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残したい風景がある
蔵元と農家が挑戦する
棚田でお米づくり

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「やったことのないことだから、成功するかどうかまだわからないです。それでも今やらないと、未来に続いていかない。最後のチャンスだと思っているんです」

そんな覚悟を持って、農業に取り組もうとしているのは、富久千代酒造の代表・飯盛さん。

有明海や多良岳山系など自然環境に恵まれた佐賀・鹿島で、日本酒づくりを続けてきました。

飯盛さんは今、蔵元仲間と農業法人を立ち上げ、鹿島市内の棚田で米づくりができるように準備を進めています。

今回は、この田んぼを活用して、米づくりに挑戦する人を募集します。

日本酒の原料にもなるお米。地元でとれたお米で良質な日本酒をつくることはもちろん、きれいな水に育まれてきた美しい棚田を蘇らせることで、地域の未来をつくりたい。

そんな思いで挑戦をはじめた人たちに、話を聞きに行きました。

 

福岡空港から電車を乗り継ぎ、1時間半ほど列車に揺られていると、広大な農地と山々が見えてくる。

到着した肥前浜駅は、2018年春にリノベーションされたばかり。

偶然、駅に居合わせた陶芸家さんは、この地域の活性化に取り組んできたそう。取材まで時間があったので、少し話を聞かせてもらった。

酒蔵でのコンサートや、子どもたちによる写生大会を行ってきたこと。河川改修の際には、地元の人が川の景観や生態系を守ろうと声を上げ、自然石による護岸ができあがったこと…。

この地域は、「自分たちでまちをよくしていこう」という思いを持った人たちに支えられてきたのかもしれない。

お礼を伝えて駅を後にする。

駅前からまっすぐ続く道の先にあるのが、「酒蔵通り」。

肥前浜宿と呼ばれるこの地区は、江戸時代から宿場町として栄え、酒造業が盛んだったところ。今も続く3軒の酒蔵がある。

富久千代酒造もそのひとつで、佐賀県を代表する日本酒「鍋島」は、ここでつくられている。

趣ある民家のような事務所で、代表の飯盛さんに、これからはじめようとしている農業についての考えを聞いた。

飯盛さんは、日本酒づくりだけでなく、まちの活性化に力を注いできた方。

新酒の試飲や酒蔵見学を通じて鹿島の魅力を体験してもらおうと、蔵元や地域の人たちと協力してはじめたイベントは、今では8万人以上の観光客が訪れるまでに成長している。

ほかにも、地元の農家さんと一緒に、田植えや川遊び、野菜の収穫などを体験できる「グリーンツーリズム」も行ってきた。

さらに今度は農業法人を立ち上げて、自ら米づくりに取り組もうという。

どうして、蔵元である飯盛さんが農業を?

「私たちは、酒米という酒づくりに適したお米を原料に、日本酒をつくっています。ここ鹿島市は、酒米の中でもメジャーな『山田錦』という品種の産地でもあるんです」

「ただ、農業の担い手は、ご高齢で跡継ぎがいない方も多い。『地元のお米で、いい酒を長くつくり続けていこう』と考えている私たちとしては、この先どうなっていくか不安な気持ちもあって」

酒米づくりの若い担い手を育てたい。さらに、新しく農業に取り組む人が安心して仕事をしていくためには、流通などの仕組みも含めて考える必要がある。

そんな思いから、同業者に声をかけ農業法人をつくることに。

このまちで米づくりをはじめるなら、どんな場所がいいだろう。飯盛さんはさっそく、市の農業委員会にアドバイスをもらいに行った。

「鹿島では山田錦を、平野部の農地で大規模栽培していますが、一般的に酒米の栽培は、寒暖差の生まれやすい山間地域が適していると言われていて」

「一度にたくさんの量が収穫できなくても、生活雑排水の少ないきれいな水のある場所で、良質なお米をつくりたいと伝えたんです」

すると、農業委員会から、ある候補地を提案された。

そのうちのひとつが、広平(ひろだいら)という地域。

標高400〜500mにある集落で、山の斜面を開墾して田畑をつくり、お茶やお米、野菜などを栽培してきた。

今、広平で農業を営んでいる人のほとんどは、70歳以上。空き家も増え続け、このままだと集落自体がなくなってしまう可能性もあるという。

「とにかく斜面が急で、軽トラックで上がるのも怖いくらい…(笑)。ただ、行ってみるとわかるんですが、昔ながらのいいところなんですね。山の木々や石積みでつくられた棚田が眺められる、風光明媚なところ」

「この農村風景をずっと残していけたらいいなと思ったんです」

 

飯盛さんがこの場所で、新しく事業をはじめることへの手応えを感じたのは、地域への誇りや愛着を持った農家さんたちの存在があったから。

最初に出会ったのが、巨瀬(こせ)さん。現在71歳で、お米のほか、キャベツや自然薯などの栽培もしている。

「僕は20代半ばまで関西で働いて。そのあと戻ってきて、40歳まではお茶と米づくりだけで生計をば立ててさ。それから60歳までは、冬の農閑期に建設会社の仕事もしつつやっとったね」

60歳を過ぎてからは、野菜づくりにも力を入れた。さらに、自ら土地を開墾するなど、挑戦し続けることで、自分にできることを広げてきた巨瀬さん。

一方で、農家の高齢化や後継者不足によって、地域にある農地がだんだんと荒れていく様も目の当たりにしてきた。

「棚田を見て『きれい』って、言葉では簡単に言えるよ。ばってん、棚田一枚つくるのにも、ご先祖が相当な汗水を流してるわけさ。自分も開墾したことがあるからわかるけど、田畑をつくったからには、みすみす荒らすわけにはいかないという思いがあるよね」

「今ある棚田も畑も、とにかく後世に残せたらという気持ちで、僕はやりよるけん。飯盛さんたちが来て、一緒にやろうと言ってくれたのは良かことだなと思って」

とはいえ、農家の巨瀬さんからみても、今回の挑戦は簡単なことではないという。

すでに農業用地があるとはいえ、広平でつくってきたのは食用米で、酒米づくりの経験者はまだいない。

さらに、候補地の棚田は5年間使用しておらず、水をきちんと溜められるかどうか、実験してみないとわからない。

また、獣害対策も練らないといけない。

「不安材料が多いんだよ!(笑) ばってん、新しかことに挑戦するとき、勇気がいるのは当たり前。難しいと言って取り組まなかったら、前に進まんけん。やってみないとね」

「酒米づくりは僕もはじめてだから、正直、一緒に勉強しながらやろうとしか言えません。それでも、自分とこの農作業と並行しつつ、最大限の協力はするよ。困難なことにも挑戦的な考えを持った人が来てくれるといいね」

巨瀬さんの言うように課題はたくさんあるものの、解決に向けて知恵を貸してくれる人もいる。

山間地での水の管理方法については、巨瀬さんが。酒米づくりに関しては、もともと農業改良普及員だった橋口さんという方が教えてくれる。

今回プロジェクトに加わるメンバーがやってくるまでに、田んぼにきちんと水が溜まるかどうかの検証や、苗の準備を進めていく予定だ。

それぞれの得意分野を持ち寄って、互いに補い合いながらやっていこう。そんな姿勢が印象的だった。

 

自分たちでつくったものを、どうやって届けるかということも、農業経営には欠かせない視点。

そんな話をしてくれたのが、1796年から続く矢野酒造の9代目・矢野元英さん。

2018年の夏ごろ、富久千代酒造の飯盛さんから声がかかり、農業法人の立ち上げメンバーに加わった。

最初に話を聞いたとき、どんなことを思ったのだろう。

「難しそうだなという気持ちと、楽しそうだなという気持ちが半分半分でしたね」

「お酒のつくり手として、純粋に米づくりに携わってみたいという興味はあったんです。原料から自分たちの手でつくることで、自分が表現したい味により近づけられるんじゃないかと思って」

鹿島には、以前から米づくりを実践している蔵元さんもいたり、矢野さん自身も食用米を使った日本酒をつくった経験があったり。

蔵元として、原料である米に対する関心が高まっていた矢先でもあった。

酒づくりと農業には、共通するところがあると矢野さんはいう。

「日本酒は、酵母という微生物や、酵素の力を引き出すことでつくられます。ある意味“お酒をつくってもらっている”という感覚になるんです」

「農業も、我々の力ではどうにもならない自然を相手に、なんとか調整しながらより良いものをつくっていく仕事。米づくりをすることは、日本酒のつくり手である自分にとって、絶対に身になるという確信があって」

今の段階では、広平の棚田で酒米が確実に育っていくかどうかまだわからないのが正直なところ。そのため、すでに収穫実績のある食用米の「ゆめしずく」という品種も、試験的に栽培していくという。

「課題は多いものの、水のきれいな山間部でつくられたお米に魅力を感じてくれる人はきっといると思うんです」

「食用米は、こだわりのある消費者に届けたいと思っていて。地域や米づくりの背景を発信しながら売ることで、『広平』という地域のブランドをつくっていくような意識ですね」

いいものをつくるだけでなく、経済的にも安定して農業を営んでいくためには、販路の開拓も欠かせない。

自分のつくった農作物を、どうやって人に届けるか。地元の人とのつながりも深い矢野さんたちと相談しながら、探っていけたらいいと思う。

全体計画としては、5年を目処に、農業法人として収益が出せるように考えているという。活動1年目は、これからどんなふうに事業を軌道に乗せていくか、一緒に考えていく意味合いが強い。

新しく加わる人は、まずは富久千代酒造が雇用先となり、農業経営が安定するまで、日本酒の製造や出荷業務を手伝いながら収入を補っていく。

お米がお酒になっていく過程を間近に見られるのは、酒米づくりをしていくうえできっと役に立つと思う。

2年目以降は農業法人が雇用主となり、仕事も農業の比重を大きくしていく。

「ゆくゆくはお米だけでなく、キャベツや瓜、自然薯などの野菜も栽培していけたらいい」と、矢野さん。

自分たちで生産しつつ、法人として広平でつくられた野菜を買い取り、販売まで行う仕組みも整えていく方針だ。

「ほかにも、米麹や酒粕を使った漬物など加工品をつくるとか、いろいろ考えています。自分でものをつくって、それを評価していただけるお客さんを探して、適切な価格で販売する。この地域での農業を持続可能にしていくためにできることは、とにかく挑戦していきたいです」

「やり方はいろいろあると思うので、アイデアを共有しながら一緒にやっていけたらいいですね。主体的に行動していける方なら、楽しめる場所なんじゃないかなと思います」

地域に根ざし、試行錯誤しながら一つひとつ積み重ねていく。

その先にどんな風景が広がっていくのだろう。

(2019/01/17 取材 後藤響子)

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