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うれしいときも
かなしいときも
ともにある新聞 

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

メルマガにSNS、まちで発行される広報誌。わたしたちの日常には、さまざまな種類の「お便り」が存在しています。

親しい人が紹介されていたらうれしいし、知らない誰かの話でも、つい読み進めてしまう。気の引き締まるような話もあれば、「自分も頑張ろう」と励まされることも。

日常のそばにあり、ゆるやかに人と人をつないでいく。お便りは、きっとそんな存在。

今回は、そんなふうに地域の日常をつむぐ、地域おこし協力隊を募集します。

舞台は、福島県の最南端に位置する、矢祭町(やまつりまち)。

人口5400人、平成の大合併の際には「合併しない町宣言」を掲げ、農業を中心に独立独歩のまちづくりを進めてきました。

この町で50年発行されてきたのが「夕刊矢祭」。

町の8割を超える人々が購読する、地域の日常が綴られた新聞ですが、昨年12月末、廃刊に。しかし、町民からの熱い要望もあり、再び立ち上げる人を募集することになりました。

企画や編集の経験は問いません。町としても初の試みですが、まちづくりの専門家も協力隊のサポートに入っているので、相談しやすい環境だと思います。

表に立つのは得意じゃないけれど、誰かをそっと応援することが好き。地域を元気にする仕事がしたい。そんな想いが活きる仕事です。

 

矢祭町は東京から電車で3時間ほど。

北へ向かう電車の窓からは、田んぼに渓流、緑の山々と、次々と景色が移り変わっていく。

数人の乗客とともに、東館駅で降りる。駅舎の一部はコミュニティスペースになっていて、ご近所さんが集まっているのか、にぎやかな声が聞こえる。

歩いて数分圏内には、図書館や商店、無料で利用できる喫茶スペースもあり、利便は良さそうだ。

役場へ向かい、話を聞かせてもらったのは、矢祭町の佐川町長。

矢祭生まれ、矢祭育ち。今回の募集の発案者でもある。

「立ち上げからずっとやってこられた夕刊矢祭新聞社の菊池さんが、体調を崩されて。休刊して再開したけれど、後継者もいないし、これだけで食っていくのもむずかしい。きれいに幕を引きたいと、昨年12月末を最後に廃業されたんです」

町長と同じく、矢祭町で生まれ育った菊池さんは、劇団員、役場職員を経て、1973年に夕刊矢祭を立ち上げた。

紙面はB4用紙1枚。議会での討論の内容や、町内会の活動報告、事件や事故、イベントレポート、町内の小中学生たちの近況に、お悔やみなど。その日の町内の出来事が両面に並ぶ。

地域の企業による広告欄もあり、矢祭の情報がぎっしり詰まった一枚。立ち上げ以来、土日祝日をのぞいてほとんど毎日発行されていた。取材・編集は菊池さんひとりで担ってきたという。

「創刊して50年というと、半世紀ですから。矢祭の文化をつくってきたと言えます」

「町内2000戸のうち、8割近くが購読していたのかな。全戸に読んでもらえるように、という菊池さんの想いもあったみたいで、月額1000円。大手の新聞はとってないけど、夕刊矢祭は読んでるよ、という人も多かった」

これを読めば、その日町で何が起こったのか一目でわかる。月1回、町が発行する広報誌よりも、夕刊矢祭に載せたほうが周知できると言われるほど、生活の真ん中にあった。

「家のなかにあると自然と目に入りますから、子どもたちが地域社会に興味を持つきっかけにもなる。教育にも、とてもいい存在だと思うんです」

配達のアルバイトは子どもたちが担う時代もあったそう。そこで得たお金をお小遣いにして、好きなものを買う資金に。町長の息子さんをはじめ、役場のなかにも、初めてのアルバイトとして配達をしていた人がたくさんいる。

生活のインフラであり、社会と家庭の接点でもあった夕刊矢祭。

なんとか復活させることはできないか。町民からの熱い声も後押しし、このたび、新しく加わる人とともに再興の道を探ることになった。

幸い、菊池さんも体調が落ち着いているため、取材編集のノウハウを直接教わることができる。これまでの夕刊矢祭をベースにしつつ、3年間の任期のなかで、今の町の状況に適したメディアをつくっていくことが目標だ。

 

夕刊矢祭の読者たちは、どこに魅力を感じていたんだろう。

教えてくれたのは、駅近くの商店街で鮮魚店と飲食店を営む丸山さん。

とても話しやすい雰囲気を持つ方で、地域に入っていくなかできっと力になってくれると思う。

20年ほど前、矢祭出身の旦那さんの家業を継ぐ形で移住した丸山さん。

「町のことは何も知らないし、知り合いもいない。仕事は新しく始まるし、当時妊娠していたので、外出も思うようにできない状況で」

「でも、家に届く夕刊矢祭に何気なく目を通しているうちに、自然と町の情報が頭に入ってきたんです」

中学校では水泳大会があったんだ、こんな大きな金木犀の木が生えているお家があるんだ、この方は98歳まで生きたんだ。

少しずつ知識と日常がリンクしていった。

「広告も出しやすい価格帯だったので、臨時休業やイベントのお知らせも気軽に出せたんですよ。記事を通してお店やわたしのことを知って、声をかけてくれた人もいて。夕刊矢祭を通して、地域の人に受け入れてもらった感覚もあります」

自営業を営むうえで、お悔やみやお祝いごとなどの地域情報は欠かせない。一方で、日常のコミュニケーションに役立つ以上に、町の一員であることを感じられるメディアだった、と丸山さん。

「夕刊矢祭は、町のいいことをみんなで共有できる場でもあって。イベントをしたとか、大会で賞を獲ったとか。誰かの頑張りをそっと教えてくれる」

「それを読むとすごいなあと思いますし、自分自身も取材してもらうことで、見た人から声をかけてもらえることが励みになっていて。直接知り合いではなくても、いつでも町の人とつながっているような、そんな感じがありました」

ゆるやかに地域のコミュニティをつないできた夕刊矢祭。

そこまで町の人に信頼されるものをつくってきた菊池さんって、どんな人なんだろう。

「あのね、本当に忍者みたいな人です。気がついたら小学校の隅で写真を撮っていたり、イベントが重なっている日には別会場に瞬間移動していたり(笑)」

丸山さんが「忍」と表現するのは、文章も。

淡々とした調子で出来事が綴られていて、あくまで登場人物の言葉が主役。イベントの紹介でも、「盛り上げましょう」とか「応援してください」という表現は、地の文には見られない。

「知り合いであれ、どんな人であれ、あくまでその人が言っていることをフラットな立場で伝える。文章を書いていると、自分の色を出したくなるときがあると思うんですけど、菊池さんはそれがないんですね。文章さえ気配を消しているというか」

だからこそ、話す人も読む人も、安心して記事に向き合うことができる。

「でも、興味がないわけじゃないって、読んでいたらわかるんです。むしろ、この仕事で地域を元気にしていきたい、という想いをずっと燃やしてこられたんだろうなと」

自らは一歩引いて、町の人の想いを尊重し、そっと応援する。そんな距離感が、愛されるメディアを育ててきたのだと思う。

 

菊池さんからノウハウを学べるとは言っても、50年のベテラン選手と肩を並べるには、それなりの年月が必要になる。

「菊池さんは地元の方だったけれど、それでも最初のころは相当苦労されたと思いますよ」

そう話すのは、駅前の商店街で商店を営む宗田さん。地域のまちづくりNPOの役員も務めている方で、地域での暮らしの相談もしやすいと思う。

「いきなり取材に来られても、なんで話さなきゃいけないんだ?って。自分の言ったことが週刊誌みたいに過激な書き方をされたり、変に伝わったらいやじゃないですか」

「新聞らしい書き方というのは、学べば身につくと思います。けれど人間関係は、やっぱり時間をかけて信用を積み上げていかないと。『この人に頼まれちゃ断れないよ』みたいな関係性を、いかにつくっていくかですね」

地域で信頼を得ていくには、どんなことが必要でしょう?

「田舎ならではですが、多様性を認めることがちょっと苦手なところがあるので、そこはお互い歩み寄る必要があると思ってます。ギブばかりも疲れますから、ギブアンドテイクです。いろんな行事に参加することも、ある意味、実績づくりなわけですよ」

たとえば草刈りもそう。これまで移住してきた人は、農業を通して地域の人と仲良くなった人も多い。

親しい人が増えていくと、自然と話題も集まってくるようになる。

単に取材をして書いて、という仕事ではない。人や地域に対して好奇心を持ち続けられるような人が合っていると思う。

「この地域のためにやってみたい、という人が現れたら、みんなきっと応援してくれるし、力も貸してくれると思います。わたしたち自身が復活を望んでいるんだから、いいものが仕上がるよう、力を合わせてやっていこうぜって」

「いきなり菊池さんレベルのものを求めることはないし、形は変わっていってもいいと思います。ただ、気持ちというか、魂のようなものは受け継いでほしいですね」

どんなにいい人でも、最初は「なんだ、あいつは」と言われることもあると思う。でもそこで挫けずに、自分の居場所をつくっていってほしい。

「たとえば『社長〜、遊びに来ちゃいました』みたいな、ちょっと図々しいくらいの距離感がちょうどよくて。かしこまりすぎても、構えちゃうじゃないですか」

「人懐こいというか、人たらしというかね。人と関わるのが好きで、前向きな人に来てもらえたらうれしいです」

 

最後に話を聞いたのは、地域おこし協力隊の担当をしている、役場の菊池さん。

「やっぱり期待も大きいぶん、プレッシャーもある。移住者が町のことを伝えていくことに不安を感じるときもあると思います」

「だからこそ、最初に味方をつくれるといいなと。若くて元気な人に『教えてください!』と言われたら、町の人もやる気になりますし、仲良くなれば人脈も広がっていく。丸山さんや宗田さんのような人が力になってくれると思います」

そのためにも、まずは町を知ることから。いつから発行、ということは現段階では明確に決めず、一定のクオリティのものが出せるタイミングからはじめていく予定だ。

「いきなり毎日発行ではなくて、たとえば週1回から、とかね。納得できるものをつくるのが大切だと思います」

実は、お母さんが夕刊矢祭で事務の仕事をしていたという菊池さん。

「菊池社長には小さいころから本当に良くしてもらって。夕刊で頑張って働いてくれた親のおかげで今の自分がある。わたしの身体の半分は夕刊でできているようなものなので… 復活させたい想いは、人一倍強くあります」

「このプロジェクトは本当にこれからだなと思っていて。楽しみな反面、不安もあります。でも、ここに来る方は覚悟を持って来てくださると思うので、3年後の未来を見据えて、精一杯サポートしていきたいです」

 

誰かの言葉が、まちのどこかで誰かの心を動かす。

メディアには人と人をつなぐ力がある。

すごく当たり前で、とても大切なことを思い出させてくれる仕事だと思います。

(2023/8/21 取材 阿部夏海)

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