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島根県の沖合、隠岐諸島に浮かぶ海士町(あまちょう)は、人口わずか2,200人の小さな離島。
東京から飛行機とフェリーを乗り継ぎ、半日かけてたどり着くこの島に広がるのは、手つかずの自然と、温かな人のつながり。
日常の忙しさからふっと肩の力を抜いて、自分らしい生き方を再発見できる場所だと思います。

そんな海士町の港近くにある「Entô」は、隠岐ユネスコ世界ジオパークの拠点として、島の自然や文化を体感できる宿泊施設です。
このEntôを拠点に、海士町の未来を切り開いているのが、株式会社海士。
島の玄関口である港では、レストラン「船渡来流(セントラル)亭」や、地元農家の野菜やお土産を販売する「島じゃ常識商店」を運営。
さらに、島の資源を活かした商品を生み出す「Okum(〜をくむ)」というブランドを通じて、島の魅力を発信しています。
今回は、島じゃ常識商店の運営をしながら、Okumのブランドを推進するスタッフを募集します。未経験でも、地域への興味や変化を楽しむ柔軟性があれば大歓迎です。
十数年前から地域づくりの先進事例として注目を集めてきた、海士町。
就労型お試し移住制度の「大人の島留学」や、和食を学ぶ「島食の寺子屋」など、島外からの移住者を惹きつける取り組みが根付いている。
Entôを運営する株式会社海士の代表・青山さんも、移住者のひとり。

北海道で生まれ、東京の大学で途上国の教育支援に携わる学生団体を立ち上げた青山さんは、地方と都市の関係性に興味を持っていた。
2005年、大学の先輩に誘われて海士町を初めて訪れることに。
「そのころの島は、人口減少と財政危機を乗り越えようと、前町長・山内さんが改革をしている真っ只中でした」
町長は自身の給与を半分に削る大胆な一歩からはじめ、隠岐牛や島の塩のブランド化、島留学の開始など、次々と新しい挑戦を進めていた。
「熱気とカオスが入り混じる島の雰囲気に、『何か変わりそう』という可能性を感じ、強く惹かれたんです」
この改革のなかで生まれたのが、海士町のスローガン「ないものはない」。
この言葉には、「大事なものはすべてある」「なくていいものはなくていい」「必要なものは自分たちでつくればいい」という3つの覚悟が込められている。

島の資源を最大限に活かし、たりないものはつくる。この精神が、青山さんの行動の軸となっていった。
新卒で海士町の観光協会に就職し、10年以上にわたり島の魅力を発信し続ける。
2017年、港近くの老朽化したホテルの建て替え、という目的でプロジェクトが発足したことを機に、株式会社海士の代表に就任。
前町長の改革精神を引き継ぎ、2021年に島の未来を切り開く拠点としてEntôをオープンした。

目指したのは、「ないものはない」のスローガンのもと、余計なものを削ぎ落とした空間。
客室は最小限の家具で構成され、窓からは雄大な自然を眺めることができる。
「旅の醍醐味は、遠く離れた島で、普段気づかない大切なものに気づくこと。豪華さや便利さを足し算するのではなく、島の水、食、人のつながりといった本質に触れるような時間を過ごせるようにしています」
「Entôの開業から4年、リピーターや地域の信頼を積み重ね、新たな顧客層を引きつける手応えを感じていて。がむしゃらに突き進み、チームで議論を重ねるなかで、『旅をきっかけに、豊かさを巡らせる。』というミッションが生まれました」
このミッションを体現しているのが、地域開発事業部。
地域開発事業部は、港のレストラン「船渡来流亭」、生活用品や地元農家の野菜などを販売する「島じゃ常識商店」、島の資源を活かした産品をつくる「Okum」のブランドチームの3つで構成されている。

「地域開発事業部という名前には、港を拠点にしながら島全体で新たな価値を創り出す意志が込められています」
「港にとどまらず、隠岐全体のジオパークを活用したコンテンツづくりや、生産者と手を組み、地域資源を最大限に引き出す挑戦をつづけていきたい。特別なスキルよりも、島へのリスペクトと素直さ、そしてその人らしい個性を持つ人に新しく仲間になってほしいですね」
島じゃ常識商店のマネージャー、杵築(きづき)さんは、神奈川から海士町に移住して8年になる。

もともと東京の不動産会社で働いていた杵築さんは、日本仕事百貨の記事を読んで、「島食の寺子屋」をきっかけに海士町へ。
「東京では人と人、土地とのつながりが薄かった。顔の見える関係性で、生産者のそばで働きたいと思ったんです」
「1年しかいないつもりがいつの間にか、地元の人と結婚して、子どもが3人。本当に、仕事百貨さんの“せい”で人生が変わりました(笑)」
そう話す杵築さんが海士町に来て驚いたのは、よそものをあたたかく迎える島の文化。
「地域のお祭りに参加したら、地元の方の輪にいれてもらって、隠岐に来たらこれを呑まないと、と隠岐誉という地酒もたくさん呑ませてくださいました。そこで今の夫とも出会ったんです」
「娘たちの名前を島の方みなさんが覚えてくださって、ちょっと行方不明になっても『あそこにいたよ』と教えてくれる。島全体が家族や親戚みたいなんです」
島食の寺子屋を卒業後、島内の隠岐神社の境内の中にある離島キッチン海士で勤務。その後、船渡来流亭で店長を務め、今年の4月から島じゃ常識商店のマネージャーに。
商店はフェリーターミナル近く、島民にとってコンビニのような存在。コーヒーやソフトクリーム、地元農家の野菜、海士町ならではのお土産などがずらりと並ぶ。
杵築さんは、農家さんからいただいた野菜をつかって、お弁当をつくり販売している。
野菜やお酢をつかった体に優しいメニューから、がっつり食べたい人向けのオムライス弁当、グルテンフリーやアレルギー対応まで、幅広く揃えている。

「旬の野菜は絶対につかいます。今の季節はどの農家さんも、お芋を収穫されていて、あふれるくらいあるんです(笑)。ほかにも、スタッフがビーツの葉でつくったお惣菜が驚くほど美味しくて、こんな食べ方もあるんだ!と、お客さんにも好評でした」
「お弁当を通じて、地産地消化率を上げて、島の食材の魅力を伝えられる。島民の方とも観光客の方とも、コミュニケーションが生まれるんですよね」

今、興味があるのが、海士町の伝統的な塩づくり。
「島の湧き水が流れ込む海水を使用した、昔ながらの製法でつくられる塩は、海士町の魂そのもの。採算が難しく、事業の継続が課題ですが、絶対に失くしたくないんです」
塩をつかった商品開発や、塩づくり体験の観光コンテンツ化も含めて持続可能な生産とブランド化を考えており、事業継承のスタートアップを進めていく仲間を探している。
「ちょっと暑苦しくて恥ずかしいんですけど」と笑いながら、杵築さんがつづける。
「この島に来て8年経ち、たくさんの人とのつながりができた。それに対して、恩返ししたいという思いがあって。だからこの島に残りたいし、子どもたちの世代にこの暮らしを残したい」
「どうやって島に貢献して、地方で生き残っていくか。それをいつも考えています。東京や大阪とは違う暮らしのなかで、自分らしい生き方を模索できたらいいなって」

新しく入る人は、まず商店の店番からスタート。接客や発注、陳列をひとつずつ覚えていく。
店番を通じて地域の人と交流し、顔を覚えてもらい、島の食や文化に触れながら、徐々に商品開発やイベント企画にも挑戦していってほしい。
「失敗しても大丈夫。私も毎日反省会です(笑)。いろんな縁や出会いが溢れているからこそ、自分が何をしたいか、どう責任をとるかを考えて、目標を持って仕事に取り組んでもらえたらうれしいですね」
「山口さんは、島のみんなに愛される人。彼に会いに商店に来る人も多いんです。この前は『携帯の調子が悪いから直してほしい』なんてお客さんもいましたね(笑)」
そう杵築さんが紹介してくれたのが、島じゃ常識商店のスタッフで、Okumブランドのものづくりを担う山口さん。5年前に移住してきた。

大学時代にカナダで半年間の留学を経験し、地方暮らしの魅力に惹かれていた。
「都会では『これが正解』という枠に無意識に縛られていたから、地方で自分らしい生き方を模索したかったんです」
島でのものづくりを志し、島のパン製造の求人に応募。パンやお菓子づくりの伝統を継承する仕事から、海士町でのキャリアをスタートさせた。
その後Entôでのダイニングスタッフを経て、現在は島じゃ常識商店の運営を担いつつ、Okumの商品開発にも取り組んでいる。
Okumは、海士町の自然と文化を丁寧にすくい上げるブランド。「くむ」には、自然の恵みや人の思いを汲む意味が込められている。
島の塩をつかった生キャラメルや、季節の魚のふりかけ、おいもを潮風で干した「島かんぺ」など、島の資源を活かしたさまざまなプロダクトを展開。
山口さんが力を入れるのは、島の伝統的な民具「つかり」の制作だ。

かつて島の家庭で、サザエや山菜、お弁当を入れる万能なかばんとして藁で編まれていたつかり。それを現代の暮らしに合わせて綿のロープを使い、ファッションアイテムとしてリデザインした。
「島の方に編み方を教わり、試行錯誤しながら一つずつ手作業でつくっています」
今年の6月には、鎌倉でポップアップイベントを開催。スマホが入るサコッシュサイズと、ノートパソコンが入る大きめサイズの2種類を、島の桜や紫キャベツで染めたカラフルなロープで仕上げ、新作のつかりを披露した。

「着物に合わせたいと買ってくれた方がいたり、『しっかりしたつくりだね』と褒めていただいたりしたのはうれしかったです。鎌倉市長さんも訪ねてくださって、びっくりしましたね」
最近では、島で増えすぎた竹を活用するアイデアを、隠岐島前高校の生徒と模索中。
「店番中に、島民の方から『高校生が竹を炭にする器具を自作しているよ』と聞いて。炭を染料にして、グレーのつかりを試作しています」
「島にはまだまだ隠れた宝物がある。暮らしのなかでそれを見つけて、さまざまな人に知ってもらうにはどんなかたちがいいか、試行錯誤する。それが、この仕事の醍醐味です」
ものづくりや伝統を、未来につなぐことに興味がある人はぴったりだと思う。

「海士町での暮らしは、仕事と生活の境界が曖昧で、まるでグラデーションのよう。同僚が友だちだったり、地元の方とのつながりから、新しい仕事が生まれたり。島全体が個性を受け入れてくれるから、ありのままの自分を出せるんです」
「毎年『来年はどこかに行こうかな』と悩むけど、居心地が良くて結局ここにいる(笑)。それが海士町の魅力かな」
いろんな巡り合わせと自分のやりたいことが重なり、思いがけない縁から新しいことが始まる。
既存の常識が通用しないからこそ、人生に新しい可能性が生まれる。
それが海士町の仕事であり、生き方なんだと思います。
大きな志や綿密なキャリアプランがなくても、「何かやってみたい」という小さな思いがあれば、この島が応えてくれるかもしれません。
まずはオンラインで話を聞くこともできるとのこと。
海士町で、あなたらしい物語をはじめてみてください。
(2025/07/04 取材 田辺宏太)
※取材はオンラインで行いました。写真は提供いただいたものを使用しています。


