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島根県にある石見銀山。そのふもとに、石見銀山生活文化研究所という会社があります。一風変わった名前の会社は、今から29年前、松場登美さん大吉さんご夫婦が立ち上げました。
「群言堂」というブランドで親しみのある人も多いかもしれません。
職人さんとともに、天然素材と製法にこだわった服づくりをしたり。
土地にある旬の食材を楽しめる食事のお店や、昔ながらの暮らしを伝える宿を運営したり。
古民家の再生にも尽力して、最近ではスキンケア用品のブランドも生まれた。
衣食住を通して、自分たちの暮らしを発信しつづけています。
「人口は400人しかいない、コンビニも、信号もない。そういう里山での暮らしがつくるモノサシの豊かさが、近い将来、大きな価値となって現れてくるのではないかなと思っている」
ここから未来へ伝えようとしている新しい価値観は何か。
様々な関わり方で、暮らしのあり方を発信していく人を募集します。
具体的には、石見銀山と全国にある群言堂の店頭に立って考え方を伝えていく人、暮らしをテーマにした宿『他郷阿部家』を運営していく人。ウェブサイトのグラフィックデザインやコンテンツ作成を担う人。
また、東京にある飲食のお店『Re:gendo』で働く人も併せて募集しています。
羽田空港から飛行機で約1時間半。そこから電車とバスを乗り継いで1時間ほど。
島根県大田市大森町。
本社と鄙舎(ひなや)の手前には、稲刈りを終えた田んぼが広がっていた。スタッフで稲刈りをしたそう。
まず話をうかがったのは、所長の松場登美さんと会長の松場大吉さん。
「私たち世代が資本主義のなかで経済的・物質的豊かさばかりを追求してきて、孫たちの世代にいい時代を残せるか?ということに、すごく疑問を覚えていて」
日本人の手仕事の勘や文化が失われていくなか、「都会の人が捨てた文化を田舎から届けよう」というところが、ふたりの出発点でした。
30年の間に、服づくりから、飲食業や古民家の再生と、さまざまに取り組んできた。
なかでも、暮らしをテーマにした宿「他郷阿部家」は、ほかにないものになりつつあると話す。
築230年の武家屋敷を、建て直す以上の労力をかけて再生した。
そして「人が住んで魂が宿らないと、家は生かされない」と、登美さんは9年間阿部家に暮らした。
決して容易なことではないのに、そうまでするには理由がある。
「ものを残し、風景を残し、技術を残していくことによって伝わるものがある。そしてそのプロセスが、非常に意味のあることです」
そう、大吉さんが教えてくれました。
「たとえば鄙舎の茅葺きにしても、費用のことだけを考えれば壊されてしまうかもしれない。けれど自分たちの力でなんとか残そうとすると、職人さんの技も残る。30年して直すときが来たら、次の職人さんが技を学ぶこともできる」
歴史を摘まずに、残しながらつないでいく。
生地から産地の職人さんと共につくる服も、竃でご飯を炊いて結ぶおむすびも。
すべてに共通しているんだと思う。
「自分たちが理想とする暮らしというものを、未来からの目線でどう紡いでいくか。事業を通して提案し、少しずついい方向を向いていきたい。そういう気持ちをもって仕事をしています」
二人の想いは、人へと手渡されている。
「はじめからこれまでの事業を計画してきたわけではないんだ。この場所を通してスタッフそれぞれが持っている能力を引き出す。人から、新しい事業が生まれて、今がある」
2014年に生まれた「Gungendo Laboratory」というブランドもその一つ。
若い世代のスタッフが、感覚的に捉えている田舎暮らしや自然と共存する生活スタイルを、ブランドを通して提案していこうというもの。
きっかけをつくった一人が、鈴木良拓さん。
学生のころは染色や織の勉強をしていて、当時から染工場や機屋さんに研修に行っていた。
あるとき、機屋さんの生地帳のなかに「石見銀山生活文化研究所」という名前があるのを目にする。
「生活文化研究所ってどういうところだろう?それに、旧式の織機を扱っている機屋さんと布をつくっているって、一体どんな会社なんだろう?と思って」
そのころ、ちょうど就職活動をしていた鈴木さん。
自分がやりたいと思うテキスタイル分野の仕事を探していた。
「植物を煮出して染めたり、植物から繊維をとって糸や生地にしたり。私がやっていたのは、夏休みの自由研究みたいなことだったんです。でも、今のアパレル業界にとって、そうしたものはあまり必要とされていないことに気づいて」
一度立ち止まって、半年ほど引越しのバイトをしていたそう。
けれどやっぱり、ものづくりの仕事に携わりたい。
そう考えていたとき、石見銀山生活文化研究所のことを思い出す。
「調べてみたら、ライフスタイル全般にかかわる事業をしていて。そのあり方がすごく面白いなと思いました。求人も出ていなかったけれど、自分がつくった布や糸だけでも見てもらえないかと連絡しました」
縁があって、6年前に就職。
そのころ群言堂は、ものづくりのあり方をもっと新しくしていこうという時期を迎えていた。
大吉さんから鈴木さんに、ある役割が与えられる。
「『お前は、この土地にある資源を使ったものづくりは何か、考えてくれ。それがお前の役割だ』と言われて」
そのとき、どんな気持ちでした?
「そういう仕事を任せてもらえるんだ、といううれしさがありましたね。自分に任せられたこの仕事を、なんとか形にしたいと燃えていました」
そこから半年ほど、周辺に自生している植物を集めては煮出して、色を出す実験を繰り返した。
さらに、草木染めの色合いを活かしつつ退色や変色に耐える方法や、自分たちでできる範囲で最大限展開していく方法を探った。
たどり着いたのは、ボタニカルダイという手法。
鈴木さんが学生のころに、草木の染色技術について相談していた染色会社が開発していた、植物から抽出した色に自然由来の糊と少量の化学染料を加えたもの。
植物の色の深みと鮮やかさをそなえた仕上がりとなった。
ほかにもGungendo Laboratoryには、鈴木さんがスケッチした植物の柄をほどこしたシリーズもあるそう。
得意分野を活かして仕事をしているのが伝わってくる。
一方で、大変なことはなかったのだろうか。
「うちではみんな、いろんな仕事をかけ持っています。私も、企画の仕事をしつつ、来客がある際のおもてなしの段取りも担当しています。プリント柄の納期に追われながら、次の日の準備をしなくちゃいけないこともあって、最初の2,3年は大変でした」
適材適所で仕事の役割が決まってくるけれど、ルーティンの仕事だけではない。
どんな仕事を任されても、自分ごと化していけることが大切だと思います。
もちろん人間だから不得意なこともある。そんなとき、互いに補い合う環境があるといいます。
「そのときどきでいろんな議題があって、それに向かって、チームメンバーで話しながら進める仕事が多いです。みんなで一つの群言堂というものをつくっていくイメージですね」
そう話すのは、MeDu(めづ)ブランドの広報を担当する久保田綾香さん。
「MeDu」は、梅花酵母をつかったスキンケアのブランド。
「MeDu」が展開されたのも、スタッフの一人が、石見銀山に咲く梅の花から酵母菌を見つけたことがきっかけだったというから驚く。
久保田さんはもともと、広告代理店で営業の仕事をしていたそう。
「伝える仕事をしたかったんです。ただ、広告を出しても、打ち上げ花火がドン!って上がって終わり、みたいな流れに憤りを感じていて。もっと長く愛されるものを伝えていきたい、そういうブランドづくりをしたいなと思っていました」
そんなとき、日本仕事百貨で求人の募集を目にする。
「使っては捨てられてという世の中の一方で、長く愛されるものづくりを、この山奥でやっている。服にも田舎暮らしにも興味を持っていた訳ではなかったけれど、ここには伝えるべき何かがあると感じたんです」
「もう一つ決め手になったのは、『Gungendo Laboratory』や、あらたにライフスタイルショップを展開していたこと。若い世代が次の時代をつくっている機運を感じて、私もそこに参加したいと思いました」
広報の仕事をしたかったけれど、そのときは店舗スタッフの採用しかなかった。
まずは横浜の店舗で働きはじめた。
4ヶ月働いたのち、石見銀山の本店で1ヶ月間研修することに。その次は、新しくできる店舗のオープニングスタッフとして、4ヶ月ほど働く。
異動も多かったなかで、モチベーションは何だったのだろう。
「それまでの過程も、自分の目指す場所に進むステップだと思っていたので。家族はハラハラしていたけど、私自身は前向きにやっていて」
念願の広報になってからは、取材対応をしたり、販促物をつくったり、イベントの立ち上げをした。
「少数精鋭の体制です。MeDuの広報になった今も、広報だけでなく営業や販売促進、戦略的なことなど仕事の幅は広いです」
現在は東京事務所に異動した久保田さん。石見銀山での働く環境について振り返ってくれた。
「どんな仕事でも、石見銀山での暮らしやものの背景を伝えたいと、どれも一貫した気持ちでできている。普段自分がこの町で暮らしながら感じていることをお伝えして、それがお客さんの手に渡っていくように感じています」
その意味で、暮らしと仕事に境目はない。
本社、本店で働くスタッフおよそ50名のうち、20名ほどが、大森町に暮らしている。
「町の人に山菜採りや魚釣りを教わったり、町の行事があったら参加したり。仕事の環境とプライベートが分かれていないので、みんなでコミュニティをつくって暮らしている感じです。そうした環境を楽しめる人のほうが、すぐに馴染んでいけると思います」
自分の身をまるごとゆだねてみる。そこから、ものの見方や考え方が変化していく。そうして、暮らしも仕事も動きはじめていくようです。
最後に久保田さんが、大森町に来てから印象的だったことを話してくれた。
「東京で暮らしているときは、変わりゆくショーウィンドウを見て、ただなんとなく季節の変化を感じているようでした。でもここに来て、普段の日常の、花や空の色、日ごとに移り変わる景色に気づけるようになった自分がいて」
それを聞いて、登美さんの言葉を思い出す。
「便利さとか、経済優先とか、すぐに何かの役に立つかどうかではなくて。日々の、自分の手にあったことを仕事としてやっていく間に、何かに気づいていくんだと思います」
日々、一つひとつの仕事を積み重ね、楽しむこと。
そこから、大切なものが見えてくるのだと思います。
(2017/7/13 後藤響子)