第3回「地元を離れ、また戻る」
こんにちは。日本仕事百貨のナカムラケンタです。
前回に引き続き、九州ちくごへの移住している方を訪ねています。
今回は第3回目。Uターンして家業を継いだ林田さんのお話です。
モナパンのある「うきは」を離れて、九州ちくご元気計画の小嶋さんと再び車に乗りこむ。相変わらず空が広々として気持ちいい。
筑後川の少し下流に戻るため、耳納連山のふもと沿いに伸びる山の手の道を進んでいく。小嶋さんは筑後川沿いに伸びる堤防の道もいいけど、こちらを走るのも好きなんだそうだ。道沿いには果樹園が広がっていて、筑後川の向こうまで望める。たしかにいい景色。
すぐにうきはのお隣、田主丸(たぬしまる)に到着した。訪ねたのは若竹屋さん。300年以上続く、ちくごで最も古い蔵元です。
中に入ると従業員の方々が手際よく作業をしていました。ラベルを貼っているのかな。事務所のほうに行くと、時が止まったかのような場所。先代の写真がずらりと並び、神棚があり、上座にいくほど役職が上がっていくような配置。変わらない場所ってなんだか落ち着きます。
隣にあるお酒と食事を楽しめる「和くら野」に移って、14代目の林田さんに話を伺いました。林田さんはこの酒蔵に生まれて、一度は上京して戻ってきたUターン組です。
―今日はよろしくお願いします。まず伺いたいのが、どうして地元を離れたのか、ということです。田主丸は素敵な場所ですよね。
そうですね。でもここから出て行きたかったんです。端的に言うと親父とそりが合わなくてね。父から離れたいとか、変化のない田舎から離れたいとか、新しい自分になりたいとか、そういう気持ちがあって東京に出て行ったんです。
親父は大阪大学に入学して、大学院も出て博士課程を通ってドクターの称号を持っている、学者肌の秀才なんですね。そういう父に対するコンプレックスもあった。継ぐ気もなくて。
―東京ではどちらにいたんですか。
青山3丁目の交差点の裏に住んでいました。6帖一間、トイレ共同、風呂なし。当時3万5千円だったかな。部屋には何も置いてないし便利な場所だったんで、よく友達が勝手に入って来て泊っていったりするんですよね。開けたまま戻ってくると知らないやつが寝ている。バブルだったし、楽しかったんですよ。
大学の2部に行っていたから、昼間はアルバイトして働いていたんです。そしたら社員にならないか、って言われて広告代理店で働くことになりました。
3年目のゴールデンウィークに10日ばかり長期休暇をいただいたんです。そのときに、たまたま池袋の西武百貨店で実家の試飲販売があると。わざわざ雇うのはもったいないし、東京に息子がいるわけだから、バイトしないかと。
当時の百貨店は週6日営業でした。それで6日間の催事がはじまったんですね。けれども初日はまったく声がでない…
―声がでなかった。
恥ずかしくて。「いらっしゃいませ」が言えない。広告代理店でもマーケティングだったから、人にモノを売るという経験がなくて。それで1日目は全然売れなくてね。
このまま6日間過ごしてしまうと、まずバイト代もらうのに心苦しいですよね。親父にも「なんだ!このくらいのこともできないのか」って言われる。おおみえ切って出ていったのに。そういわれるのが悔しくて。
2日目に目をつぶって下をむいてイラッシャイマセ!とやってみたわけですよ。声出したらお客さん寄ってくださる。出したら出した分だけ。
3日目あたりで工夫してみようと思った。プラコップの渡し方を、空で渡して注いだほうが呑んでもらえるかな、それともトレイに注いだのをいくつもおいて差し出したほうがいいかとか。トライ&エラーで、物売りの楽しさみたいなのが出てきて。
4日目には結構売れたんだけど、そうだ!方言でやってみようと。それまで「いかがですかー、福岡の地酒、新酒です。おいしいですよー」だったんですよ。それを「どげんですか、呑んでみらんですかー。福岡の地酒ですばい、うまかですばーい」ってやってみたら、これがもう爆発的に寄って。
―すごい!
九州人ってね、仲良いんですよ。九州ひとくくりのイメージがあって。東京は地方人の集まりだからね。懐かしい言葉を聞いたから寄ったんだけど、あなたどちらから?って。ぼくは福岡です。わたしは佐賀なのよ~とかね。
そして5日目。どっかんどっかん売れるんですよ。だから追加発注して。ぼくも余裕がでてきた。それで瓶を詰めようと思ってよく見たら、ラベルが曲がっているのね。この斜めに曲がっているラベルって、実は正月に、ぼくが実家に帰って貼ったラベルなの。
自分が実家に帰ったときに貼ったやつじゃんって。それがここに来ている。それを渡してお金を頂戴しますよね。その頂戴したときに、なんていうか流れ込んできた。
―流れ込んできたんですか。
お酒の原料はお米ですけど。そのお米をつくっている農家さんたちは、ぼくの友達のお父さんたち。ほとんど知り合いばっかり。そのお父さんたちが1年かけてつくったお米がうちにきて、職人さんたちの手でお酒になり仕上げられる。そしてぼくも一緒になってラベルを貼って化粧箱に入れて、トラックに乗ってここまでやってくるわけじゃないですか。そしてお金になるわけです。
それが巡り巡って、関わった人たちの給料になる。ぼくのアルバイト代にもなっている。ごく当たり前の経済の流れですよ。だけど、リアルに入ってきた。それもほんとう雷が落ちるように、水を浴びるような実感があった。
―実感があったんですね。広告代理店の仕事ではありませんでしたか?
仕事はおもしろかったですよ。情報収集分析。最終的には広告としてプレゼンしてクライアントからお金をいただくわけだけど、実態がないものなんですよね。
本来は無数の将来の選択があるわけで、その中から若竹屋を意図的に外していたんです。だけどそれは父との関係がそうさせたんだけど、父との関係というよりも僕自身の問題ですよね。でも若竹屋ってもしかしたらものすごい仕事をしているんじゃないか、ということに気づいて。
6日目。最終日だから追加発注もできないので、午前中でそうそうに売り切りました。そしたら催事担当者がやって来て、「林田くーん、もう売り切れて売るものないんでしょ?」って。「あっちの入口のところで青森の農協が持ってきているリンゴがすごい残っているんだよね。あっちの手伝いしてくれないか」と。ぼくはもう売ること自体が楽しくなっているんで、喜んで手伝いました。
1週間後、書留に入ってアルバイト代が届きました。お袋の手紙も入っているわけですよ。「よくがんばりましたね」と。西武百貨店の試飲販売歴代2位の記録だったそうです。初日がなければと思うんだけれど、今でも破られてないんだって。
そしたらお客様のお礼状も同封されていたんです。その文章があまりにも素晴らしかったので、うちの経営理念の一部に使わせてもらっています。
「酒は喜びを倍にし、悲しみを癒し、怒りを和らげ、明日への英気を養うもの。若竹屋さんは素晴らしいものをおつくりになっていらっしゃいますね」って。
うちは酒造りをやっている会社だと思っていたんですけど、そうじゃなかった。それをお客様に教えていただいたんですね。
―それは印象的な体験でしたね。
ぼくが今までやっていた仕事ってなんだったんだと、自分の生き方ってなんだったんだろうって考えました。それで帰ろうと。
―すぐに実家に帰ったんですか?
まずは辞表を持っていって辞めて。その後西武百貨店に行って中途採用して下さいと。お酒売り場拡充するって聞いていたので。そこから西武で4年勤めて、あしかけ9年の東京生活を終えて福岡に戻ってきたわけですよね。
ちくごに戻ることになった林田さん。これからどんなことが起きるのか?後半に続きます。
ちくごを歩いて感じたこと、そして日本中で出会った生き方・働き方を共有する時間を福岡でつくることになりました。もし地域で働くことに興味がある方がいらっしゃったらぜひいらしてください。参加者同士が出会い、話をする時間もあります。
1月13日(祝・月)福岡天神にて開催「いま、ローカルで働く」
1日時
平成26年1月13日(月曜日・祝日) 14時~17時(13時半受付開始)
2会場
アクロス福岡 円形ホール(福岡市中央区天神1丁目1番1号)
3入場料
無料 ※事前の参加申込が必要です。
4定員
100名
5内容
第1部 講演 14時~15時
『テーマ:生きるように働くということ』
講師;ナカムラケンタ氏((株)シゴトヒト代表取締役)
第2部 パネルディスカッション 15時10分 ~ 16時10分
『テーマ:ローカルで働く・暮らす』
ファシリテーター;江副直樹氏(ブンボ(株)代表取締役)
パネラー;ナカムラケンタ氏 他
第3部 みんなのローカル談義 16時20分~17時
『テーマ:ローカルの現実を知る/リアル田舎暮らし大解剖』
6参加方法
【インターネット】
下記入力フォームにお進みください。
申込画面
【ファックス】
FAX申込フォームに記載のうえ、FAX 092-643-3164筑後田園都市推進評議会事務局(福岡県広域地域振興課)までお送りください。
FAX申込フォーム
※電話・Email等での参加申込は出来ません。
7応募締切
平成26年1月10日(金) 17時まで
8お問い合わせ
筑後田園都市推進評議会事務局 (福岡県広域地域振興課)
電話:092-643-3177
FAX:092-643-3164
Eメール:koiki@pref.fukuoka.lg.jp