こんにちは。日本仕事百貨の遠藤です。
ローカルで自分の仕事をつくる人たちにスポットを当てたこのコラム。仕事が生まれるまでの経緯や、自分の生かし方など、等身大の話を聞いています。
大分県別府市を訪ねる旅も、いよいよ大詰めです。
最終回は、クリエイターのオノデラマサトさん。念願かなって憧れのまちに移り住んだものの、待ち受けていたのはなかなかシビアな現実だったようで…?
別府市街をあとにして向かった先は、鉄輪(かんなわ)温泉エリア。
驚いたのが、温泉の周りはもちろん、歩道や路地裏などあちこちで湯けむりが上がっていること。レトロな街並みと相まって、まち全体が温かく、ふわりと柔らかい感じがする。
待ち合わせまでちょっと余裕があるので、蒸した肉まんやケーキを食べながら散策してみる。するとこちらに気づいて声をかけてくれる人が。
「こんにちは、オノデラです。あ、そこの肉まんおいしいですよね」
オノデラさんは、ここ鉄輪温泉に暮らすイラストレーター。
せっかくなので、並んで歩きながらお話を聞かせてもらうことにします。
「鉄輪には2013年から住んでます。それまではずっと大阪にいて、美大を卒業してすぐにフリーランスで働いていました」
はじめて鉄輪を訪れたのは12年前のこと。温泉好きの友達に誘われた旅行がきっかけだった。
「あったかい温泉に入って、おいしい蒸し料理を食べて。目の前に海があって、振り向けば山がある。居心地のよさが別格で、すっごくいいなあって感じたんです」
すっかりこの地に魅せられてしまったオノデラさん。
毎年のように鉄輪を訪れるなかで、次第にこの地で生活することを考えはじめる。
「来るたびに、このまちをどんどん好きになるんです。もちろん大阪はいいところだし、ある程度の仕事もありました。けど、なんか違うなって」
なんか違う?
「小さな違和感がずっとあるというか。自分が枯れかかっている感じがして、自分の居場所じゃないようで…しっくりこない。息苦しかったんですよね」
「だから、自分の好きなこの鉄輪で生活できたら、すごく楽しいだろうなって考えるようになったんです」
その予感を確かめに、レンタカーに乗って九州旅行へ。熊本や鹿児島など、ほかにも気になる土地を巡り、最後に鉄輪へやってきた。
「やっぱり鉄輪が特別よかった。うん、やっぱりここしかないなって」
そうして鉄輪への移住を決意。
まずは移住先でどう生計を立てていくかを考えはじめた。
自分のスキルと人生経験を振り返るなかでひらめいたのが、結婚式のウエルカムボードをつくるサービス。
二人の写真をもとに似顔絵を描くというもので、結婚式場と提携すれば安定してオーダーが入ると考えた。
「これまで友人カップルのために制作したことがあって。みんなすごく喜んでくれたんです。ちょうどぼくも別府で式を挙げようと思っていたので、業務提携できそうな式場を探していました」
その結果、自分が式を挙げた会場と契約できることに。大阪での仕事にすべて区切りをつけて引っ越してきた。
「1組5万円での制作なので、月に5〜6組オーダーがくれば生活していける。自分にしかできない仕事だし、思い出の詰まった式場で新郎新婦の門出を祝えるなんて最高だ。これからはこれ一本でいくぞ!って気持ちでいました」
順風満帆のスタートが切れる…はずだった。
「まあでも、世の中そううまくはいかなくて(笑) 諸事情があって、業務提携ができなくなったんです」
「生活しないといけないから、悲しんでいる暇もない。とにかく何とかしようと気持ちを切り替えて『デザインのお仕事なら、名刺1枚から何でもやります』って、いろんなところに顔を出しはじめました」
自分のカラーを生かしたトータルデザインをやってみようと、チラシやパンフレットなどのレイアウトにも挑戦した。ところがいざ取り掛かると大苦戦。
そんなオノデラさんの前に、もう一つの壁が立ちはだかる。
それは都市とローカルの金銭感覚のギャップだった。
「こっちに来てから、求められる制作費がすごく安いなって感じていて。たとえばイラストロゴでいうと、大阪では30万円だったのが、こっちでは半分以下という感じ。デザイナーに頼むのは初めて、という方も多いので、大阪時代の相場を提示すると『えっ、そんなに?』ってびっくりされるというか」
それでも受注しないと食べていけない。
自分で自分を安売りする状態になってしまい、苦しい生活が数年間続いた。
「車も持てなくて、毎日納豆をおかずにして。『さすがに今が底だろ!』って笑っていました(笑) でもだんだんと、やっぱりこのままじゃだめだと思うようになって」
どうしたらちゃんとお金が入るようになるんだろう。
そう真剣に考えるようになったオノデラさんは、勉強会に参加したり、独立して順調に収入を得ている人たちに話を聞きに行ったりするように。
「変な話、それまでのぼくは大好きな鉄輪で生活できるだけで十分というか、お金を稼ぐことに執着がなかったんです。でもやっぱり美味しいお店にも行きたいし、旅行もしてみたい。本当に豊かな生活のためには、お金が必要だと考えるようになって」
「いろんな人と話すなかで、お金を稼ぐことに対するメンタルブロックを少しずつ外していきました。とにかく一度、稼がなきゃと思ったんです」
そんなとき、住んでいるアパートのオーナーから連絡があった。
内容は「民泊をはじめてみないか」というもの。観光地というメリットを生かして空室を有効活用してほしい、と提案してくれたそう。
「オーナーには以前からよくしてもらっていて。アパートの外壁塗装の色を相談してくれたり、ぼくもオーナーの息子さんのお店のロゴをつくったりしていました」
「このアパートがすごく好きだから、この場がよくなるように、隠れて掃除とかしていて(笑)だから『オノデラさんにお願いしたい』と言ってもらったときはすごくうれしかったんです」
返事はもちろん「やってみます!」。すぐに民泊事業をしている友人を訪ねて話を聞いた。
「宿泊業の経験のない自分が結果を出すには、すでにうまくやっている人を真似るのがいちばんだと思ったんです」
収支計画を立てて、ビジネスモデルをじっくり考え、何度もシミュレーションを重ねる。
そうしてマンションの3部屋をゲストルームとしてオープンする。
しっかりと準備をした結果、一年経った今は安定した収入源として機能するように。
「以前から、観光客がどんどん増えていることは感じていました。ただ自分はイラストレーターだし、宿泊業は直接自分には関係のない世界だと思っていました」
「今思えば、観光地である鉄輪温泉で宿泊業をしないほうが不自然でした。結果として、クリエイター業と宿泊業を複業することで、精神的にも経済的にも余裕が生まれて」
そのおかげで、本業でありライフワークでもあるデザイン活動にも良い影響が出てきたそう。
まずは自分から制作費を下げる必要がなくなったこと。
そして得意なイラストを生かしたキャラクターデザインや、イラストロゴ制作に絞って受注できるようになり、スキルをさらに高められるようになったこと。
「ぼくも満足してもらえるクオリティを出そうとモチベーションが高くなって、お客さんにも喜んでもらえる。実はゲストルームをはじめてからのほうが制作依頼が増えてきて、お客さんが新しいお客さんを紹介してくれるようになったんです」
それはいい循環ですね。気持ちのいい仕事の広がり方、というか。
「ね。複業することで、宿泊業や観光業の知り合いも増えて。鉄輪の飲食店や旅館の人たちともつながれるようになりました」
「みんなそれぞれ、支え合ってこのまちを盛り上げようとしている。だからぼくも鉄輪に暮らすひとりとして、ぼくなりに鉄輪のまちをもっと面白くしたいなって」
そんなオノデラさんの今の目標は、温泉と“地獄蒸し”のできるゲストハウスをつくること。
お客さんと一緒に別府の山を登ったり、鉄輪温泉の蒸気で食材を蒸す地獄蒸し料理をしたりすることを考えているのだそう。
「山に登って温泉で汗を流したあと、みんなで地獄蒸しをワイワイやったら最高だなあって。お客さんと一緒に楽しみながら、ちゃんとビジネスとしても成功させたいです」
「このまちをキャンバスに新しいものを生み出したいし、もっと自分はやれるって確信している。だから、今すごく楽しいんです」
(2019/01/29 取材 遠藤真利奈)
稼ぐための方法を真剣に考えたり、ときにはこれまでの経験やこだわりを脇に置いて、目の前の状況にとことん向き合ったり。ローカルで自分のしごとをつくるためには、頭と体をフルに活用していくことが大切なんだな、と感じました。
それはある意味、都会の企業で働くよりも難しいこと。その先に好きな場所で、心健やかに生きていく毎日をつくっていけるのかもしれません。
ローカルで仕事をつくることに興味のある方は、3/2(土)に開催されるしごとバー「自分だけの肩書きナイト」にもぜひお越しください。
ゲストは、オノデラさんと同じく別府で活躍するライター・森田真帆さん。仕事の生み出し方や、ローカルでの自分の生かし方など、お酒片手に話しましょう。
オノデラさんと、ゲストルームについてもっと知りたい方は、こちらからどうぞ。
◎オノデラマサトさん HP
http://onoderamasato.com
◎ゲストルーム
https://www.airbnb.jp/rooms/23778518
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