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ー新島に生まれたものー

しごとをつくる合宿の舞台となるのが東京の島、新島村。 その新島で7年前に人気の宿saroをつくったのが林厚見さんと麻生要一郎さん。 個人的にもお世話になっている2人がなぜ宿をつくることになったのか。林さんが働く東京R不動産のオフィスで聞いてきました。 (話し手・林厚見、麻生要一郎 聞き手・ナカムラケンタ)

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林厚見(以下、林) はじまりは友人が会わせたい人がいるということで、紹介してくれたのがWAXのオオノケンサクさんで。 それで島を訪れたら、とてもいいところだった。なにかできればと思ったんだけれども、その良さを引き出すためには開発するというよりも、もっと別の何かが必要だと思った。

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新島を伝えるコピーにありがちなのは「東京なのに」みたいなもの。たしかに東京都とは思えないような島なんだけれども、そもそも島自体が素朴でとてもよかった。そんな素敵で身近な離島というのは、都心に住んでいる我々にとって、とても価値のある場所。 きっとみんなプチ田舎がほしいんですよ。房総もいいけれども、離島に渡るとスイッチが切れる感覚がある。なんというか、素敵な自分になれる。

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あとは島のバンド、ナムレ。まずは動画で見て、なにかを感じて、とてもいいなと思った。みんな島で仕事をもっているんだけれども、音楽を通じてつながり、島で生きている感じがあった。たとえば、インスタグラムのフォロワーが多いというような価値観じゃなくて、人間の本能や快楽が自然とあるんです。いつかsaroで演奏してほしいと思っていたら、開業4日前にたまたまメンバーが集まって、演奏がはじまっちゃったんだよね。 そのときは言葉にならなかった。そして『フリーダム』を歌うわけですよ。「仕事が終われば集まって〜♪」って。おれが一番世界で好きな歌。 要一郎さんとの出会いは、日本仕事百貨の飲みが2009年の2月にあって、そこで出会ったの。そのまま7月には開業したんだよね。 麻生要一郎(以下、要一郎) そうそう。はじめて林さんに会ったときに、自分がいかに納豆が好きで、納豆はどんなにすばらしいか、というプレゼンがはじまって(笑)。それがとても面白かった。当時は水戸に住んでいたから、帰ってからちょっと変わった納豆を林さんにお送りしたんです。

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 ぼくはそれにドカンときたわけですよ。 要一郎 そのあとこの事務所にきて、今後の人生についてどう考えているのか聞かれたの。そしたら新島の話をされて。  一緒に何かできないかな、と思って。 要一郎 それが2009年の2月。真冬だし、島を訪れる人もあまりいない時期。はじめて飛行機で新島を訪れたら、とてもミニマムな島で。冬は風が強いから人がいないし、海の色も夏のものとは違う。それでもいいところだと感じて。なにか一緒にできたら、と思っていた。  やっぱり好きになっちゃったんですね。それは恋愛に似ていて、ほかの島と比べているわけでもない。もう、惚れちゃった。でもそれくらいじゃないと人は動かない。損得を超えていないとね。その気持ちは伝わるんだろうな。そうしていたら、島で物件を見つけるのはなかなか難しいのに借りることができたんです。

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大家さんの息子さんの助言もあったんです。「やってみなきゃわからないし、林さんたちがやろうとしていることは新しいことで、すでにある民宿とバッティングしない」というように。 要一郎 物件をはじめて見たときに、宿とカフェをやろうと考えた。まずはもともとの荷物を片付けるところからはじまって。東京R不動産でコラムを書いてくれて、後片付けをしてくれる人を募集したら、結構人がきた。  ナリワイの伊藤くんとかね。 要一郎 そういうメンバーで片付けをしていたら、結構なゴミの量になって。  かーたんはゴミの仕事をしてくれたな。彼は新島のことを大切にしていて、Tシャツをつくったり、フェスもやったりしていて。ゴミの処理を手伝ってくれた。 要一郎 何度か通っていたら、島の知り合いが増えていって。たとえば都心だと人と会うのは、ちゃんと約束するわけだけれど、saroには島の人が前触れもなく遊びに来てくれる。なんとなく、昔の携帯電話もないときのような感覚。それが新鮮だった。 当時、ジェット船が遅れたときがあって。新島に着いたときにはどの飲食店もランチが終わっていて。そしたら漁協につとめていた方がいらっしゃって「なにも食べてないだろうから」ということで、お昼ご飯を用意していてくれたことがありました。そういうことが心にじんわり。  じんわりくるんだよね 要一郎 すごいサプライズとかじゃなくて。 それでsaroがオープンすることになって。ぼくは夏の間、ずっと新島に行くと決めていたら、ほかにも働いてくれる方が集まってきた。藪下さんに、もりきのこさんというイラストレーター…  家族ができあがっていったわけですよ。

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要一郎 あとは自分の水戸のカフェの店長が来てくれたりだとか、しずえさんも新島にきてくれたし、年々家族が増えていくようだったね。 saroをはじめてから大変だと思ったことは、都会だと業者さんがいて、連絡すればすぐにもってきてくれるけど、こちらにはゆうパックしかないことかな。仕入れようと思うんだけれど、いつ届くのかよくわからないし、今日あったものが明日ないとか、意外と魚を買うのが大変だったり。だから各スーパーとそれぞれお付き合いするようにしていたよ。 あとはじめは島で暮らすということがどういうものかわかっていなかったなあ。たとえば、船が欠航するということがどういうことなのかとか。そういうときにどうお客さんに対応するのかとか。島の人は慣れているから、どういうときに飛行機が止まるのか、船が欠航するのか、はじめは感覚としてつかみきれなかった。 帰れない人がいる一方で、たどり着ける人もいる。「着発」という意味もよくわかっていなかった。飛行機も今よりすぐとまっちゃっていたし。当時は必死だったけど、場当たり的な対応になってしまったこともあって。 それでも1泊でも滞在すると、みんなリラックスしてくれて。帰るときの顔はすっかりユルんだものになっていたなあ。リピーターの人がいるというのもよかったし。あとはsaroという疑似家族的なものが形成されたのはやっぱり面白かったし、とてもよかった。

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 新島は、未来の東京という都市圏の、ひとつの公園のように捉えている。そういうポテンシャルをみんなで描いていければ、すごく大事なものを残していけるし、つくっていける。ただ、それをやるのは東京の理屈とはちょっと違う。その世界を読み取れるかどうかだと思います。 林厚見(はやし・あつみ) 1971年東京生まれ。株式会社スピーク共同代表 / 東京R不動産ディレクター。現在の仕事は、建築/不動産/街の開発や再生の企画プロデュース、「東京R不動産」や「toolbox」のマネジメント、等。新島ではカフェ+宿saroを高野要一郎と共に運営(2009-2014)、現在はシェアセカンド拠点、common house Rowを主宰。島の未来計画の立案等にも関わる。 麻生要一郎(あそう・よういちろう) 1977年茨城県水戸市生まれ。「カフェ+宿 saro」主人。現在は家庭料理や食卓を中心にライフスタイルを提案。千駄ヶ谷で愛猫チョビと2人の暮らし。

インタビュー

しごとをつくる合宿 梅田久美(NABLA)×下井勝博×木村諭史 ▷新島に生まれたもの 林厚見(東京R不動産)×麻生要一郎(元saro主人) ▷やってみないとわからない オオノケンサク(WAX) ▷産業をつくりたい 青沼村長×前田副村長  戻るボタン