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佐賀県に『鍋島』という銘柄の日本酒があるのを知っていますか?2011年に、インターナショナル・ワイン・チャレンジという世界的なコンテストの日本酒部門で「チャンピオン・サケ」に選ばれたこともあるお酒で、国内外から人気を集めています。

鹿島市は、有明海や多良岳山系など自然環境に恵まれたところです。
代表の飯盛さん夫妻は、「日本酒を通じて、この土地でしか味わえない体験を届けたい」と5年前から宿泊・飲食事業の構想を描いてきました。
舞台となるのは、築200年を超えるよし葺き屋根の古民家。3年間の外観修理工事を終え、この場所をどう活用するか、形づくっていく段階を迎えています。
さまざまな選択肢があるなかで、まだ方向性は固まりきっていません。
そこで今回、新しい事業の中身を考え、場をつくっていくメンバーを募集します。
本格的に運営をはじめるまでは、出荷業務や国内外から見学に訪れる人の案内役も担い、徐々に移行していくということです。
日本酒やものづくりの背景、地域の魅力を伝えたい。田舎に暮らしながら国際的な仕事をしたい。そんな人にとっては、挑戦しがいのある環境だと思います。
福岡空港から電車を乗り継ぎ、1時間半ほど。
肥前浜駅からまっすぐ続く道を進むと、格子の外観が特徴的な建物が見えてくる。

戸を開けて中に入ると、内装も格子のインテリアで統一されている。
ここで最初に話を伺ったのは、共同代表の飯盛直喜さん。

当時はコンビニやディスカウントストアにもお酒が並ぶようになり、小さな蔵元やまちの酒屋さんにとって厳しい風が吹いていた。
こだわってつくるお酒を地元で楽しんでもらう。そんな土壌を育むことで、蔵元や酒屋の未来をつないでいきたい。
飯盛さんは小売店と協力し、佐賀県を代表する銘柄をつくろうと決意する。
そうして3年にわたって試行錯誤を重ね、『鍋島』が誕生した。

鍋島は少しずつ人々のあいだで広まり、さまざまな賞にも輝いている。
「これまでは、自分たちで鍋島について発信してきませんでした。僕らがするよりも、一本一本背景を伝えながら手売りしてくれる、まちの酒屋さんたちに任せたいと考えてきたからです」
「最近は欧米やアジア圏でも鍋島の人気が高まっていて、わざわざここを訪ねてくれる人も増えてきました。そういう方たちと接するなかで、自分たちから発信していく重要性を感じるようになったんですよ」
お酒を飲むだけでなく、酒づくりの現場を見てもらう。近隣農家の野菜や有明海の新鮮な魚など、地場の食材を使った料理とのマリアージュを楽しんでもらう。
そうやって味以上の価値を届けることで、もっとファンになってもらいたい。
「近くに嬉野温泉や武雄温泉もあるなかで、目利きの観光客や海外のソムリエの方にこの場所を選んでもらい、満足して帰っていただく。そのためには、料理や空間、オペレーションはもちろん、参加型の体験など、さまざまな要素を調和させて演出することが大切だと思います」
「いろんな人の総合力で臨んでいけば、成功する可能性はあると思うんです」
ここで、新しい事業の拠点となる古民家を見せてもらうことに。
案内してくれたのは、もう一人の共同代表・飯盛理絵さん。実は、自身が創業した薬局の経営もしている。

「この事業を成功させるために、これから加わる人と話し合いながら進めていきたいです」
3分ほど歩いていくと、日本酒の甘い香りが漂ってくる。
この辺りは「酒蔵通り」と呼ばれていて、江戸時代から酒づくりが行われてきたところ。通りを進んでいくと、左手に立派な町屋が現れた。

「くど造り」という佐賀県の平野部でよく見られる伝統的な民家の形式で、広さは300平米と地域最大級なんだとか。
「3年がかりで外観工事をして今はきれいになっていますけど、以前はいつ瓦が落ちてきてもおかしくない状態だったんです」
「私たちがまず考えたのは、とにかく安全性。そして美しい景観を守ろうということ。それだけでもまちの雰囲気は変わりますよね。次世代のためにできることをして、地域に還元したい。それが私たちの思いです」
正面から裏側に回ると、煙突が。醸造の仕事をしていた名残だそう。

建物の一部はガラス張りになっていて、光がよく入る気持ちのいい空間。足元には大きな釜が残されている。

「現状では、どんな場ができあがるか想像できないかもしれません。鍋島の品格をつくりあげてきたように、時間がかかっても、ここにしかないものをつくりたいと思っています」
ここにしかないものとは、一体どんなものだろう。
建築デザインの面からそれを考えているのが、建築家の平瀬有人(ひらせ・ゆうじん)先生。富久千代酒造の事務所と、酒蔵ギャラリーを改修した方。
事務所に戻って話を伺う。

98年前に竣工された建物の内壁は、土壁だった。
時間が堆積していく美しさを持つ土の魅力を、どう残していくか。
一般的には、古色の板を張ってカモフラージュする方法が多いという。平瀬先生は、梁の下に黒い鉄板を入れて補強するようにデザインした。

新しい事業の拠点となる古民家も、そんな考え方にそって改修している。
よし葺き屋根は、全国でも数少ない草葺職人さんが修理したもの。
本来、防災面から内部の天井は防火材で覆う必要があるところを、四角形のスチールサッシを取り付け、そこに防火材でもあるガラスをはめ込む。そうすることで、防火機能を備えつつ、フレーミングの工夫によって、よし葺きの雰囲気をより味わえるようにした。

内装のほか、事業の中身を具体的に考えていくのは、2019年度から。
これまでも飯盛さんたちと平瀬先生で話し合ってきたものの、まだ探っている段階。
「どんなニーズがあるかですよね。私は以前、欧米の建築家の知り合いと、長崎県の小値賀島にある古民家に宿泊したことがあります。そこは、東洋文化研究者アレックス・カーが監修した宿泊滞在施設で。一棟まるごと1組で貸し切るんです」
漁港も近く、朝は港で魚を買い、自分たちで調理して朝食を楽しむ。島での暮らしを満喫するような過ごし方ができる。
「そこでの体験がすごく良くて。一緒に行った彼らから『ほかの場所にもないのか?』と尋ねられるほど。世界からしたら、昔ながらの日本の文化を感じられる場が求められているのかなと思います」
今のところ、一棟貸しの宿泊施設を運営する案が有力候補。宿泊施設にするとしても、ただ泊まるだけでなく、日本酒の仕込みの一部や、田植え・稲刈り体験などにも参加できる仕組みをつくりたい。
また、日本酒とのマリアージュを語り合う場として、レストランを併設する可能性も考えたい。
この場所を活かしてどんなことができるか。今回加わる人は、平瀬先生や、飯盛さん夫妻と一緒に意見を交わしながら形にしていく。
実際に場所を運営していくまでは、鍋島の出荷業務や、海外からの来訪者の案内役を務めることになる。
どちらの仕事も、日本酒について知識をつけたり、訪れる人たちがどんなことを求めているかを掴んだり、新しい事業を考えていくうえで役立つと思う。
出荷業務は、瓶に詰められたお酒にラベルを貼って梱包し、発送するのが主な仕事。
現在、鍋島は全部で20種類ほどある。ラベルのほかに、掛け紙や紐、化粧箱を取り付けることもあり、まずは資材の種類を覚えることが大事になる。

出荷業務を担いつつ、国内外から訪れるお客さんへの案内や、輸出に関する仕事を担当しているのが、島ノ江さん。

「昨日はシンガポールからの旅行客の方が、たまたま入った居酒屋で鍋島を飲んで美味しかったからと、わざわざここに足を運んでくれて。そんなふうにお客さまといろんな話をしていると、わくわくしますね」
少人数で仕事をしていることもあり、今は海外からのお客さんに限って、酒蔵ギャラリーを案内している。
「時間のあるときには、試飲していただくこともあります。口にしたときの表情豊かな反応を間近に見られるのは、うれしいですね」
つくり方について聞かれることもある。そういうときは、専門用語をわかりやすく言い換えながら紹介している。
「私もまだわからないところはあるので。その場で答えきれなかったことは自分で調べたり、つくり手の人に教えてもらったりしながら、後日メールでお伝えすることもあります」
「とにかく人と接することや、伝えることが好きな人が向いていると思います。日本酒づくりはもちろん、このまちに来ることで得られる出会いも届ける。そういう姿勢が大事なんじゃないかな」

だからこそ、自分たちで答えを導きだしていく大変さや面白さを感じられる。
手応えのある仕事だと思います。
(2019/01/18 取材 後藤響子)