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ーやってみないとわからないー

林厚見さんや麻生要一郎さんが新島でsaroをはじめたのも、元をたどればWAXに行き着きます。

WAXは毎年夏に開催されるビーチラウンジイベント。和田浜にバーやステージなどをつくって、イベントを開催しています。お酒を飲みながらいい音楽を聴いて、サンダルを脱いで素足で砂浜のうえで身体を揺らす。見上げれば満天の星。これがあるから新島を訪れている人も多いようです。

そんなWAXも2016年9月4日で12年目の最終日を迎えました。

ひとつのサイクルが終わろうとしている日の夕方に、WAXをはじめたオオノケンサクさんに話を伺いました。場所はケンサクさんも関わっているカフェPOOL/PARKです。
(話し手・オオノケンサク 聞き手・ナカムラケンタ)

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そもそものきっかけは大学のときに、ライフセービングで来ることになって。おれ、ライフセービング部に入っていたの。当時は日体大が新島で活動していたんだよね。

ライフセービング部の部員って300人いるんだけれど、新島に来れるのは精鋭30人だけなの。ほかにも式根島とか下田、湘南エリアもあるんだけれど、新島はサーフィンができるようなところだから波も高いし、島だし、自炊だし、厳しい環境だったから。やっぱり新島に行っている先輩たちはかっこよくて、特別な場所でブランドがあったんだよね。

それでおれも希望を出して、大学1年から新島に来るようになった。はじめて来たときのインパクトがすごかった。

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もともと大阪で生まれて、育ちは東京、そのあとは横浜、千葉、熊本、神戸だから、島がはじめての体験でさ。

それで大学4年間、夏の間だけだけれど、通うことになったんだよね。

ただ、先輩とか見ていても、夏だけの関わりだったのよ。ときどき島の家の人に挨拶しに伺って、交流はあったんだよね。それで島の人たちと関わるようになって。

それで、夏だけの関わりだけじゃなくて、もっと島の人たちと親密になりたいなと思って、シーズンオフに新島に行こうと思ったの。

それからすっかりよくしていただけるようになって、民宿に泊まらなくてもいいし、島の自然とか、人とか、虜にされちゃったんだよね。それが何なのか聞かれても説明するのが難しいんだけれど。おれは海が大好きだったし。

大学卒業してから、海外に行くことを決めていたの。はじめてイギリスに行って、病気になって、一旦帰国して。次はサンフランシスコに行って。

その間は新島に行ってなくて、帰国したら久しぶりに新島に行ったの。96年に大学を卒業して、2000年くらいに帰国して、その間に新島で震災があった。

サンフランシスコにいたからよく知らなかったんだけれど、第2の故郷だし、帰国したらすぐに行きたいじゃん。そしたら全然人がいなくて。離島ブームは終わっていたかもしれないけど、90年代初頭はまだそれでも人がいたんだよ。さみしいな、って思って、盛り上げたいと思った。

サンフランシスコにはグラフィックデザインとか学びに行っていたから。クリエイティブの力で島を盛り上げるにはどうしたらいいか考えたんだよね。

手っ取り早いのは音楽とかビーチラウンジだと思って。辻堂のスプートニクを見て、人がいて、音楽があって、海があって。おれはそもそもチルアウトが好きだし。

それでWAXをはじめようと思った。賛成してくれた人が多かったけれど、心配してくれた人もいて。それでも最後は力を貸してくれたんだよね。

島の子たちには、設営を手伝ってもらう代わりと言ったらなんだけれども、彼らがイベントできる日もつくって。そうやって協力してもらいながら2005年からはじまったんだよね。

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はじめは設営だけ手伝ってもらって、あとはバーもひとりで運営しようと思ったの。音響もアーティストのアテンドもして。そしたらライフセービング部の後輩の女の子が手伝ってくれて。やっているうちに島の子も参加してくれて。3人で運営していたな。手伝ってくれる人には寝るところと食事は用意して、ボランティアでやってもらっていた。

5年目に一気に変わったの。島のみんなには、それまでは設営しか手伝ってもらっていなかったのが、お酒の提供もしてもらうようになった。仕事が終わってから、ボランティアで参加してもらって。

なんでそんなことになったのかと言えば、きっかけはキャンドルジュンだった。もともと「キャンドルジュンのキャンドルいいな」って思っていて、「10分でもいいから会いたい」って言ったら、会ってくれて。ジュンのところに行って「キャンドルください」って言ったの。

それでジュンが資料を読みはじめたら「え?これ、ひとりでやっているの?」って聞いてきて。もっと大きな組織でやっていると思ったんだろうね。それで「本当はキャンドルを提供したこともないし、これからもやらないんだけれど、新島には個人的な思いもあるから、おれは行けないから託す」というように話してくれて。それでキャンドルを預かって、新島に持ってきたの。

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それでキャンドルをくれたから、終わってから彼に報告書を持っていったの。それに自分はデザイナーだから「何か手伝うことがあれば無償でやりますから」って言って。そしたら1週間後にフライヤーをつくることになったり、「今度、旅するから一緒に行かない?」って言われて、一緒に旅することがはじまって。それではじめてジュンが新島に一緒に来てくれて。

そしたら羽伏浦の公園で24時間のフリーのイベント「ワンダーランド」っていうのを立ち上げたの。伝説のイベントになっちゃった。

それがきっかけになって、島の子たちと話すようになって。みんなの意識が変わって、バーの運営も島の人たちがボランティアで手伝ってくれるようになったの。キャンドルジュンの存在は大きかったんだよね。

今年で12年目なんだけれど、今はひとまわりした感じ。

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10年目のときも考えたよね。はじめてから自分にも家族もできたし、資金もそうだし。やるかやらないか考えて、やるって決めて。

節目は5年、10年、12年。次は15年なのかな。12年は自分のなかで一周した感じ。まさに今日が12年目の最後だからね。思いもひとしおだよね。来年のことは、毎年正月に確認することが多いんだけれど、今年のWAXをやっているうちに「来年もやろうよ」ってことになった。

15年目か。オリンピックもあるし、16年目には終わるのかな。WAXはそれで終わるんだろうな。

振り返ってみれば、WAXをはじめたのも、島の子たちにやれば自分たちでもなんでもできることを知って欲しかったの。あとは東京の人たちと交流して、何かが生まれて欲しかった。ひょっとしたら、仕事になるかもしれないし、恋愛することになるかもしれないし。そんなこと、面と向かって話さないよ。話さないけど、思いはあるんだよね。

まあ、でも島の子たちが続けるっていうんだったら、なんらかの形で関わるけどね。ただ、現実、自分がよぼよぼのじいちゃんになって、ビーチラウンジってわけにはいかないだろうけど。

もしこれから新島で何かをはじめるなら、大切にしないといけないことは、やっぱり島の環境を荒らさないということだよね。大前提として。リスペクトという心を忘れないこと。相手が求めていることじゃないかもしれないし、おれは1年目からいつでも辞める覚悟はしてきたし。

あとはこの一言に集約されていると思うんだけれど「島を愛する」ことだよね。愛していれば、リスペクトするだろうし、相手の気持ちを考えるだろうし、島のことを考えるだろうし。

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やっぱり愛情からはじまる。おれはそうだったの。おれはとにかく島が好きだったから、やりはじめたんだよね。

それとライフセービングって、人を助けることだけじゃなくて、海辺以外でも人と関わることが仕事だと思ったんだよね。ライフセービング部の監督も言ってたよ。海以外でも、困っている人がいたら、それを助けるのがライフセービングだって。電車で席を譲るとかもね。

この島を好きになるかどうかはわからないけど、百聞は一見に如かずだから。まずは来てほしい。

東北とか震災があってボランティアによく行くけど、なんで行き続けることになるかは行ってみないとわからない。自分からアクションしないと、答えは返ってこないと思っていて。WAXのお客さんもリピーターが多いけど、1回目が大切だよね。まあ、おれだって、インドは1回行ったけど、もういいや、って思ったからね。そういうこともあるけど、行ってみないことにはそんなこともわからないじゃん。

あとおれは新島で、何か泊まることができるところをつくりたいね。

島の朽ち果てていく建物もいやだったの。それをリノベーションしたいなと思っていたら、林くんに出会うことになって。それでsaroはできて。同士ができたって感じだったよ。

あとは新島にグランピングとかもいいだろうな。林くんとも話していて、そしたら「やっちゃう?」とか言われたな。

まず1回やってみようよ。やってみないとわからないから。

インタビュー

しごとをつくる合宿 梅田久美(NABLA)×下井勝博×木村諭史
▷新島に生まれたもの 林厚見(東京R不動産)×麻生要一郎(元saro主人)
▷やってみないとわからない オオノケンサク(WAX)
▷産業をつくりたい 青沼村長×前田副村長 

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