとき、思ってもみない出会いが生まれてくるかもしれません。

ローカルで仕事をつくることに興味のある方は、3/2(土)に開催されるしごとバー「自分だけの肩書きナイト」にもぜひお越しください。

ゲストは、杉本さんと同じく別府で活躍するライター・森田真帆さん。仕事の生み出し方や、ローカルでの自分の生かし方など、お酒片手に話しましょう。



杉本さんについてもっと知りたい方は、こちらからどうぞ。
◎杉本国雄さん HP
http://www.insign-design.com

第一回はこちら >>>

第三回はこちら >>>

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