どの木を伐るかではなく、どの木を残すのか。
山のそばで生活しながら、定期的に山に入り木の生長に合わせ必要なだけ刃をいれる。
そうして残された木には価値が生まれ、山の循環につながっていく。
そんな山と向き合う持続的な森林経営を目指した林業を、自伐型林業といいます。
一度に伐る範囲を限定するため、使う重機も少なく、慣れれば1人で施業できます。
50年より100年、長いスパンで山を人の手で守っていく。今回は、その担い手を募集します。
舞台は、高知県佐川町。
全国でもいち早く自伐型林業を取り入れ、町産材を活かす事業も展開。木との関わりしろが充実しているから、林業のかたわら木工作家、編集者など兼業しながら暮らす人も多くいます。
地域おこし協力隊としての採用になるため、3年後の独立を見据え、研修や実践を重ねて技術を身につけます。
さまざまな角度から、森や木と関わりたい人に知ってほしい林業の世界です。
高知龍馬空港から高速バスで約30分。JR高知駅から西へ進む普通列車に揺られ、1時間ほど経つと佐川駅に到着する。
佐川町は、NHKの連続テレビ小説「らんまん」で、主人公のモデルとなった植物学者・牧野富太郎の生まれ故郷でもある。
まず向かったのは、駅から歩いて10分ほどのところにある佐川町役場。
ここで役場の方に話を聞くことに。
2階の会議室に案内してもらい、自己紹介。
「近くにラーメン屋があるんですけど、今日はそこでお昼を食べすぎました」と笑うのは、渡邉さん。
林業分野の地域おこし協力隊の担当者として、活動をサポートしている。
ぐるっと山に囲まれた盆地に、川や田んぼが広がる佐川町。
まちなかには、スーパーが3つ、ドラッグストアが3つ、コンビニが3つ。JR高知駅からも特急に乗れば約30分で着く。
自然とまちの距離感がちょうどいい。そんな佐川町では、11年前から自伐型林業の普及に力を入れている。
林業といっても、さまざまあるけれど、「自伐型」に注目したのはどうしてだろう。
「扱う機械は、バックホーやダンプ、トラックなど小型の重機。作業道は車両に必要な道幅に限定し、山にやさしく災害に強い道づくりを目指す林業なんです」
「加えて、重機が小さいことで設備投資も抑えられるし、そのぶん収入にもつながる。参入障壁も下げられる林業のかたちとして注目しました」
ただ山を良くするだけではなく、町産材を活かせる機会や場所もつくる。そうすることで、雇用も創出して、人の輪も広げていきたい。
町が自伐型林業の協力隊を募集し始めて11年。すでに20人ほどが定住し、町内の森林整備に関わっている。
そのほとんどが、未経験から始めた人。なにが独立をあと押ししているのだろう。
そのひとつが、行政からのバックアップ支援。
地域おこし協力隊に着任後、林業経験がなくても必要な資格は活動の中で取得することができる。
任期満了後は、機材を少額でレンタルすることも可能。作業道を1mつくるごとに上限2,000円、1haの間伐ごとに11〜 18万円程度が補助金として助成される。
「独立してから苦労することのひとつが、作業をする山を見つけること。移住者は知り合いが少ないぶん、難しいんですよね。なので、行政が森林管理をさせてもらえる山の集約を進めています」
「協力隊の任期中は、間伐や作業道づくりの練習を町有林で実践していて。卒業後は、集約した山の整備を行政から委託しています」
卒業後に仕事が見つからないことがないように、仕組みづくりをおこなっている。
隊員のなかには、任期中に住民と仲良くなって、個人的に山を譲ってもらった人もいるそう。高齢の山主にとって、信頼できる人に管理を任せられるのはありがたいこと。
また佐川町では、伐った木を活かす事業も展開しているため、地域の住民から自伐型林業への理解も得やすい。
そのひとつが、「さかわ発明ラボ」。
レーザーカッターをはじめとするデジタル機材が設置されていて、一般の人でも、町産材や県産材を使ったものづくりができる施設。
小中学生向けには「放課後発明クラブ」というものづくり教室も開催していて、子どもたちの好奇心や発想力が育まれる場所にもなっている。
「そのクリエイティブさに魅力を感じて、移住を決めた方も多いです。専業ではなく、林業と自分の得意なことを組み合わせて働いている人が多いまちだと思いますよ」
実際に協力隊として活動する人にも話を聞いてみる。
大学を卒業後、今年の5月から活動しているのが宮﨑さん。
地元は東京で、沖縄の大学で日本画を学んでいたという。
まったくの畑違い。林業に興味を持ったのは何がきっかけだったんですか?
「それ、よく聞かれます(笑)。学生のころは沖縄の植物をモチーフに描いていて。あるとき、樹を描くために、その生態について調べたんです」
「そうするうちに、日本の林業が抱える問題を知って。実際に自分で何かできることはないかと考えたのがきっかけでした」
調べるうちに自伐型林業のことを知り、たどり着いたのが佐川町だった。
「さかわ発明ラボの存在とか、町でクリエイティブに活動している人も多い印象で。絵を描きながら、林業にも携わる。それが実現できると思ったので、佐川町を選びました」
移住して半年ほど。林業はとてもエネルギーを使いそうだけど、日々どう過ごしているのだろう。
「体力は自然に身について。周りから言われるくらい筋肉はつきました(笑)」
「協力隊の期間中は、技術を身につけるための研修が多いんです。資格も十数個いるので、林業学校に講義を聞きに行く日もあります。なので、山での施業は、毎日というわけではないです」
作業道のない現場は、道をつくるところから施業がはじまる。その道を使って間伐した木を搬出するのが一連の流れになる。
施業するときは、宮﨑さんのほか基本的に先輩の協力隊員が山に入る。加えて、協力隊のOBや県外のプロ講師が指導してくれることも。
「全国から先生が来てくれるので、自伐型林業についていろんな考え方を知れて面白いです。考え方は違うけれど、山を良くしたいという想いはみなさん一貫している。日々勉強になります」
「一日に伐る本数は現場の状況や人員数、技術力などで変動します。たとえば、施業しやすい現場だと、私で日あたり3、4本ほど伐れるようになりました」
作業道をトラックで何度も行き来するのは効率が悪くなるため、木は4〜5日ほど貯めて搬出。
伐り出した木は、町内の原木販売所に運んだり、一部は発明ラボで商品開発の材料となったり。端材はチップや薪にして活用される。
木材は市場価格の変動はあるけれど、1㎥あたり8,000円~3万円ほどで取引されている。卒業後は、そのほかの補助金も上乗せして暮らしていくことになる。
やり方次第では、林業一筋で暮らしていけるほどの収入を得ている人もいる。兼業か専業か、先輩たちの話を聞きながら自分のライフスタイルに合わせて見つけていけるといい。
来年は県外の芸術祭に出展する予定の宮﨑さん。3年後は、二足のわらじで歩んでいくことを考えている。
「最初は、絵を描き続けるために林業を始めた部分もあったけど、いつの間にか、林業を続けるために絵を描くマインドになってきました」
「自伐型林業のほかにも、発明ラボや農業などさまざまな領域で活躍している協力隊がいる。技術の先生としても、移住者の先輩としても。横のつながりがあるのも心強いです」
卒業後は、どんな暮らしが待っているのだろう。協力隊のOBの元へ車を走らせる。
到着した古民家で待っていてくれたのは、村澤さん。
6年前に協力隊として佐川町に移住。現在は自伐型林業を営むほか、木工作家としても活動している。
自宅の2階にはさまざまな形の木皿や花瓶がきれいに並べられ、壁にはドライフラワーが。古民家の一室に似合うなあ。
「この一室は、アトリエにしているんです。僕は伐った木を使って木工作品を、妻はリースやスワッグをつくっていて、たまにイベントに出店して販売もしています」
「林業を始めたころ、伐った木の枝を山に残すとき、なんとなく捨ててしまっている気がして。もったいないなと感じていたんです。今の作品は、そんな枝も使っていますよ」
はじめてだから、疑問も生まれやすい。それが活動の種になることもあると思う。
イベントに出店した際に、知り合った人から「こんなものつくれませんか」と、依頼が来ることもあるそう。
ほかにも、庭木の剪定をお願いされたり、佐川町以外の地域で特殊伐採をしたり。自ら発信することで、活動の幅も広がっているところ。
ちょうど今はアイシャドウを収納するケースを制作中。
「林業って、木を伐るイメージ以外あまり思い浮かばないですよね。生活とどうつながっているのかわからない。なので、実際にふれて匂いを嗅いだり、言葉で伝えたりして、興味を持ってくれたらなって」
大学を卒業後、地元の神奈川を離れ、広島の医療機器のメーカーで営業をしていた村澤さん。
「そもそも林業には全然興味もなくて。別世界の話でした」
当時勤めていたのは人数も規模も大きな会社。自分の意に反して忖度する場面もあり、もどかしい気持ちになることも多かった。
「3年ほど続けて、営業の仕事も住む環境も疲れたなと。何かガラッと変えたい、自然のなかで働きたいと思い始めて。ちょうど読んだのが、日本仕事百貨の佐川町の記事でした」
「そこで、ビビッときて。とりあえず応募、一度佐川町に来て、役場とかOBの方と直接話せる機会をつくってもらいました。わざわざ食事会を開いてくれて、その時点でもう絶対にここに来ると決めていましたね」
これまで足を踏み入れたこともない土地、ましてや知り合いがいるわけでもない。不安はなかったんですか?
「いやー、なかったっすね(笑)。そのときは独り身だったので全然考えてなくて」
「今は妻と生まれたばかりの子どもがいるし、前職よりも収入も正直減った。だから、これから来てくれる人の不安もよくわかります。ごはんは食べられるのか、奥さんがいたら働き先があるのか、とか」
佐川町での自伐型林業で得られる年収は、おおよそ200〜400万ほど。林業一筋の人もいるけれど、ほとんどが兼業している。
「僕は、半分林業、半分そのほかの仕事で生活しています。年によっても違っていて。今年は間伐をメインに活動していたので、木工作家としての収入はほとんどない、みたいな」
「ただ、地方なので生活費は抑えられていて。ものづくりに集中できる環境でもあると思います」
協力隊の3年間で林業の技術を身につけながら、自分の暮らしに合わせて、ライフスタイルを組み立てられるといい。
「佐川町も林業も好き。だから、特殊伐採も木工も始めることができたんです。生活とのバランスも考えながら、どう続けていくか毎日考えて過ごしていますね」
「自分で木を伐って、年輪や内部の色とか見ると、自然ってすごいなと勉強になるんです。都会にいたころは、ホームセンターの木しか知らなかった。林業を始めたおかげで、草木の素顔に出会えた気がします」
二足でも、四足のわらじでも。
ミニマルに軽やかに、自分でスタイルをつくれる林業を始めるなら、佐川町で実現できると思います。
(2024/10/21 取材 大津恵理子)