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島根県大田市、大森町。かつて日本一の銀産出量を誇った石見銀山(いわみぎんざん)の中心地として栄えたまちです。
2007年に世界遺産に登録されたことで、この地域のことを知った人も多いかもしれません。
そんな大森町に、石見銀山生活文化研究所という少し変わった名前の会社があります。
代表の松場大吉さん・登美さんご夫婦が会社を立ち上げたのは、31年前。
以来、国産の素材にこだわった服や生活雑貨を販売するブランド「群言堂」をはじめ、昔ながらの暮らしを伝える宿の運営、石見銀山に咲く梅の花から発見された自然酵母を利用したスキンケア商品の開発など、根のある暮らしを発信しています。
アウトプットされるかたちはさまざまですが、根っこに通底しているのは“大森の暮らしを伝える”という意識。
今回は、まさにその“大森町での暮らし”をさまざまな形で体現していく人を募集します。
たとえば、あるときは群言堂の販売員、またあるときは宿のスタッフ、さらには畑を耕したり地域の仕事に関わったり。まちの一員となりながら、広い視点でその暮らしを発信していくような仕事です。
同時に、全国にある群言堂の店舗スタッフや業務委託のスタッフなど、“今いる場所で働きながら大森町に関わりたい人”も募集しています。
自分だったらどんなふうに関わりたいか。想像しながら読んでみてください。
島根・出雲空港からバスと電車を乗り継ぎ、1時間半ほどで大田市駅に到着。そこからさらに車で20分ほど行くと、赤い石州瓦が美しい大森町の町並みが見えてくる。
まず訪れたのは、町並みから少し奥まった場所に佇む、「暮らす宿・他郷阿部家(たきょうあべけ)」。築230年の武家屋敷を再生した宿で、1日3組限定でお客さんを迎えている。
この町のありのままの暮らしを訪れた人に体験してもらいたい。そんなコンセプトのもとつくられた。
涼しげになびく暖簾をくぐる。建物の中にいても、心地よい風が通っていて気持ちいい。
ここで最初に話を聞いたのが、取締役の松場忠さん。会社全体のことを俯瞰して見つつ、主に広報の仕事に携わっている。
「石見銀山が世界遺産に登録された2007年をピークに、観光客の数は次第に減ってきました。住民にとって今のおだやかさはちょうどいいんですが、地域として持続可能性を考えると、穏やかさのなかに程よい賑わいも必要だと思っていて」
町並みや文化を未来につないでいくためには、会社だけでなく町全体で経済を回す仕組みを考える必要がある。
その切り口として、あらためて見直すことになったのが、長年この地で取り組んできた「町の暮らしを伝える」ということ。
「これまでも群言堂や他郷阿部家などを通して、暮らしを伝える試みはしてきました。それを“生活観光”として、さらに質を上げて新しい形で伝えていきたい」
生活観光、ですか。
「観光って、もともとは国の良いところや希望を観るという意味なんです。この町での暮らしや生活って、経済が発展するなかで日本が見失ってきた大切な原点であり希望だと思っていて」
「暮らしを今まで以上に良い形で伝えていくことで、町の観光を発展させていきたい。そのための体制を今整えている最中なんです」
第一歩として、7月には新たに『石見銀山生活観光研究所』という新会社を立ち上げる。
30年以上にわたる活動のなかで、お店や宿といった場や、そこで醸成される生活文化を伝えるコンテンツはすでに育ってきた。
今後はそれらをうまくつなぎながら、訪れた人にリアルな体験として届けていく役割が求められる。
「それで、新しい担当者の仕事を考えたときに、店舗の接客や宿のスタッフなど、職種を限定するんじゃなくて、“この町で暮らしながら働く”ということに重きを置いていくのが良いんじゃないかと思っていて」
群言堂のお店で接客したり、カフェの厨房に入ったり、宿に訪れる人をもてなしたり。畑づくりや稲作に携わったり。
決まった時間に会社に来て自分の仕事だけを済ませ、また家に戻っていくという生活スタイルではなく、生活も仕事も、そこで出会う人たちもひとつながりに、日々の営みを続けていく。
「わたしたちが大切にしている美意識のなかに“馴染む”という言葉があります。暮らしながら働いてくれる人には、まず場に馴染んでほしいと思っていて」
場に馴染む。
「この町の暮らしを、穏やかに好きになっていくというか。それによって、日々のささやかなたのしみを見つけたり、変化に気づいたりできるようになると思うんです」
暮らしのなかにある、味わい深い時間。
その時間を過ごしていくなかで、少しずつこの町に馴染んでいくことが、まずは大切なことなんだと思う。
今年の3月に入社した樽川さんは、今まさに場に馴染みつつある人。町で暮らしながら他郷阿部家で働いている。
現在は他郷阿部家の予約管理や受付、接客などを行う“暮らし紡ぎ係”として働いている。
「今日は出勤前にひきたてのコーヒーとドーナツを食べて、すごくしあわせな気分でここに来たんです」
「その気分のままお客さまをお迎えしていたら、バスに忘れ物をされたということで、バス会社に電話して次の便で持ってきてもらってと、急にバタバタしてしまって。しあわせからのてんてこ舞いです(笑)」
イレギュラーなことに対応する場面は多い。どうしようと困った様子のお客さんに、やわらかい笑顔でゆっくり丁寧に話していたのが印象的だった。
宿での仕事は、予約管理やチェックイン受付、毎日の掃除など多岐にわたる。調理補助の役割も担っていて、ほぼ毎日竃でご飯を炊くのだそう。
ここでの暮らしで大切にされているのが、古き良きものを時代に合わせて変化させて生かす、復古創新という考え方。
たとえば他郷阿部家を改修する際も、昔の工法や素材の良さを残しながら、床暖房を入れたり、トイレも最新式のものを導入したり。
固定観念に縛られることなく、新しい形をつくりだしている。
最近では、海外からのお客さんへの対応をスムーズにするため、ポケトークを導入したそう。
「あるとき宿泊された海外の方が、『日本の昔ながらの暮らしは残していくべきだ』っておっしゃっていて。わたしも『この文化は必要だと思う、need!』ってカタコトの英語で言ったんですよ(笑)」
「それで一気に心が通じ合って、『あなたの情熱をありがとう』って言ってくれたんです。もちろん間違えてはいけないところは機械に頼りますが、カタコトでも直接コミュニケーションするからこそ通じ合うこともあるんだって実感しました」
この場所で暮らし、馴染んでいくなかで、これまで紡がれてきた大切なことに気づいていくのだと思う。
次に向かったのは、他郷阿部家から歩いて1〜2分の距離にある群言堂本店。
服や雑貨を販売するスペースのほかに、カフェも営業している。
ここで話を聞いたのは、昨年の4月から服の販売スタッフとして働く掛本さん。人懐っこい笑顔が印象的な方。
「小さいときから義足を使っていて。大森町内に義足のメーカーさんがあって、4歳くらいのときから来ていたので、群言堂のことは昔から知っていました」
「日本の昔ながらの雰囲気のお店ではあるんですが、わたしにとってはそれが新鮮で。お店に入るときのワクワク感がいつもありましたね」
最初は接客が不安だったけど、大吉さんと登美さんの『あなたの笑顔があったら大丈夫』という言葉に支えられてきたそう。
冬場の火鉢に使う炭おこしなど、普段の生活ではなじみのない業務に戸惑いながらも、一つひとつ教わりながら覚えてきた。
「暮らしの文化を学んで、実践しながら日々過ごせるので、すごくおもしろいです。もちろん大変なこともあるんですけどね」
今回はこの町で暮らしを伝えていく人の募集ですが、掛本さんが日々の生活で大切にしていることってありますか。
「うーん…人や自然の変化に気づくことかな。たとえば、今日は風が気持ちいいから窓を開けようとか、この花を飾ったらお客さまがよろこんでくれるかなとか」
「いろんなことに気づける人だったら、ここでの暮らしもきっと楽しめるし、お店でも気持ち良く働けると思います」
季節の変化や自然の感触、美味しく食べるご飯…。暮らしでインプットしたことが、そのまま仕事につながっている。
暮らしと働くことの近さに魅力を感じて、8年前に大森町に移住してきたのが、最後に話を聞いた三浦さん。
「新聞記者志望だったんですが、就職活動がうまくいかずに心身ともにボロボロになった時期があって。そんなときにたまたま群言堂と大森町のことを知ったんです」
「職種や業種ではなく、暮らす環境で仕事を選ぶという発想がそれまでの自分にはなかったので、その視点を持てたことはすごく良かったですね」
大森町に来た当初は、カフェの調理担当や秘書業務など、いろいろな仕事を経験。3年目を迎えたとき、会長である大吉さんから「この町の暮らしを伝えるフリーペーパーをつくってみい」と言われたことが、三浦さんのターニングポイントになった。
そして生まれたのが、『三浦編集長』と名付けられた広報誌。年4回発行で、現在まで5年間続いている。
広報誌でありながら、事業や商品のことは書かれていない。自身の生い立ちにも触れつつ、三浦さん独自の視点から大森町でのリアルな生活を描いている。
「一人称視点にこだわることで、具体的なイメージが読んだ人に伝わるし、共感してもらえる。そのリアルさが町の暮らしを伝えることにつながっているんだと思います」
今年の5月には『三浦編集室』という形でリニューアル。三浦さん以外のメンバーの視点も紙面に加え、今後はより深く大森の暮らしを伝えていけるものを目指していくという。
「一緒に紙面をつくっているメンバーも、農業をはじめたり、英語での発信やインバウンド向けの観光ガイドをしたり。会社の仕事に関わりながら、地域内でほかの仕事もする働き方を実現しはじめています」
「ぼくが『三浦編集長』をはじめたこともそうですが、仕事ありきで人がいるんじゃなくて、人から仕事が生まれていくんですよ」
人から仕事が生まれる。
「その人がなにを深めていきたいかということが、一番大切な要素になる気がしていて。それがフィットすれば、この町での新しい仕事づくりにつながるし、同時に暮らしを伝えることにつながっていくんだと思います」
取材を終え、三浦さんと一緒に町を歩いていると、「明日は田植えがあるんですよ」とうれしそうに話してくれた。
暮らしが仕事になり、仕事が暮らしに生きる。
切れ目のない働き方を実現するには、大変なことも多いと思います。
「いいなあ」という憧れだけではなく、この町に呼ばれていると感じたら、その感覚をぜひ大切にしてほしいです。
(2019/6/11 取材 稲本琢仙)