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「どうして服をつくりたいのか聞かれると、自分でもよくわからないんです。ずっと考え続けることなのかもしれませんね。それでもここなら、ものづくりをおもしろいって感じ続けられると思うんです」自分のつくっているものはなんなのか。なにをつくりたいのか。つくり続けることで、社会や地球にどんな影響があるのか。
考えはじめると手が止まってしまいそうなことに、ちゃんと向き合う。納得してものづくりを続ける環境を、自分たちでつくっていく。
それは当たり前のようで、誰にでもできることではないように思います。

特徴的なのはやわらかな生地と鮮やかな色彩、そして作品はどれも一点ものということ。
コットンを育てるところから、糸を紡ぎ、染め、織り、縫って販売するところまで。すべてを自分たちでできる体制を整え、ものづくりを続けています。
ほかにも農業に取り組んだり、土地の改良をしていたり。最近は敷地のなかで羊たちが走り回っていたり。
今回はここで、創る人・伝える人を募集中。経験やスキルよりも、常識にとらわれず、自分たちが正しいと思うことをやってみる勇気のある人を探しています。
兵庫県西脇市。
古くから播州織の産地として栄えてきたこの地域では、今でも100人以上の職人さんがものづくりを続けている。
市街地から車で10分ほど、里山と田んぼの境目に「tamaki niime Shop&Lab」がある。

2階に上がると「コケコッコー!」と元気に鳴く烏骨鶏が出迎えてくれた。
「服づくりはみんなに任せられるようになってきたから、最近は動物さんたちのお世話が私の仕事。これから紡績もはじまるし、山の再生もあるし、学校もつくりたいなって思ってるんですよ。やりたいことがもう、いっぱいあるの!」
と、楽しそうに話してくれたのが代表の玉木さん。

唯一無二のブランドであるため、追求したのは生地のやわらかさ。あえてムラがでるように糸を染めたり、色を混ぜて紡いだり。平織りや綾織などを織り交ぜた生地でつくる作品は、すべてが自分だけの一点ものになる。
オーガニックコットンの栽培から染色、織り、縫製、販売まで、自分たちでできることを増やしながら、自由なものづくりができる環境をつくってきた。
続けるなかで大切な軸になっているのは、地球のためになっているかどうか。
「たくさん買ってくれるのはありがたい。でもね、むやみやたらに消費をあおりたくない。水を汚さないとか動物を家畜で飼わなくていいとか。地球にとっていいことに派生していくような、継続していける仕組みをつくりたいって思ったの」

ウールの素材になる羊について知ろうと、羊を飼ってみる。
いいつくり手とつながるために、新しいお店を開いてみる。
常識にとらわれずに考え、挑戦し続けた結果が、今のtamaki niimeに表れている。
「私たちも、やってみないとわからないから。今ベストだと思っていることを試してみる。地球にとって本当にいいことなのか紐解いて、納得のいくものづくりができる環境が少しずつ整ってきたんじゃないかなって思ってます」
最近のtamaki niimeでは、「まいにち、ぜんぶ、たのしむ」というのが社内の合言葉。
この言葉を提案したのは、玉木さんとともにブランドを立ち上げた酒井さん。

「会社全体でいうと、1年くらいかけてインナーブランディング、チームの強化に力を入れてきました。感覚で動くスタッフが多かったんですけど、論理的に考えられるようになってきて、会社の雰囲気がいい意味で変わってきましたね」
西脇のスタッフ、全国各地のポップアップストアを手伝ってくれる人も含めると、80名ほどの大所帯。
玉木さんと酒井さんが全体を引っ張るかたちから、最近はそれぞれのチームでディスカッションを重ねながら、いい仕事ができる体制になってきた。

やわらかさを大事にしつつ、ストイックさも求められるのがtamaki niimeの仕事。
限られた時間のなかで、どれだけの数がつくれるか。いかにおもしろいものを生み出せるか。
会社の規模が大きくなっても、ものづくりを探求する人と働きたいことに変わりはない。
「一歩が大きい人もいれば、小さい人もいる。個人差はあっていいんです。ここで成長できるのは、感謝ができること、ありがたいと思える人ですね。たとえ要領が悪くても、下手くそでも、感謝できる人はがんばるんですよ。いいものづくりができるって、そういう人なんです」
楽しそうに働いている一人として紹介してもらったのが、縫製チームの川畑さん。

メインは、いわゆるデザイナー的な仕事なんですか。
「うちの仕事って、デザイナーって言葉が当てはまらないのが好きで。生地のデザインにも関わるし、形もつくる。服ってパタンナーもデザイナーも、どっちもデザインしてると思うんですよ。ここではみんなで話し合いながら作品ができていくから、純粋に服をつくる仕事だなって」

小さなころから服が好きだったものの、両親を安心させるために看護学校へ進学。看護師としてのやりがいを感じていながらも、服をつくることをずっと諦められずにいた。
「自分で資金を貯めて、服飾の専門学校に入ったのが25歳でした。当時から、産地でつくったほうがおもしろいことができるだろうって考えていたので、就職はtamaki niime一択。ここには私が必要だって、勝手に思っていたんです」
「入社したものの、最初のころはいわゆるポンコツで。服をつくるために来てるのに、社長に『今はつくる気がしないんです』とか言ったりして、1年間は怒られまくってました」

当時は触った経験のある人が川端さんを入れて2人しかいなかったこともあり、自ら手をあげて担当することになった。
「ちょうどコロナが流行って、うちの会社はマスクをつくりはじめたんです。自動裁断機が大活躍する時期の到来ですよ。そこから生産管理もやらせてもらって、ようやく役に立つ仕事ができるようになりました」
2020年春、ブランドの存続と、世の中に足りないならばつくらなくてはという使命感のもと、tamaki niimeは全員総出でマスクづくりに取り組んだ。
部署や担当関係なく、全員で縫って、全員で出荷するような日々がしばらく続いたそう。
「とにかく話し合って、手を動かして。本当に大変でしたけど、あのときはよくやったよねって今でもみんなで話します。しんどいけど、アドレナリンがめっちゃ出てるっていうか。そうやってものづくりをしてるときって、やっぱり楽しいんですよね」

東京では町田の店舗で販売をしながら、立体裁断という手法について学ぶ教室に通っている。
「私、街を歩いてる人を見て『この人はもっと似合う服があるな』って思ったりするんです。やっぱりパターンを考えるところが好きなんですよね。自分の手の遅さやうまく形にできないもどかしさを解消するために、もっと勉強したいって思ったんです」
勉強に専念しようと、会社を離れることも考えたそう。
tamaki niimeの服はサイズのバリエーションがあるわけでもなければ、一人ひとりの身体に合った服をつくっているわけでもない。
話を聞いていると、川畑さんのやりたい服づくりとはちょっと違うようにも感じます。
「うちって、誰が着てもきれいな服をつくれって言われるんですよ。すごくむずかしいけど、今ある定番ってそういう服なんですよね。シンプルだけどちょっと変わった形をしてるとか、生地がおもしろいからオンリーワンになってるとか。それって本当に究極だと思うんです」
「そういうものもつくりたいし、さらに身体にフォーカスをあてた服もつくってみたい。つくりたいものがあれば、ここでつくれる環境を整えればいいんだって思えるようになりました」
できる場所に移っていくというよりも、自分でできる環境をつくる。
「そうですね。tamaki niimeって自給自足とか、自分たちでなんでもつくるとか。今後、もっと生活をデザインしていくんじゃないかなって。そこに可能性を感じているし、おもしろそうだなって思っているんです」

最後に、どうしてそんなに服づくりが好きなのか聞いてみる。
「いい服を着た瞬間の空気感っていうか、あの瞬間に魅せられてるんですかね。一番ワクワクするっていうか、なんか楽しいんです。なんで服なんだろうって自分でも考えるんですけど、それしか考えられないんですよ。服をつくり続けたい。そこが究極に、自分にとっておもしろいことだから」
自由に、自分のやりたいことを続けるために、できる環境からつくっていく。
それが、tamaki niimeのものづくりなんだと思います。
(2022/5/11 取材 中嶋希実)